空を見上げて
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2015年04月

木の春は桜に非ず 椿(つばき)物語 序章


雨、雨、雨・・・・・
今年の春は本当に雨が多かった。
それは晴れた日や降らずに曇った日もあったけれども、雨天による業務のずれ込みが多かったことと、個人事情も重なりお花見ができなかったことで、春の代名詞である桜を楽しむ余裕の無さから、雨の印象のみが残ってしまったのかもしれません。

会社桜


春と言えばどうしても3月末から4月にかけては、全国的に桜ばかりがとりあげられますし、私自身も家族で桜の下でゆっくりと過ごす時間はとても有難いもので、春の休日の大きな楽しみです。
今年はその大きな楽しみができなかったこともあるので、春とは言い難い時期になりましたが、敢えて春のお話をしたいと思います。

そんな春に注目すべき樹木は桜だけではありません。
というより、まさしく漢字で「春の木」と書く、花を咲かせる樹種がありますよね。
そうです、「椿(つばき)」です。
桜よりも花を楽しめる時期が長く、はっきりとした色の大きな花はこれまた季節感を目で感じるには十分なものです。

ツバキ1

一言に椿といっても樹木のお決まりにたがわず多くの種類があり、その花も様々です。
そして花が美しいということは、鑑賞したいという欲求が生まれるのは当たり前で、自生する品種の他にも多くの園芸品種がありそれぞれに雅な名がつけられています。
有名なところでは茶花として好まれる「侘助」ではないでしょうか。
侘び+好き(数寄)=侘助といわれ、茶道に適するという意味をもっているそうですが、これはのちに挙げる椿の特徴とは違い、「おしべが退化する」という特徴を持ったもので、やはり品種改良の代表といったところでしょうか。


そのような品種によって、赤や白、それらが斑の様に混ざり合ったものなどが花弁を重ねる姿と、花弁の基部が癒着している構造によって「おしべとともに花ごと散る」ために、満開を過ぎると椿の木の周辺にはまるで赤や白のビロードの絨毯が敷かれているかのような、花の絨毯ができます。
私はこの様子が美しいと思いますし、特に苔むした緑の上に原色に近い色の花が落ちた時の姿は、見入ってしまいます。

ツバキ2


しかしながら、この花ごと落ちる姿は武士の斬首を想像させるということから、武家の屋敷には植えられることはなかったといいます。
黄楊の記事でもあったように、武家というのは殊更こういったことを気にかけていたのでしょう。
もちろん、これも後の世の流布であるといった話もありますが、昔の人は樹木や木材の性質や様子をよく知り観察していたからこそ、人生や性格などを自然に当てはめていたという証拠であり、それだけ木が身近な存在だったという証明でもあるのだと思います。
この武家のお話は、後に木材としての椿をお話する時にもちょろっと登場します。

そんな椿ですが初めに「春の木」と書いて椿である、としてわざわざこのシーズンに記事を書き始めたわけですが、実はそれは間違いであります。
いや、間違いというよりも誤解してはいけない、といった方がいいのでしょう。
春と木の合わせ字である椿を含めて、樹木でよくある「イヌ●○」や木材で見られる「樺桜」などのように、「似ている」若しくは「用途が同じ」といった理由で、同じ樹木だと勘違いする名前がつけられることが多くあることは、ブラックチェリーの記事やタガヤサン黄楊(つげ)などの記事で挙げている通りです。
椿の場合は、それらの例にプラスしてこの漢字表記自体にも誤解を招くものが含まれているのが、物凄くマニア心をくすぐるところであります。

樹種名:つばき(別名:山茶)
最古の文献登場は、日本書紀。西暦12年に豊後の土ぐもを討った記事の他、万葉集にも「都婆伎」や「都婆吉」という万葉仮名で登場し、日本人になじみが深かったことを想像させる樹種。
発音に関しては、「厚葉木」や「艶葉木」の転訛したものとも言われますが、中には寿葉木(すばき)といった縁起の良い字も使われていたようです。
漢語名では「海石榴」で、これも古くから使われています。

そんな時代の中でやはり、春を意味する花として「椿」という漢字表記が一般的になったようですが、この一般的な漢字が実は、深く楽しい木材沼への招待状だったりするんです。

漢字を主に使っている国は日本と中国。
同じ漢字でも、樹木の場合は異なった樹種を指している場合があるというのが、実はよくあるのです。
という字などもそうですが、日本で使われる場合に指す樹種と全く異なる樹種を意味しているのが椿も同じ。
椿という字は、中国名では「ちん」と読み、日本でいうところのセンダン科のチャンチンという木材を指す漢字として使われています。

この二つ、全く違う樹種です。
それは一目瞭然で、しかも弊社に「椿」の名で入荷した板材がありますが、まさしくそれがチャンチンではなかろうかと思われます。
チャンチンはどちらかというとケヤキの様な木目を赤っぽくしたような外観ですから、すぐにそれとわかります。
その材だと知っていればすぐにわかるものですが、購入時の品名が「椿」となっているとふつうは「これ、つばきか・・・」となってしまいます。
それに弊社にあるものは漢字表示ではなく「ツバキ」とカタカナで表記されていました。
あくまでも想像ですが、入荷した原木に「椿」の表示があるものを製材した方がそのまま「つばき」と読んで、製材後の板に「ツバキ」表示をしたものか?!?
断定はできないものの、おそらくそんな流れだと想像しているのですが私が知りえる以外のツバキなのか果たして・・・・

椿?!


これだから木材は面白いのですが、反面入荷する時の樹種名が今回の様に「これはちがうやろ〜・・・」というくらいに判別できる樹種であってもそれ以上に詳しく状況を追跡できない場合は、私の自己判断でしかできないために、時にはお客様に曖昧な回答しかできない場合もあるのですが、この様な事があるということを知ってもらって、樹種名だけではなく、目の前の木材をどう生かすか?!という観点を大切にしてもらいたいとも思います。
もちろん、樹種名を追及するからこそ今回の様に面白いのは言うまでもないのですが、その葛藤も材木屋の楽しみ??!?!




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それは誰のせいなのか・・・漏れ聞く言葉


昨日温かな空気の中、街を車で走っていると少し規模の大きな新築の木造住宅が、上棟して2日後位の状態で大工さんが作業していました。
私にとっては見慣れた光景ではありますが、そこに通りかかった60歳代くらいの奥さま二人から聞こえる会話にふと耳を引っ張られました。

「家ってすぐ建つねぇ。早くできるもんやね。」という言葉。

確かに、最近の住宅建築は工事期間が短くなって驚くほど早く完成します。
以前に弊社工事で近隣ご挨拶に伺った際に、工事期間のお話をしたときには反対に「そんなにかかるの?!」と言われたことがあります。
それは、上の様に「すぐにできるもの」ということを視覚的な知識として持っておられるからだと思いますが、そう言われる位に「すぐできるモノ」になってしまっていると感じます。

施工2


そう、決められた「モノ」を「買う」というような状態になっていることが、「早い」要因の一つだということを、その言葉を発する人たちは理解していないことがいつも残念です。
弊社にて木材や無垢フローリングを選んでいただくときもそうですが、急ぎ過ぎると大切なことを見落としてしまいがちになるので、しっかりと余裕を持ったスケジュールで望まれる事を案内しています。
それは建築工事に入っても同じこと。

建築工事において、進行スピードを現在と昔で同じ様に比べるのは違う点が多すぎて無理だと思いますが、少なくとも現在の工事は「急がないといけない」事に変わりはありません。
それは、急いで早く済ませないと売り上げが残せないからです。
建築の場合の多くは、単に商品の動きだけではなくそこに人の作業というものが付随しています。
それは、商品代金以外に人が仕事をする作業料が必要だということを意味しています。

家は、商品である部材を組み合わせて出来るように思いがちですが、その部材を組み合わせていくのが職人さんです。
そしてその職人さんが多く必要になればなるほど、多くの作業料が必要になるわけですが、現在では出来る限りその作業料を減らせるように工夫され素早く作業できるような工夫が随所にあります。
商品の工夫だけではなく電動工具などもそのひとつです。
フローリングも手間のかかる無垢材ではなく、構造材は機械で加工されたものを組んでいける、手で一つずつうちつけていた釘がエアーの釘打ち機で楽に連続的に打ち込んでいける。
そのような形でどんどんと「スピード」を上げてきて、スピードが上がるにつれて必要のなくなった作業料の分が安くなり、住宅のスペックは大きく向上しているはずなのに、一棟の建築費自体は上がらない=その差をどこかで相殺しないといけない=作業料を減らして回転率を上げる、かかる費用を減らす、といったようサイクルになるのも、「早く建つ」一つの要因だと感じます。

早く建てたいのではなく、早くしないといけなくなった。その方が正しいかもしれません。
もちろん、職人さんにすれば素早く済ませた方が多くの仕事をこなせるために早く仕事をしたい気になりますが、その分手間のかかることや時間をかけなければならない丁寧なことは嫌がる様になるのは、当然。
そのため私の業務でいえば、無垢材の施工にかかる手間や時間を敬遠する人、加工を面倒だという人、無垢はすすめないでほしいという人、予算オーバーになるという人、様々います。

施工


建築に携わっている人の中には、きちんと丁寧に仕事をし時間をかける人も勿論いますが、先の奥さまが見た現場は、少なくとも「早くしないといけない」現場であることは言うまでもありません。

早い仕事が悪いのではなく、急いで無理に早く済ませることは良くない場合が多いために、できるだけ無駄は省きながら時間をかけられる、そしてその時間分の作業料に配慮できるようにお施主様が気を配ってもらえれば、きっといい建築が相応の時間で出来るはずです。

驚くほどのスピードよりも、安心できる住み心地のために「早く建つことに対する驚き」を、「時間をかけられる余裕」という感覚が作られる様な建築環境になる様に、お施主様含め皆で考えていくべきですね。
私は木がいい、無垢がいいと考えるからやはり木を使ってもらいたい。
その為に必要な時間や手間を説明するのも一つの仕事。
喜んでもらえる住宅づくりのために、お客様、少し時間をください!

信号ストップから出発までの間の短い時間に浮かんだボヤキになってしまったけれど、これが正直なところ。
誰のせいでもなく、誰でも変えていけるところ。
早く建つねぇ・・・からだんだん出来てきたねぇ・・・にしたいなぁ。


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お盆よりも長い黄金週間きたる


特別なことでもない限り、カレンダーを見て休日がいつかということや、連休の時期を確認することはないですし、いつもながらの自宅近くの高速道路の吹田ジャンクションの渋滞を見ていれば、連休という名の出かける名目すらかすんでしまうのです・・・

とはいえ連休というのはやってきますから、弊社もショールーム以外の配送や出荷などの通常業務は休業になりますので、本年の予定をお伝えしておかねばなりません。

休業日


(赤マルが通常業務休業日です。)

ショールームに関しては、別途ご予約受け付けておりますので、ご連絡をお待ちしています。
期間中はショールーム以外は倉庫もトラックを入れて閉めてしまっており、私以外のスタッフが不在なので、通常の様には見ていただく事ができませんので、ご注意をお願いします。
また、期間中に頂いたお問い合わせについては、順次回答させていただきますので少々お待ち下さいませ。

私も一日位、お花見ができなかった分新緑を浴びる予定です。


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共鳴する先代の言葉 福島材木店さん 〜共感編〜


前回に引き続き、福島材木店さんですが、その倉庫に一体何があったのか?!!

実は、この倉庫に入る直前に材木屋としては現在避けては通れない「乾燥材」の話をしていました。
現在は人工乾燥材が普通に流通するようになってきて、どちらかというと乾燥していて当たり前というような雰囲気すら感じますし、木の割れや伸縮すらも「不具合」と言われてしまう寸分の狂いも許さない「製品」としての木材流通が求められる一面があることを実感する時があるのですが、やっぱり福島さんは違ってた。
「人工乾燥材はすすめたくないんです、古い(考え)かもしれへんけど。」
その言葉の理由も、盛り上がる種にするには十分に過激なものなのですが、その言葉を実践している証明として先程の米松の梁材ももちろん天然乾燥させていますし、他の材料も土場に桟積みされているのが何よりの証拠。
弊社でも未だに桟積みしている木材もあるのですが、その理由を話していると急に点と点が結びつき、一気に線となって繋がるのを感じます。
それがまさしくその桟積み。

福島さん5


材木屋は、自分とこに仕入れて桟積みしたり立てたりして乾燥させてから売るもんや。生木を梱包で仕入れてそのまますぐに梱包で売るのは市場や大きな問屋さんの仕事。
木を触って様子を見て乾かして出荷するのが材木屋。

ちょっと言葉は違うかもしれないけど、弊社の会長が20年以上前に私にいっていた言葉と全く同じ事が、乾燥材の話の途中、福嶋社長ご本人の口から出るではありませんか・・・・
それって、神戸の地域性なんだろうか?それともその時代の気性だったんだろうか?!
いや、この場合はやはり故郷近辺の共通性を見出したと理解したいと思うくらいに、弊社会長の姿が甦るような言葉の並びに、単なる共感や乾燥材論争を超えた材木屋の心意気を感じたのでした。

その雰囲気のままに倉庫へ入り込んでいくと、また見つけてしまった共通性・・・
そう、様々な木材が保管されている中で、材料よりも大きく私の目にとまったのが木材に施されている表示。

福島さん3


印字してあるものや紙で添付してあるものなどありますが、どれを見てもほぼ弊社の倉庫で永きにわたり主(ぬし)を務めている木材たちと同じマークや印字ばかり。
おぉ・・・こんなところにもまだ残っていたのか・・・
旧友を探し見つけたかのような感慨、というと大袈裟かもしれませんが弊社の会長の時代に仕入れたものや、若しくは20年近く前に社長が仕入れて、入荷後主に私が仕分けをして管理していながら、ここ10年ほど一度も顔を見てない様な木材と同じマークの木材たちが並んでいるではありませんか・・・

これもある、これ懐かしい、そうそうウチもこんな色になってるわ・・・などなど一人同窓会の様な雰囲気で盛り上がっていたのですが、やはりこれも弊社が神戸からの商いスタートということで、仕入れが似通っていたのも頷けますし、なによりその材にある看板を見るだけで「昔はこのメーカーをよく仕入れた」とか「この製材所はこんな材料やった」とかいう話が自然と出てくるのが懐かしいのです。

まさか、木に囲まれていながらそれ以外の事で感激するなんて思いもよりませんでしたが、やはり会長が縁をつないでくれたのかもしれないな・・・・と深く思った瞬間でもありました。
こういう何かある、それが縁かもしれません。

昔の神戸の材木屋の流れと現在の流れの両方を知り、その中で自分のやり方をしっかりと考えておられるのを感じる事ができる訪問となりました。
一般の建築材も扱ってるよ、と言われましたがそれは弊社も同じこと。
無垢が好きで、木が好きであっても必要のない求めていないお客さんに押し付けるのは何も意味がありません。
やはりお客さんのニーズに合わせてこそ、物の価値があるんですから無垢至上主義である必要はないのです。
反対に、一般材や通常の建築も知っているからこそ気がつくことや考えること、わかる事が多い事が利点であるとさえ感じるこの頃。
2足の草鞋をはける材木屋、いいじゃないですか。

木とお客さんを想う心は訪問の最後まで続きます。

事務所横に、甕に入れられた桜がありました。

福島さん10


大きく花を開いているその枝は、少し前に工事のために伐採した桜の枝だというのです。
工事のため仕方なく伐採するにしても「もうひと花咲かせて・・・」という言葉どおり、咲くまで待てば?!とお声かけしたそうですが、「咲けば惜しくなる・・・」と咲く前の伐採を希望されたとの事。
わかるなぁ・・・・・
その為に、その伐採枝をこの甕にさして花を咲かせたというのです。
なんとも粋な心持ち。

木ってすごいね。幹を切られてもこうして花咲かすんだから・・・
そういう福嶋社長の言葉だけで、その想いは知ることができるというもの。
もちろん、伐採した幹もとってあるとの事で心配ご無用。

そんな福嶋社長、もう一ついいところあるんですよ!

それは「ワイン好き」だということ。
いやー、なかなかいそうでいないワイン好きの人。
私の交友が少ないという問題もあるかもしれませんが、それでもただお酒として好きだとか、がぶ飲みするのが美味しいとかいうのではなく、蘊蓄も味も含めて味わいにもこだわっているという方に逢えた喜びは、木材との相乗効果で倍増以上!
残念ながら今回はグラスを傾けることはできませんでしたが、次回は是非チーズかパテか、そんなものと合わせてのワイン片手の木材談義としゃれこみたいものです。

その機会を楽しみにして、ひとまず今回の訪問記は終了です。
忙しい早朝からありがとうございました。
(因みに私の手のビニール袋はお土産に頂いた社長の飛び道具・・・笑)

福島さん11






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共鳴する先代の言葉 福島材木店さん 〜潜入編〜


物事の記録というのは、出来るだけ記憶の新しいうちに整理して残しておくべきであるというのは言うまでも無いと思ってはいるものの、いざ記録し終わると整理しないもの・・・
巨樹巡りをした後などもそうですが、駐車スペースの有無や所在地の再確認、訪れた瞬間の思いや状況を残しておこうとは思うものの、なかなか出来ずにいます。
少しでも残しておこうと、皆さんに特に紹介したいもののみ少しづつ記事にしているわけですが、紹介していないものも色々とストーリーがあり・・・

とはいえ、今回は巨樹巡りの話ではなく巨人巡り(?!)とでも言いましょうか、スケールのある先輩材木屋さんへの訪問記であります。
今までも紹介したい先輩方あれど、怠慢で紹介できず・・・・
ただし今回は、直接木材のこと云々や商品のことではなく、お話から湧きあがった想いと想い出をやはり「記録」しておこうという、自分のための記事でもあるので、すみません、訳のわからんところはスルーしてくださいませよ。

人との縁は本当に巡り会いで、逢うべく人に逢う。そんな感じに勝手に思ってしまいます。
今回は、私が昨年通っていた講座が縁で知り合った同業の先輩なのですが、所在地が神戸で、しかも私の故郷にほど近い場所!という事で最初の名刺交換の時からテンションが高かったのです。
それで、一日も早くお邪魔しようと思っていながらも、近い様で遠い微妙な位置関係(言い訳・・)のせいで延ばし延ばしになっていたところ、やっと伺うことができました。

ココは兵庫県、神戸市の西の端っこを少しすぎたところ・・・

13


大きく拡張された幹線道路を一歩入るとこんな風景が広がる地域の一角に、「普通ですよ、ウチなんて。別に特別なモンないし・・・」と言いながら普通に変ってる(笑)材木屋さんが存在します。
その名は福島材木店さん。
何が変ってるかって、扱う木材云々もちろんありますが、専ら私の場合はその人柄と木に対する想いの馬鹿っぷリ(非常に失礼ながらも・・・)の度合いを指します。
はい、そう言う意味ではきちんと合格ラインで変っておられましたよ(笑)。

お店としては、特別今風にコマーシャルされている様な外観でもなく、私の抱く「材木屋さん」のイメージがしっくりくるのですが、社長ご本人以外にも中身はすごいんですよ。
いきなりの早朝の訪問で、しかもその後の予定が入っている事をうかがっていたので早々に内部潜入?!を開始すると、何にもないよ、とおっしゃいますがいきなりこれがあるだけでも何にもあるやないですかっ!!とつっこみたくなるような長尺大径木が製材できる製材機が鎮座している時点で普通じゃない。

福島さん8


昔は、2階建てに相当する高さの建屋の上まで到達するかのような勢いで丸太が山積みされ、一日中一人つきっきりで製材機を回して製材していたそうです。
そりゃ、弊社の小割製材機だって10年ほど前までは半日は回っていた事を考えると頷けますが、一般の方では今それを想像しろというほうが難しいのが現在の材木屋さんです。
しかし実は近々、コイツで長くて(10m超)太くて(1m超)えぇ丸太を製材する予定なので、またその時見に行かんといけないんですけど、普通はそんな丸太製材できるはずもないから、遠方にて買いつけられた土場の人に、製材と運搬どうすんねや?!と心配されたそうですが、自分とこで挽くねん!と伝えると驚いていたとか・・・・
そう、それが普通です。そんなの挽ける時点で材木屋としては十分普通ではない!!
訪問時は、次に挽く丸太と同じ現場で使われる材料の先納入分が積みこみされていましたが、周囲はその木材特有の香りで大変いいにおい!
やっぱり材木屋は木の匂いがしないと雰囲気出ないですよね。

福島さん9


そして奥へと進んでいくと、巨大な重機!!
ウチの子どもたちなら、制止しても飛び乗っていきそうなのが目に浮かぶ様な豪快さです。

福島さん4


これ、実はとっても重要。
近々先程の普通じゃない丸太を製材するためには、先ずその丸太を運んで来て荷降ろししないと始まりません。
材料と製材機があれば、そこですぐ製材出来てしまう様な感覚になりそうではないですか?!
10mの長さで1mを超える直径の丸太ですよ。こんなの、普通の材木屋のリフトでは降ろせません。
ましてや、荒っぽくトラックから転がして落とすとかいうのも、丸太も傷みますしトラックも傷むのでできません。
そこでコイツの登場となるそうです。
ガシっとやって、ボンと降ろすそうです(笑)。ほんと、掴んで降ろせるという利点は、配送の運転手さんがとっても喜ぶとの事。
やっぱり重機って大切。で、こんなのがあるのも普通じゃないですよ、一応。

で、本番の木材の話に移ると先ず気になるのが、製材された材料での面白い「認識の違い」。
以前から、昔は米松(べいまつ)丸太をたくさん製材していた、と聞いていたのですが一般的に流通していて驚くところの無いはずのその米松が、実は面白い!
丁度次に使う丸太を注文サイズに製材されていたのですが、見てみると「これ、米松?!」と大阪の材木屋ならば必ず聞く、しかも「こんなえぇの、いらんで!」と念を押しておかないと、請求金額が心配な程木目が細かく綺麗な米松がそこにあります。

福島さん7

綺麗だと前置きされるから、知らない方からするとこれが普通になってしまいますが、今現在の材木屋や工務店さんのいう普通の!「米松(べいまつ)」というのは、下の写真の様なもんです。

14


どうですか、全く別物でしょ。
同じ木目でないから違いがわからないかもしれませんが、木目の幅が全然違います。
そりゃお客さんが驚くのも当たり前。
だって、私も聞いたもん。これを米松で出荷してはるんですか?!って(笑)

福嶋社長は挽いてるのは昔っからこんなもんよ、とおっしゃってましたがやはり言われるそうです。
「ウチはピーラー注文してへんで!米松でえぇねんで!!」と。

ピーラーと言うのは、大きくいうと米松は米松ですが、木材沼を覗くとわかる違いがあって、簡単に言うと木目の細かい高齢木材を指すのですが、もちろん高級材であって、お客様の指定している一般的な「米松」とは全く異なりますから、念を押されるのも当たり前。
そこを涼しい顔して、これでも特化粧とか(多少節も含む現し材)しかとれてないよ、と言ってのける福嶋さん、あなたはすごい。
こんな米松、うちらのあたりじゃホント、ピーラーですよ。
材料に対しての目利き度合いの違いは、単に材を扱っているだけではなく、お客様の要望に答えるとともに、その要望以上の材料を提供しようという気持ちとなって現れています。
志高きこと。
これも、木材が好きで丸太から製材した最後の材までをしっかりと見つめ、そしてお客さんのことを考えるからこその事。そう実感します。

福島さん6


そしてそんな美しい顔をした米松ちゃんを一通り眺めた後は、スルー出来ない趣味の倉庫(笑)へ・・・・・
今は昔みたいに売れへんし、こんなんおいてばっかりで・・・・とおっしゃる銘木倉庫に潜入すると、ちゃんとお客さんの喜ばれそうな材料あるじゃないですか・・・

福島さん2


やっぱり、趣味で集めているだけではなくちゃんとお客さんのニーズ考えておられるので、先のお言葉は謙遜ですねぇ。
聞けばちゃんと用途やお客さんのイメージを持って在庫されているし、ちゃんと整理されている(ウチと違って・・・・汗)。
面白い材料がたくさんある中で、実は私を喜ばせたのは、その銘木達ではなかったのです。
この私が材木屋の倉庫にいて木材樹種以外で喜ぶなんて、何事かと想像してください。
そんな事があるっていうのが、やはり自身のルーツに近い所在であるが故なのですが、そのあたりのお話は次回に続く・・・・・





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自ら輝く樹木


あっという間に、もうずいぶんと前に見つけた記事になってしまったけれど、投稿する機会がなく延ばし延ばしになってしまった・・・
新聞紙面の科学関係のコラムに「光る街路樹」、というものを見つけました。

ホタルやクラゲなどの生物が美しい光で発光するのは、発光するたんぱく質を持っているからだそうですが、その光るメカニズムは異なる様で、ホタルは発光たんぱく質、クラゲは蛍光たんぱく質になる。
「発光」は、自ら光る事ができるが、明るさは蛍光にはるかに及ばない。傾向は明るく光るが自ら発光できない。

そこで、これら2つの長所を組み合わせることができないか?!
そこで、双方のたんぱく質がごく近い場所にあると一方で生まれたエネルギーが、もう一方へと映るFRET(フェルスター蛍光共鳴エネルギー運動)という現象に着目したそうな。
そして自らその現象をおこすことのできるたんぱく質を作り、ナノスケールの光源という意味で「ナノ・ランタン」と名付けられた。
昨年には、発光物質の溶液をかけて反応をおこした結果、暗闇で本が読めるほどの明るさ=満月ほどの明るさの発光を実現したといいます。

今後発光・蛍光双方の遺伝子を更に改変させれば、より明るくそして様々な色を出すことも可能だといいます。
また、発光物質を作る遺伝子も一緒に導入できれば、いつまでも光を放つことができるようになる。

表題の光る街路樹とは、これらの遺伝子を街路樹などの樹木に組み込んで、木々を発光させて夜の街を照らそう、という発想なのです。
もちろん、ただの照明の代用で省エネだというだけではなく、停電時の補助灯としての役割も期待されているようですよ。

LED等で電飾された街路の風景の輝きは綺麗なものですし、街路樹が街を照らしてくれる、そんなのもいいかな?!とは思うものの、「植物が常時発光している」という状態は、やはり今の頭ではちょっと理解できません。

光る街路樹


大阪でいうと、御堂筋のイチョウ並木が夜に自ら発光している様な感じ?!
確かにライトアップはしなくていいかもしれないけど、ムードあるかな・・・?!

もちろんこの技術は街路樹に限ったことではなく、その他の分野にも大きく活用されることと思いますから、更に可能性を広げてもらいたいという気持ちです。
現在の照明器具程の照度になれば、それこそ住宅街には電柱灯ではなくポツポツ点在する街路樹自体が夜の帰り道を照らしてくれる、そういう景観もわるくないかもしれません。


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木材は使えるようにしてこそ・・・


こだわりというのは、ある意味すごく良い場合もあるけれど、それに邪魔されて他の可能性が見えない場合もある、以前の私はそうだった。いや、今も少しそうかも。

木材の事が少しづつわかり初めて、様々な樹種を見て使い始めると見るもの全てが珍しく面白く大切で、無駄にすることはもちろんのこと、必要寸法に長さをカットするとか幅を狭くする、といった場合にも「こんなに大きいのに切ってしまうの?!」と、寸法カットにとても心苦しく、できる事ならあるがままの寸法形で使ってもらいたいと思っていました。

もちろん、それができれば無駄もないしいいんですが、そんなぴったり使うなんてケースは一枚板のテーブルであるかどうか位で、板材や角材は用途に応じて必ず寸法カットが伴いますから、残りの木材が出るわけです。
残りが出るのはいいのですが、折角こんな大きな寸法があるのに切ってしまうなんて…という気持ちの方が強くて寸法カットにはとても抵抗がありました。
特にタモや栂、ケヤキなどで杢のでているものは時によって激しい暴れが出ている場合があり、それをまっすぐにしようとすると折角杢が出ている部分をどんどん粉にして削ってしまうので、削れば削るほど杢が小さくなってしまうのを見ていて、涙が出るほどもったいなかったのを思い出します。

倉庫2


それでも、きちんと使うことのできる寸法や状態に整えないことには、木材としての活用の道がありませんから仕方の無い事、そう割り切れるようになったのは最近で、割り切るからにはどこまでその「残り」を味わえるかを楽しむことにしています。
特に珍しい材の場合は、探している寸法にぴったり合う場合の方が珍しいので、必ず中途半端になってしまうのが心苦しいところ。
先日、彫り物用の材料として問い合わせを頂いた材も、実際必要な長さ45cmという寸法を伐り出すには、4.5mの木材を切ってしまわないといけない。
しかも木材の例にもれず、端っこは乾燥による割れが若干あるので、その部分は送る材に入れる事ができないので、更に長めにカットしないといけない・・・
やっぱり、こんな長い材をカットするのは勿体ない(長いものが稀少な材でもあり)と言う気持ちがありつつも、使ってもらいたい気持ちと葛藤しながらの材料製作になったのです。
結果、送った材は気にいって頂いた様なのでカットした甲斐があったというものですが、やっぱり切り残しをみると少し淋しい様な・・・

倉庫3


それでもずっと眺めていると、「喜んでもらえる機会を作ってくれてありがとうよ」と言ってくれている様な気になってくるのも、やはり木材販売の嬉しいところ。
やはり木材は使ってもらって、喜んでもらってこそのもの。
樹木が木材となって、その後で命を吹き込むのは使い手ですからね。
そのナビゲートとコーディネートをするのが私の役目。
使い道を制限するのではなく、最大限活躍の場所を作っていくこと。
それに気がつくまでに永くかかったなぁ・・・・
たまに見る、「8mの材を3つに切ってカウンターにしました」とか「12mの材を2mに切っていきます。」という同業さんの報告には、やはり未だに「うわー、勿体ない・・・」が先に来てしまうけど・・・

それぞれの木材を活かす道。
弊社で眠ってくれている材も、活かす道を見つけるためにみなさんにどんどん見てもらわないとね。


倉庫1




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木もやっぱりネームバリューが必要?! ノーベル木材賞(仮)


色々と事情があって、ここ数日全く記事を更新できない状態が続いてしまったことに反省。
なんとか時間を割いていってはいるものの、忙しい、というものではなくて一日の決まった24時間のなかで確定的に時間を拘束されてしまうともう、他に削るところが無くなってきて「あぁ、今日も明日になってしまった・・・(日付が変わった)」という状態が日常的で・・・・

そんな弱音を吐く中、きちんと書いておきたい記事があったのですが、つい遅れてしまいました。
その記事というのは、私も親交頂いている森林ジャーナリストの田中淳夫さんが、Yahooニュースに出されているもの。
その題「森のノーベル賞に日本人のセルロースナノファイバー研究が受賞」でした。
さすがに読みたくなる表題です。
セルロースナノファイバーについては、セルロース=「食べられる」とか、ナノファイバーはカーボンファイバーの次に注目されている日本を代表する新技術である、など過去に何度かとりあげてきましたが、それらを含めた大きな意味でのセルロースナノファイバーとそれを取り出す技術などに対して、「森のノーベル賞」が与えられたという記事です。

実際の記事はこちら

以降、少し田中氏の文章を参照しながらすすめていきましょう。

賞の名は、マルクス・ヴァレンべリ賞。
森林や木材化学の基礎研究や利用技術の開発を奨励するために誕生したもので、ノーベル賞と同じく、スウェーデン国王から授与される!という。
だから、森のノーベル賞か・・・確かに印象に残るキャッチコピー。

受賞の内容は、田中氏の記事を参照してもらうとして(難しい表現もあるし・・・)、この受賞研究の中で、一つ私でも知っているうちのすごい事というのが
、セルロースを今までより遥かに少ないエネルギーで均一にナノファイバーにすることのできる様になったという点。(これが受賞内容の様だけど)

利用への可能性にとても期待されている(あんまり知られていないかもしれないけど・・・)このセルロースナノファイバー。
これを作るには、木材(もちろんその他の植物なども含めて。以下木材と表記)を構成しているセルロースという物質を、文字通りナノサイズのファイバーにしないといけないのだけれど、とっても優秀な物質であるセルロース・・・そんなに簡単にはファイバーになってくれないんですね。
だって、セルロースは木材を構成する代表物質。
簡単に言うと、このセルロースがリグニンやヘミセルロースという接着剤の様な役割と結びついているからこそ、バルサの記事でも書いたように「軽い割には強い」材料である木材が生まれるのです。
また、樹木が50m、100mという高さまで成長して自分を支えていられるのも、やはりセルロースをはじめとする細胞のおかげ。

栢野の大杉 2

それに、動物それも私たち人間も、有機物を消費して生命活動をしているのが当たり前乍、樹木は土中から水と養分(無機物)を吸収して光合成をすることで樹体という有機物を構成していくことのできる「無から有を生む」、まさに神がかり的な(神秘的な)存在であるんだから、やはり巨樹巨木に出会った時の神々しさは至極当然かも・・・・
そう考えると、樹木はとっても永生きで、とても大きく成長して、とても強靭でしかも、それが単純にいうと太陽と水と栄養分で作られるんだから、動くことも話をすることも無いかもしれないけれど、本当はすごい存在なんですよ


これも以前の記事で書きましたが、人間にとって分解が難しいセルロースを簡単に分解する存在として、菌類のほか特殊なエビ、身近なところでは白蟻がいます。
取り出しに手間と費用の掛かるセルロースが注目されているとしているところ、今回はそれらによるところではなく、「特定の酸化反応を利用したところ・・・」とあるので、いよいよ産業的開発や利用に拍車がかかる様なステージに、セルロースナノファイバー類が上がったことになる様子。

セルロースなんちゃら・・・と聞いて萌えるのは私のような一部のマニアで、今木材というとどうしてもバイオと名のつく燃料(エネルギー)系に走りがちですが、確かにそちらも一つの道ではありますが、燃やして無くしてしまうには惜しい存在、それが木材です。


しかしながら、本当のところ一番驚いたのはこの賞を設立したのがなんと、当社でも日頃製品を扱っている大手木材会社「stora enso社(ストラエンソ)」だというのだから驚き!!

エンソ


いや、皆さんにすれば何が驚きなのかお分かりにならないところでしょうが、この会社、日本で一時期偏った情報で悪い意味で有名になってしまった「ホワイトウッド」の製材品を日本に輸出している会社である。
建築現場ではほぼ、どこでも目にする白い木材がそれである。
私も日頃販売品目として取り扱っているから、「エンソ?!え?製紙?!」と驚いたのである。
そう、製材ではなく製紙、と出ている。
恥ずかしながら、北欧からホワイトウッドを輸出している会社の多くは製紙がメインの会社で製材品の比率は決して高くなく、その為今回の社名にも「製紙」がついていたという事。

ひぇえー、日本にも製紙会社の持っている森はあるけれど、日本を席巻している木材を輸出しているところの本業が製紙であるとは恐れいりました。
いや、驚いたのは製紙だからではなく、日本向けにじゃんじゃんホワイトウッドのシェアを拡大している会社、というイメージだったのに、この記事を読んで一瞬にして「なんていいことしてるんだ、この会社」と都合よくイメージ転換させられてしまった情けない私。

受賞賞金は3000万円とある・・・
うーむ、やっぱりすごい会社だ。
いやいや、そんな金額に関心するのではなく、日本もいい加減にホワイトウッド(最近も言われた・・・)を批判したり外材(がいざい=外国産材)という呼び名で悪者のように扱うのはやめて、こんな賞を創設して世界的に表彰するくらいの活動が必要だと感じるけど、無理かな・・・
その前に日本ではもうちょっと使う人と施工する人と販売する人と・・・えーっと、生産する人育てる人、みーんなが森や木材について意識を共有して高めないといけないな。

しかしながらとりあえず、受賞におめでとうございますと、更なるセルロースナノファイバーの技術革新のスピードアップを期待したいところです。




木ぃクンmuku_mokuzai  at 13:15コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ! 

オークとスギ 洋酒とミズナラ完結編 〜樽〜


間にお知らせが入る形で幾度か間が空いてしまった記事ですが、今回でシリーズ?!完結の予定です。

前回、日本酒の樽にスギの板目材が使われるといいました。
洋酒などのオークの樽の場合は柾目なのに、板目のスギで大丈夫なのか?!という疑問でお話を終えていましたよね。

それを語るにはまず、日本での木材の使われ方の中で柾目と板目の使い分けをされている似た用途である、「樽と桶(たるとおけ)」のお話から進めないといけません。
普通はあんまり言葉の意味を意識せずに使っているかもしれない「樽と桶」。
どちらも液体を入れる用途のものですが漠然と、「大きい入れ物が樽で、ちょっと水を入れるくらいが桶ちゃうかな?!」そんな感じではないでしょうか。
違いが分かりますか?!実は、その違いの中に、木材の使い方の答えが隠されているのです。

樽というのは、簡単にいうと「長期間内用液を保存する入れ物で、移動させる場合があるもの」です。
長期間保存し、移動させる機会があるということは、内容物がこぼれてしまったり異物が混入したりするとまずいわけです。
その為に蓋(ふた)がついています。

樽つくり3


それに対して桶は、「一時的に入れておき、用事が済めば中の液体を排出する入れ物」ということです。つまり蓋はありません。

この違いが材の用途の違いに大きな理由を持っていて、樽は長期間保存のために木材が液体に永い時間触れているために、木材は常に液体により膨らんだ(液体を含んだ)状態にあるために、製造された状態から膨らんで、樽の隣同士並んだ木材同士が互いに密着して液体を漏らさないように工夫されているのです。
互いに密着させるためには、液体を含んだ時に膨らみやすい板目(寸法変化する)を用いているというわけです。

樽つくり2

対して桶は、一時的なので液体が入っている時は湿って膨らみやすく、排出されたときは乾燥して収縮するために、常時寸法変化していては、次に使うときに桶を構成する木材の隙間から、液体が漏れ出てしまうという事になるために、できるだけ寸法変化の少ない柾目材を使う、という大きな違いがあります。

この樽と桶による柾目材と板目材の用途の違いで分かる通り、樽にはわざと板目材を使っているのです。
そして、その樽に使われる板目材のスギはお酒にスギ独特の優しい香り付けをしてくれます。
その為に、お酒に触れるようになる樽内部側にはスギの赤味材を、そして運搬保管時に見える外側には白太の部分を使用してすっきりと見せている場合が多いのです。
しかし理由はそれだけではなく、内側が赤身で外側が白太だということは、使用される板材は赤身と白太の双方が入っている部分=「源平材」という事になります。
そしてこの部分を使うのは、赤身と白太の間になる部分には「液体をとおしにくく、さらにアルコールも通さない」といわれる「白線帯(はくせんたい)=乾燥する前に白い帯のように見える部分」という部分が存在します。

樽つくり4


そしてその部分があることで長期間の保存の際にもお酒が漏れ出さないという、信じられないくらいに木材の性質を知り抜いて使われてきた理由があるのです。

白線帯というのは、栄養分の多い木材の成長を担う白太の部分が、役目を終えて樹体を支える役割をする赤身に代わっていく際にできる部分であり、とっても不思議な作用のある組織なのです。
その部分の効用を知って利用されているのが樽材であるという、本当の適材適所の代表例であるのです。

もちろん、現実的には予算や目的などに合わせて赤身のみの樽材も存在しますから、神話的に話を進めると誤解を招くことになりますが、スギの樽にはそのような理由があって板目材が使われていることが分かっていただけたのではないかと思います。

オークとスギ。用途は同じでも、国が違い種類が違い木材が違うと、こんなに違うんだという木材の利用。
それもきちんとそれぞれに理由があって用いられているという、使ってきた人たちの知識の深さ。
いつ考えても感服します。

樽つくり1


お酒から始まった木材談義ですが、ひと段落したことでとりあえずここで完結という事にしておきましょう。
もし機会があれば、普段は飲むだけの日本酒ですが、その日本酒を醸す樽の材料を作ってくれる場所を見学するのもいいかもしれません。
いい香りを放つ日本酒ができるために欠かせないスギの力を、再認識しさらに日本酒がおいしく感じるはず。
希望があれば、見学ツアーやりますよ(笑)
洋酒もいいですが、今宵は日本酒で乾杯!のために、スギのお話で盛り上がってみてくださいね。

日本酒


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木ぃクンmuku_mokuzai  at 13:15コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ!