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2015年08月

現役材木屋と行く連続企画 第二回目終了

昨日、私の企画するセミナー兼体験見学会である「現役材木屋といく連続企画」。
第一回の様子も先日お伝えしましたが、その第二回目が昨日滞りなく終了しました。

今回は、場所を建築現場に移してその場所で行いました。
前回、工務店さんの作業場にて見事なヒノキが加工されていたそのものが、建築物となって目の前に立っていることと、以前は形を創造することができなかったと思いますが、部材一つ一つを組み合わせていくことで、見事な建築が出来上がるということを実感してもらえたのではないかと思います。

第二回


わざわざ現地にて第二回を開催した理由は、写真や絵などで解説するのではなく、本当にそこにあるもので、それも建築間もなく自分たちが材料である木材の段階を見たものが建築物になっている状態で、ヒノキの話や建築の話をしたかったからです。

ヒノキがどうしてそんなに重要な語られ方をするのか?、ほんとにヒノキはすごいのか?、ケヤキではだめなのか?、というようなことから始まり、実際のお堂をみながらの建築部材の説明から、どうしてそのような形になっているのかという解説を交えて、「現役材木屋ならでは」のセミナーにできたのではないかと思います。

皆さんも考えてみてください。
社寺建築の材料にはヒノキも多ければケヤキも多いはずですが、どうしてでしょうか?!
その答えは、今回お伝えしましたので参加された方は納得されたとおもいます。

ご案内では、「お堂」と案内していたことから「もっと大きな建築物」と思われていた方も多いかと思いますが、今回は小さな阿弥陀堂でした。
少し期待のサイズではなかったかもしれませんが、小さいからこそ間近に部材を見ることができて、より正しく建築部材とその形を理解できたのではないかと思っています。

ありがたいことに、何とか暑さは和らいでくれたので、思ったほど体力的に消耗しなかったのですが、やっぱりどうしようもなかったのが「蚊」。
建築中から、一歩止まるとかまれている、状態だったので蚊取り線香をたくさん持って行っていましたがやはり食い止めることはできず、みなさんしっかり「食糧」を提供してもらっていました(汗)。

そんな感じで第二回も終了しましたが、いよいよ次回はヒノキ(スギ)の聖地である山に向かいます。
建築、建築材料、そこに至るまでの最初の段階である森の木を見て、森を感じることで、森の木が建築物として存在するようになるまでを実感してもら企画です。

今回の企画に、わざわざ「現役材木屋」としているのはもちろんボランティア的に皆さんに知ってもらいたいものや体験してもらいたいものを紹介しているものの、仕事として実際にかかわっているものを材料にしてお話・体験できるということから、わざと「現役」としています。
実際にかかった費用や苦労したこと、どのような過程でお話が進んだかということを伝えることができるのは、文化財などの見学というような企画とは違うところです。
ちょっと木のうんちくを交えてお話しできるところも、一つのポイントと言ってもいいでしょうか。

次回第三回は、いよいよ樹齢数百年の木々が生える山を体験します。
その中で、お金ではない時間という物差しの中での人と山の関係を感じてもらえればと思います。
楽しみです。



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誰かが、何かが犠牲になっていく森林と木材

木材の需要や商品といったものは、時代時代によって様々に変化していくのですが、悲しくなる現実に行きあたることもあります。

どうしても生産や伐採が難しいものや、物理的に求める事が不可能なものなどは仕方ないと納得できますが、今回は納得できない・・・というか、現実を目の前にして頭の中と自身の現実が一致した瞬間に心底状況の深刻さを感じた、というようなお話。

弊社でも、国産黒松雪待赤松石山赤松などの日本の松林からの贈り物をラインナップしていますが、それらのコラムでもお伝えしている通り、決して日本の松が入手しやすいために紹介しているのではありません。
いや、むしろ入手しづらいために紹介している、といったほうが正しいくらいです。

それらの樹種は、伐採量も決して多くなく伐採時期も限られ用途も限られてきただけに、近年では非常に稀な存在になりつつあります。
といっても、それらはフローリングや乾燥材の梁桁材として供給されるものが少ないという意味で、昔から使われてきた土木用材や乾燥が不要な用途への利用は、ある程度柔軟に対応できる・・・と思っていました。
その話をきくまで・・・


「えぇ〜、何本くらい?!」

いつものようなはっきりとした「すぐにでもやっとくよ」という軽快な返事が返ってこなかったことが始まりでした。
弊社でも昔は在庫していて当たり前、つい10年ほど前までは年に数回は出荷していた「杭丸太」ですが、もう最近ではそんな言葉を聞くこともなくなって久しく感じますが、何年振りかに「松の!杭丸太が急ぎほしい」との問い合わせをいただきました。

地松杭丸太1


木材というのは(いや、ほかの業種もか・・・)、使わなくなって在庫しなくなると問い合わせのあるもの。
もちろん、みなさん探すようになるからですが、昔はすぐに入手できた杭丸太も目にすることがなくなり、いろいろと探して弊社にたどり着いた模様。
もちろん用意できますが若干お時間をいただきます、とお答えしてから地松専門の製材所に電話した時の答えが、先の言葉です。

私の若いころはしょっちゅう大工さんが松の丸太の皮むきをしていましたし、梁丸太に杭丸太は欠かせないものでしたから、松は普通に入手できるもののはず、でした。
が、もう近辺の松山は伐採していない、というのです。
もちろん、売れないし売れても安いし切らないほうがマシ、だから。

いっつもどこでもそんな話を聞き、自身の記事にもそういったことを書いていたものの、やはり昔から専門で製材されてきたオヤジさんから「地松が貴重品になるでぇ・・・・今度は貴重すぎて(高価になりすぎて)売れへんけど・・・・」という言葉を聞いて、ついに来たか・・・と。
希少価値が高く、競争するほどの人気の高値なら理解できるものの、そのものの費用対効果を考えるとコストに合わないという場合は、いかに貴重でも商売になりえません。
今、地松の杭すらも量をそろえるにはむつかしくなりつつあります。
もちろん、私の周囲だけかもしれません。しかし、小径木でも若木でも利用できる杭丸太というのは、木材製品としての立派な用途の一つで、丸い木を四角い木材にせずそのまますべて利用できる点でとても大切な用途なのですが、それは中径木が出荷されそれとともに出てくるからこそ、それなりの用途に使えるようになるものの、初めから杭にしかできないようでは林業の採算に乗っかりません。

いま、間伐材を使おうとか、伐採期に入った木を活用しようという動きがありますが、補助金等も加味しスギやヒノキの林は伐採するものの、あえて松山は切らないために、松が集まらない状況になっているといいます。

地松杭丸太2


今回は本数が少なかったために在庫で対応できましたが、おやっさんの「えらい時代になってきたでぇ・・・」の言葉に、ものすごく「身近な危機」を感じました。
もちろん、元気に地松を製材し続けているところもあるものの、そういう現実もあるということ。
それがごく近い場所で起こった、それだけのこと。
しかし、使わないものは必要ない、必要ないものはすたれてなくなる。
そんな恐ろしくも単純なサイクルの中に、日本の代表的な樹種の一つである松が含まれていることを改めて残念に思いました。

今回、私がこの杭丸太を受注したのは仕事ではありません。
いや、仕事ですが赤字仕事です。
要は、人件費と運賃を加味すると儲けなどないのです。
会社、商売には儲けが必要です。そこから次のものを生み出していくわけですから、差し引きゼロやマイナスでは当然いけません。
販売すれば赤字、は山から木材にするまでの話と同じ理屈。伐れば赤字、経費が出ないのです。
それでも、販売する気になったのは、冒頭のおやっさんの話を聞いたから。
そして、お客さんの「地松の杭がほしいんです。」という言葉。
きちんと用途を考えて地松指定してもらった気持ちに、断ることできず引き受けたのですが、最終的に「よかったぁ、助かりました。ありがとう。」と言っていただけたのは、やはり木への思いを途切れさせたくなかったから。

山と木材と使う人たちと、立場を並べて話をするのはむつかしいことですが、もう木に関わる誰かが何かが犠牲になる木材販売をなくさないといけません。
真剣に関わり続ける者が苦労するばかりでは、先に向かう力がなくなります。
必要のないものを購入する必要はありません。
しかし、必要な木材を購入するときには、それに見合う対価をかけること。適切な価格で購入するということです。
今購入できる木材は、その昔に誰かがそれに見合う対価を出してくれたことで得られる木材なのかもしれません。
いや、対価ではなくとも育てた人の苦労や自然の時間というものがかけられています。

日本の森を救うとか守るとか、そんなことは軽くは言えませんが使わないことよりも、使うことで守れる部分もあるということ、知ってもらうことで変わるかもしれないことを再度、広く周知する必要があると実感しました。
もちろん、一義的な「間伐材をつかおう」ではなく主伐・択伐もあり間伐もあり、手入れのための伐採もあり、全てを「使える」環境にしようということです。(間伐材=安くして使おう、ではありません。)
これはまた、出張授業してかなきゃ。課題です。
当たり前にある木を当たり前に活用できるようにするために、材木屋がすること・・・たくさんあります。

どうか、活動する材木屋に力を!!

皆さんの購買力で私の木材購買力を倍増させてください。
木材を高価にするのではなく、適切な価格で流通できるようにするために・・・
もっともっと、喜べる木材を普及させて木を森を先の世代ににつなげていくこと。
そのために、材木屋に行動できる活力を、真っ当な対価を!

地松杭丸太3



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その理由は 虫つかずと狼よらず 第三部「樒・シキミ」

さぁ、神様の木第三回。

木材にまつわるお話といえば比較的、西洋の神話がクローズアップされる場合が多い(実際、本記事でも多いかも・・・)のですが、今回のシリーズは「神様、仏様の木」なので、前回のように「天照大神」という日本の神話にまつわるお話が出てきます。
もちろん、日本の神話や伝説には木があまり出てこないわけではなく、むしろさまざまな場面ででてくるわけですが、派手さでいえば、やはり西洋の神話の方が印象に残りやすいといえるかもしれません。

しかし、今日のお話の主人公である樒(シキミ)は、ものすご〜く東洋の香りのするストーリーを持った木です。

樒(シキミ) 学名 Illicium anisatum
シキミ科シキミ属の木ですが、以前はモクレン科に分類されていたというちょっと変わった樹種。
そして漢字の樒や梻は双方当て字だということながら、私としてはどちらも密教の「密」や仏(佛)を表すその字をみると、このシリーズを通してつながっている「神仏と関係の深い木」であることをしみじみと感じるため気に入ってはいるのですが・・・
シキミという名は、実が枝に茂くつくことから、若しくは葉の茂みから、というのが語源とされています。
そのほかに、実が有毒であるために「悪しき実」ということから転訛したという話もあります。
前回のサカキに対して、枝条を物価にするのでハナノキやハナシバなど、また葉を抹香や線香にすることからマッコウノキという別名を持っています。

シキミ



また英名は japanese anise-tree といいますが、実は別に使われている学名に Illicium religiosum というものがあるそうですが、やはりその religiosum は「宗教上の」という意味ですし、Illicium はラテン語で「誘惑する」という意味からきているといいますから、シキミからつくられた線香の香りが宗教への誘いになる、という解釈だったのかもしれません。
葉の香りでいうと、ミヤマシキミというミカン科の樹種はその葉に柑橘系の香りがあるといいます。
それはそれで、さわやかだろうと邪推するところですが、今まで出会ったことはありません。

ここで料理に造詣の深い御仁にはわかりきったことかもしれませんが、じつはこのシキミの仲間にはトウシキミがあり、その中国名は「八角」です。

シキミ


そう、料理用スパイスで有名な八角はこの果実がそれです。
無毒なそれは、漢方でも健胃作用で使われるほどなのは、日本の有毒な葉のイメージとは全く異なります。
いや、薬と毒は紙一重というべきなんだろうか・・・

また、現在深刻になっている森林でのシカ植生。
樫やモミ・ツガ林の下木としての植生が本来は多いようですが、現在はシカ植生を示すうちの一つにあるのがシキミだそうで、やはりその毒性からシカも食べずに残っている樹種になっているとのこと。

シカ食害 1


もう少し毒の話をつづけましょう。
シキミに含まれているのは何も有毒なものばかりではなく、初めてシキミから単離することに成功した「シキミ酸 shkimic acid 」という化合物は、アミノ酸を形成するのに非常に重要な役割を果たすそうで、インフルエンザの治療薬の原料になるといいますから、やはり「毒をもって毒を制す」でしょうか。

シキミも古くからの記録に残っている樹種で、万葉集にも登場しますが新古今和歌集などにおいて「サカキの葉には香りがある」とされているものは実はシキミの葉のことで、清浄でその香りが不浄のものを取り払うので、神に供していたものの、仏教渡来後に神仏の相違からシキミは仏前に、サカキは神前にという使い分けになったといわれています。

どちらも神様仏様に備える樹種だったということです。

さて、シキミの木材としての特徴ですが前回のサカキと同じく散孔材で、心材は淡い紅褐色で辺材は黄白色。
その色合いを利用して細工物の色材、こと桃色用の木象嵌材としての利用があるほか彫刻材や薪炭材、意外なところでは蒸して柔らかくして鉛筆にも利用されていたとか・・・
しかしやはり注目されるべきは、その葉。

シキミの葉は、神仏だけではなく人にも関係が深かったようです。
昔はシキミの葉を棺に入れていたそうです。
それは、屍臭を消すためと同時に屍を狼から守るためであったといわれます。
現在はニホンオオカミは見ることができませんが、その存在を気にする生活スタイルだったころから、人の近くにあり、神仏と人の生き死にの間にあった樹種だということでしょう。
やはり、神聖で不浄から守られることを期待する、そんな位置にあるのがおがらから続くサカキとシキミのようです。

最後に、京都愛宕神社は全国800余社の愛宕神社の総本山で、防火鎮火の神様とされています。
そこでヨシとシキミの板を授かりかまどでくべる火伏の習慣があったといいます。
愛宕さんの参詣ルートの一つに「樒道ルート」というのがあります。
それが古くから先の習慣と関連があるのか否か?!、真偽は不明ですがロマンの膨らむところです。

シキミの木語は「猛毒・援助」
良いところばかり見せてはくれないが、助けてくれる存在。それが神仏の木、なのかもしれません。



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その理由は 虫つかずと狼よらず 第二部「サカキ・榊」

おがらで感じる夏をお伝えした前回に引き続き、今回からは季節ではなく神仏を感じてもらおうというシリーズに転換?!していきますよ。

はたして皆さんのおうちには、どれくらいの割合で仏間や荒神さん(台所の神様)のスペースがあるでしょうか?
私もとっても好きな歌、「トイレの神様」にもあるように、トイレにも台所にも神様がいて、見えないしご利益が期待できるというものではないのに、とっても大切にしてきた日本人。
八百万(やおよろず)の神様という考え方のある日本人ならではの心内ですが、それでも住宅にかかわっていても、現在ではそういった考えもあまり聞かなくなったような気がします。
そのように、生活の中に神様との距離が近かった日本の中で、今でも神様を感じる木というとこのサカキで、花屋さんでお供えするために売られているサカキが花筒にあるお宅も少なくないと思います。

サカキ2

脱線しそうですが、今回はそう言った神様のそばにある樹木の一つである榊(サカキ)をクローズアップしてみましょう。

漢字では栄樹→よく茂る常緑樹、境木→神域(天津磐境)の木、賢木→神聖な木などの字があり、一般的に知られている榊は当て字のようで、日本人のこの木に対するイメージから作られたものだといわれています。
もっとも、万葉集などにも登場するこの「サカキ」は、昔に枝葉を神事に使ったものの総称だったということですから、やはり今使われる木編に神様と書く「榊」の字がもっとも適しているといえるように思えてきます。
もともと常緑樹というのは縁起がいいと考えられることが多いことをみても、結びつくのはそう難しくはなかったのでしょう。
今のように暖房器具もない時代に、寒い冬空にでも青い葉を茂らせる生命力の緑に神の存在を感じたのかも、しれません。
その名残からか、今でも枝葉を神前の玉串に使われるのは建築の際の地鎮祭などで目にする機会が多いものです。

地鎮祭

学名を Cleyera japonica 英名を Japanese cleyera
Cleyera というのは、長崎出身のオランダ商館館長で医者でもある Andreas Cleyer(アンドレアス・クライヤー)に由来しています。
中国名に、楊桐(または紅淡比)というものがあるそうですが、もしこの感じしか表記されていなかったら、桐の仲間か?と思ってしまうに違いありません。
木や木材というのはそういうもの。
まったく異なった樹種でも、世界が変わると似たような名前がつかわれていたりする・・・日本でもイヌ○○(樹種名)などの表記がありますが、もちろん外国の方が日本語を見ると同じ誤解をされることでしょう(というか、普通に勘違いしますから)。

ややこしいついでに出しておきますが、ツバキ科サカキ属であるにもかかわらず、神奈川地域の方言では「イス」と表現されるそうなので、あの日本でもっとも重い木のうちの一つである「いすのき」のことであると、勘違いしないようにしたいもの。
いや、冗談ではなくイスの木の赤味と白太の色合いをしらなければ、そういう名前がついているからには「イスの木だろう」と思うに違いありません。
木材にはよくあること、だから方言や別名をも知っておきたくなるわけです。
また、南近畿以西にて「カミシバ」という呼び方もあるそうですが、これはおそらく榊の材の用途の一つに「薪炭材」があり、シバ=薪という意味からきているのではないかと推測しています。
弊社でも昔から、お風呂屋さんへ譲る薪や自宅で使う風呂の薪などにする木を「シバ」と呼んでいました。
私も語源まで聞いた事がないのですが、生活の中で普通に聞いていたその言葉のニュアンスとしては「燃やす木」という意味でつかわれていたように思います。
燃やすというのは処分する、という意味ではなく燃料として利用するという意味です。本当に、生活の中にあった木の最終利用方法の一つですね。
それが「シバ」だったように思います。

サカキ 4

大きく脱線してしまいました。

アジアには、この種が1種あるのみというサカキ。
実は、日本で私たちが神事で用いているサカキには2種類あるのだとか。
1種だといっておいて2種とはどういうことか?と言われそうですが、関東以北ではヒサカキ族のヒサカキ(姫榊、非榊、 japanese eurya )が代用されることが多いといいます。
それは、そちらのほうが寒さに強いためだそうですが、「葉の縁に鋸歯がある」などという違いを気にしてみることはないと思うので、気が付くことはないかもしれません。
姫榊というのは、サカキに比べて小さいから、という理由からですがその名を聞いただけでかわいらしく感じるのは、日本語の妙ですね。

どうしてもその枝葉のほうに話が移るサカキですが、木材としてみたときには意外な一面もあるのです。
材質は散孔材(導管という組織が散らばっているもの)で淡褐色の材面でありながら、比重は0.68〜0.78という、どちらかというと重硬な部類だと想像できるような数値を持っています。
それは、その木材としての用途にも現れていて、器具の柄や櫛、としての利用があったと記録されている強靭硬固さを持っている材です。
もちろん、そのほかにもやはり神仏に関連した用途があり、私も実物を拝んだことがないのですが、お伊勢土産の伊勢参宮箸はサカキで作られているといいますし、笏(しゃく)としてもその用途があったことからも高貴な木材であることが想像できます。

サカキ 3

サカキの木語は「神を尊ぶ」。

サカキは、天照大神がお隠れになった天磐戸のお話にも、天香具山(あまのかぐやま)からとったサカキに飾りをするという場面があります。
神話の時代から続くサカキ伝説。
その続きは次回の樒へつなぐ・・・


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その理由は 虫つかずと狼よらず 第一部「おがら」

「お盆」という、一年の一区切りをまた一つ通り過ぎてしまいました・・・
もうこの年になると、お盆の休暇をどのように楽しむかよりも、どうやってたまった仕事をこなすかということや、どうやって日頃できていないことを進めていくかを考える時間のほうがながくなってきているのが、若干さみしくもあるこのごろなのですが・・・

お盆といえば、迎え火に送り火。
そんな風習がないということろもあれば、懐かしいと感じる方もいると思いますが、ウチではこれがないとお盆ではないという大切な行事。
もちろん、お墓に参ってご先祖様をお迎えするわけですが、そこで登場するのが「おがら」。

おがら2


この、なんの変哲もない、というか販売されているということが昔は信じられなかった夏の密かな風物詩である「おがら」は、ちゃんと意味がある(当たり前・・・)ということに気が付いたのは最近のこと。
正しく言うと、その意味を知ったのが、といったところです。

おがらは、故人の初盆などの時にも使われる場面の多い、仏教と関係のある(関係づけた)ものだったんですね。
そのためにお盆の我が家の風習にも必ず「おがら」だったのだと知るわけですが、その意味はズバリ!!

「虫がつかないから」

おがらは、麻の皮をむいたもので「あさがら」という風にもよばれていますが、上記の理由から古くから神聖な植物と考えられてきて、そのため、悪いものを祓いその煙をたくことで正常な空間を作り出す、という意味があるそうです。

おがら1


虫がつかないから!、というのはあるお寺さんのお言葉ですが、まぁそのままなんだと思います。
現在のように清潔な空間というものが少ない時代、ましてや化学合成の防虫剤や殺虫スプレーなどない時代。
大切な食料や花、草木はたくさんの虫にやられたことでしょう。

そんな中で、虫のつかない様は神のしるしにほかならなかったのでしょう!!・・・か。たぶん。

昔から伝わるものというのは、意外と生活や神仏に関連しているものが多くありますが、やはり「おがら」もそうなんだと感じます。
色気もなく、枯れ果てたような姿のおがらですが、やはり「シーズンもの」としての大きな意味を、今も伝えているんだと実感する8月です。

そこでふと思うわけです。
そうやんなぁ、木にも神聖な木とかあるけど中でも宗教に大きく関係しているもの、あるよなぁ・・・。
わかります?!
どちらかというと木ではなく「葉」というほうがイメージがしやすいかもしれません。
おがらよりも目にする機会の多い神聖な植物。
それは、榊(サカキ)と樒(シキミ)。

聞いたことがあるでしょうか。次回からは、この2つについてちょっと宗教も絡めて、おがら関連のつながりを作っていきましょう。



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ツアー残席、あります


7月末から始めている、現役材木屋と行く連続企画ツアー。

第二回目の日程が迫っています。
完成した御堂建築の見学と、材料と建築に込められている日本の木の文化のお話です。
そしてその日まで1ヶ月を切った第三回の森林ツアー。
森や木というものを知っていても、その森の中へ入っていくことは稀で、木がどのように成長しているかということは、誰も教えてくれない。
そんな状況を変えるべく、ツアー最終企画としてみんなで本物の山に入っていく企画。

どちらもまだ参加に余裕がありますから、まだまだ参加いただけます。
現役材木屋と行く森林ツアー。

この機会に、木を森を身の回りの環境を考えるきっかけにしてください。
参加などのお問い合わせは、こちらからメールまたはお電話でどうぞ。

ブログ掲載版 1
ブログ掲載版 2

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残念ながら、絵にかいた無垢材を実体化することはできません。


あれ、最近ちょっと独り言記事が増えている様な気がするぞ・・・・
というか、気のせいではなくやはり人と接する機会が多かったり、考えさせられる事が多かったりするために、余計にそうなるんだとは思いますが、今回はあんまり良くない独り言だなぁ・・・



「それは、最終やる人間と協議してください」

ってなことを言われてぞっとしたことを思い出したから。

これは、建築家さんと木材をふんだんに使った建築計画のお話をしていた時のセリフです。
とても面白く、お客さんの興味をひきそうな木の使い方を考えておられたので、良い建築になるだろうなぁ、と思っていたのですが、いざ木材選定から材料手配という様な段階になったところで、先のお言葉。

私が施工の際の不足や、多岐大量にわたり必要な同種同サイズの木材(若しくは異樹種異サイズ)の調達の可能性と、工期の心配をお話したところ、そういったことは施工する側が供給する側と協議して解決するものだから、今自分に言われる問題ではない、というわけです。

輸入板材


さっきまでのワクワク感はどこへやら。

その言葉で一気に、可哀想な間に合わせの木造建築の匂いがしてきたので、きちんと無垢材を使う場合に起こり得る状態の理由を説明して、供給不可能になる場合の状況などから、完璧な実現が難しい場合もある事を伝え、折角の大規模な木材の活用のお話は弊社の元へ声がかかることはなかったのですが・・・・

それでいいのです。

計画をされる方、設計を担当される方が木材の可能性や意匠性を求めてとても高いレベルで色々と試行錯誤されることは、木材のそれらを伸ばしていくきっかけになるかもしれない部分です。
しかし、それを実現するためには、構想した人間から供給、施工する人間まで全てがゴールに向かって一緒に進まないと、理想の実現は難しくなります。
完成したとしても、どこか中途半端だったり当初とは見えない部分が相当違っていたりということが起こります。

公共建築物に地域産材を活用するという取り組みにも例がある様に、一様の「縛り」を設けてしまうとかえってやりにくくなることがあります。

手入れ中


だから、専門分野は単発で自分の関わる部分だけ見るのではなく、もっと大きな視線で全てに関わる必要があります。
材木屋も、設計士さんや施工の人とのコミュニケーションをとる必要があります。
あなたは納材でしょ!、ではなくて、一緒に考えていきましょう!、じゃないと。

これからは更に施工する大工さんや工務店さん、そして設計士さんとも関係を深めながら、よりよいものをお施主様に届けられるようにしていくために、お施主さんや建築士さんとの勉強会や協力会、イベントなどを構想中(進行中もあり!)。

建築全体のバランスが取れる様な無垢材の使い方を模索していきます。
夏休みの間に、いろいろと作戦ねらなきゃ・・・




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もう来てしまう、盆休み


忘れていたわけではありません。
いや、逆に忘れておきたい位に早く迫ってくる連休。
本当に毎年のことながら、この時期になると次はあっという間にお正月という位に一年の過ぎるスピードが加速するのです。

本年の弊社の通常営業お盆休暇は、13日(木)〜16日(日)までです。

ショールームに関しては、別途ご予約にて受付していますので、ご相談くださいませ。
といいつつも、13日、15日は既にお約束を頂いている状況ですっ。ありがとうございます。

暑い夏を乗り切って、一瞬の(たぶん)秋を楽しむ準備をしなければ・・・(今からしておかないと、気がつくと過ぎちゃう・・・)。

夏の海



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求める気持ちは人を呼ぶ


実は今、めちゃくちゃ忙しいです。
仕事が、ではなく仕事にするための種をつくるのが、です。
いろんな繋がりの元をたどっていったり、手さぐりに進んでみたりと色々とやっているのですが、あっという間に時間が過ぎてしまっている毎日。

そんな中、嬉しい声を頂く事がしばしばあります。

拙記事も、今年の11月で丸7年になるわけで、初めの方は文章という文章ではないし、大した内容の伴わないものでしたが、現在では、余りの内容の濃さの超大作(茶化してですが・・・)ぶりに、読むのが一苦労や、と言われるようにまでなりました(笑)。
これも、色々なところで私を応援して下さっていたり、自分でも「大丈夫か?!」という内容しか発信していない頃にも関わらず、弊社商品を見つけて下さり注文を頂いたお客様のおかげだと思っています。

中には、私の巨樹訪問記や旅行記を参考に、ご自身で見て回られたりする方もいらっしゃったりして、共感していただける喜びを感じることも多くなってきました。
現在取り組んでいる学校などでの出張授業や、一般の方に木を知ってもらうための一環としての「材木屋と行く・・・」と題した森林ツアーも、さらに皆さんと共感するための「種」なのです。
木は単なる商品ではありません。
木に携わる人にはそれぞれの想いがあり、ストーリーがあり、その木自体にも物語があります。
普段は無口な山の職人さんが、ふとした時に饒舌になられるのは、自身の心の中の言葉に出しにくい想いとリンクした瞬間です。
そんなリンクを、一般の方にも感じてほしいのです。

先日電話を一本頂きました。
拙記事をご覧いただいていて、一度弊社をたずねたいということ。
遠方にも関わらず、電話ではなくわざわざお越しいただけるということ。
商品が決まっていたり、ショールームの予約であれば話はわかるのですが、そうではなく、会って話をしたい、と言っていただけました。

とっても有難いことです。

こうやって7年も続けていないと起こらない事だと思います。

決意


自分の中の記憶の整理のため、少しでも皆さんに木材に親しんでもらうため、多くの人にその楽しさや良さを感じて過ごしてもらうために続けてきましたが、続けてきた意味をかみしめられる瞬間です。
私も様々な方に会いに行きました。
今でも行きます。
やはりいろんなところに行って人に会って、共感してまた新しい事を感じて吸収していくことの大切さを感じます。

種はいろんな方向に撒いています。
今度はあなたの触手に拾われるかもしれません。
私の撒いた木の話の種が、たくさんの人の元に届き大きな木のお話に発展するように、これからも種を作り続けていきます。
小さな種が大きな木になる様に、これからも拙記事を応援よろしくお願いいたします。





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あちらへ行こうか行くまいか・・・ 木の根橋の大ケヤキ


昨年から縁あって、よく兵庫県に行くことがありました。
その中の主な機会は丹波市への訪問だったのですが、ずっと行きたかった場所のすごく近くまでは行くものの、他の用事優先でその行きたい場所にはなかなか行けない事ってありますよね?!
そのなかなか行けていなかった場所のうちの一つが、今回の記事のメインの場所。

丹波市周辺は、実は巨樹があちこちにあり、以前に紹介した常瀧寺の大イチョウを始め、日本一を誇るモミの木である「追手神社のモミ」(これは時期を見て又記事にします。)などがあり、とてもではないですが、一日では堪能しきれない魅力あふれる?!地です。
もちろん、巨樹だけではなく地元産品の魅力を発信されていたり、田舎暮らしで人気のある土地柄ということもあるのですが、やっぱり私にとっては巨樹の宝庫というイメージです。

今回のお話の舞台は、丹波市の柏原という駅にほど近い場所。
駅のすぐ前を、私の生活にも身近な国道176号線が走っていますが、ここまでくると馴染みの道路という印象はなく、山間をつなぐ一本道!というイメージ。
そんな道路から一筋入ると雰囲気はかわり、きれいに舗装された商店街(!?)が並び、一気に観光地っぽい雰囲気になります。
実は、訪問前の写真のイメージでは、結構雰囲気のある街並みなのかな?と思っていたのですが、やはり写真のイメージというのは実物とは違うもの。
ある意味、ギャップに納得し、街並みの撮影が無い分、目的に集中できたのですが・・・

その名で想像できる巨樹というと「夫婦杉」とか「三本杉」とかいうその姿を現す言葉が、そのまま名称になっている場合だと思いますが、今回はちょっと特別な「想像できる」名称です。
その名も「木の根橋(大けやき)」。

木の根橋1


これ以上に説明不要な巨樹も珍しいでしょう。
その名の通りですよ、木の根っこが橋になったように、川を渡って向こう岸(?)へ伸びているんです。
よっこらせ、ってなもんですな。

木の根橋2


はい、今回は樹種に注目というよりも、やはりその名称の由来となる「木の根」。
いや、樹種はケヤキで立派なその姿なのですが、実はこのケヤキは道路から普通に眺めるのではなく、違うアングルから楽しむのが一番です。

そう、下からのぞく!!

橋なんですよ、橋。
そう、橋だからこそ下が見える。というか、川にかかっている上に、いぃ感じに川面に飛び石があるもんだから、川の底の方からのアングルやケヤキの根が川に露出しているところなんかもばっちり見えます。

木の根橋4

よくここまで見事に跨いだもんだなぁ、と感心してしまうのですが、巨樹に「なぜそんな形になったのか?!」と問うのは愚問で、ただその存在を認めその木が過ごしてきた時間を味わうのみ。
丁度新緑を感じる(実際には夏)様な太陽に照らされて緑が映える樹体と、すぐそばに立つ洋館(丹波市役所の柏原支所らしい)の雰囲気がなんともいえずいい。

あぁ、そうか。
すごく雰囲気がいいと思った写真の要因は、どうしてもみなさんがこの洋館と一緒に木の根橋を撮影されているからで、どうしても双方の醸し出すイメージが頭に先入観を与えるんだということが理解できました。

木の根橋8


しかしながらやはり見事な跨ぎ方です。
人が作った橋が先か、木の根橋のケヤキが先かの解説はなかった様に思いますが、人が作ろうとしても、ここまでまっすぐにはいかないだろうというくらいに、見事な跨ぎ方。
生き物の生命のすごさか・・・
驚くばかりです。

木の根橋7


まぁしかし、木の根橋目当てかたまたま見つけて寄っていくのかは定かではありませんが、ここには結構な人数に人が訪れます。
私の居る間でも10人位は眺めたり写真を撮ったりしておられました。
超ド級の巨樹!というわけではないですが、やはりその独特の風体は人を惹きつけるに十分な魅力があり、ちょっとした観光名所の様な感じなのかもしれません。
もちろん、それだけ人が来ても、私の様に「根はどの様になっているのか見えるだろうか?!」と降りていく人はいませんでしたが・・・ふふふ・・・

木の根橋6

無理矢理に言うわけではありませんが、やはり物事全て、一つの方向からだけ眺めていたのでは、見えない部分というのは多く存在します。
別の立場、違うアングルから見てこそわかる事の多さというのは、とても大事。
巨樹もそうです。
勿論のことながら、写真映えするアングルというのもあるとは思いますが、自分の感性に響くところというと大袈裟かもしれませんが、気づきが多くある事も事実です。
その一つに、皆さんが川を跨いでいる根ばかりに気をとられているのに対し、川面まで降りてみると、ケヤキのしっかりとした根を見る事ができますし、そこから見上げる緑多きケヤキは、やはり木材として銘木たりえる風格を備えているのもうなづけると思う様な質実剛健な美しさです。

木の根橋5


そうか、もしかしたら向こうに行こうかというのではなく、向こう岸に恋しいもう一本のケヤキがあって、そこへ手を伸ばしていたとか・・・そんなことないのかな。
そうやって考えるのも一つロマンチックでいいなぁ・・・と一人考えながらの下からのアングル。
見上げた幹は・・・ご自身で見てみてください。
また違う印象があるはずです。
ただ「すごいモノを見に来た」というのではなく、そういう楽しみを持って接すると違う何かが見えてくると思います。

最後に昌志スケールで大きさを測っておきましょう。

木の根橋9

驚くほどの大きさではないことがお分かりかと思います。
しかしながら、橋の欄干が続いている後ろの建て物まで根が伸びているのを、ここからだと手に触れる距離で確認できるので、皆さんこちらに留まられますが、思いっきり車道ですので、車の往来には注意が必要。
気をつけてください。

それにしても、360度という角度を超えて、3次元的に根の下側からのアングルも楽しめるという木の根橋のケヤキ。
案内板に会った「樹齢1000年」というくらいのドデカさはないものの、その名の通りの風貌は、一度訪れておくべき巨樹であることに違いありません。

ぜひ、この機会に「魅惑の丹波巨樹ツアー」に詣でてみませんか?!
(あ、これいいな。そのうちやろうかな・・・・ほんとに。)




木の根橋3


大ケヤキ(木の根橋)所在地

兵庫県丹波市柏原町柏原5−1

おみやげ物屋さん前に駐車可能。すぐそばです。



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