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2015年01月

ブラックウォールナット幅広無垢定乱尺フローリングのその後


先日、以前にブラックウォールナット幅広無垢定乱尺フローリングを納品したカフェに行ってきました。

ブラックウォールナットの店舗その後 1


住居が近いこともあり、お昼の間でも主婦仲間の方や子供さんを連れた奥さまが、「ランチ兼お茶」の楽しいひと時を過ごしに来られていました。
店内は、道路面の殆どが大きなガラスなので日光が入るために明るいのですが、ただ明るい店内というのではなく、足元をブラックウォールナットが引き締めることによって、とっても落ち着きのあるゆっくりくつろげる空間になっています。

ブラックウォールナットの店舗その後 3


一つ以外だったのは、既に4年以上経過しているにもかかわらず、私が想像していたよりもとっても綺麗なこと。
正直、もう少し汚れや傷が大きく出ていて無垢の醍醐味である「経年変化」が早くも出るのかと思いきや、細かな傷は当然あるもののとってもいい状態で使ってもらっているようで、大切にされていることが伝わってきました。

ただ、もちろん何も変化が無いわけではなくよく使われる部分は、ブラックウォールナット本来の素地の色が出るとともに、塗装では出せないすり減りによる表情の変化は、無垢一枚物ならではの質感。

ブラックウォールナットの店舗その後 4


無垢の木材では、色調が濃い黒に近い木材程高価になる傾向があることは以前にもお伝えしましたが、この天然の色調はやはりとても貴重なもの。
ゆっくりとくつろぐリビングのフローリングであったり、静かな時間を過ごす書斎などにも人気のあることは確かですが、店舗においてもその存在感は抜群です。

店舗というと経験上、木目柄のクッションシートや無垢の木材だとしても、どうしても出来るだけ安い木材に塗装を施して質感を上げる、という手法をとりがちですが、施工した時よりも数年後の質感に大きな差が出てくるのは一目瞭然。
その店舗の営業してきた時間をそのまま現す顔であるかのように、風合いを刻んでいきます。
それこそが木材であり、本当の質感を求めるからこそ得られるもの。

これからも憩いの場として商売繁盛、お客様に落ち着き喜んで頂ける空間であることを信じて、久々のブラックウォールナットとの再開を終えたのでした。

ブラックウォールナットの店舗その後 2


・ブラックウォールナット幅広無垢一枚物フローリングの紹介記事はこちらから
・ブラックウォールナット幅広無垢つなぎ目V溝フローリングの紹介記事はこちらから
・ブラックウォールナット定乱尺フローリング施工店舗写真はこちらをご覧下さい。
・ブラックウォールナット定乱尺フローリング施工店舗の4年後の姿はこちらから
・ブラックウォールナット幅広無垢定乱尺フローリング、オイル塗装の施工写真はこちらから
・ブラックウォールナット幅広無垢一枚物フローリング、古民家カフェの施工写真はこちらから
・ブラックウォールナット幅広無垢一枚物フローリング・つなぎ目V溝フローリング、建築士さんのおうち施工写真はこちらから
・ブラックウォールナット幅広無垢つなぎ目V溝フローリング、安らぎのクリニックの施工写真はこちらから
・ブラックウォールナット幅広無垢つなぎ目V溝フローリング、安らぎのクリニックの施工で見えた、特有の表情を掲載した表情編はこちらから




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一点だけでは語れない木を取り巻く環境 鹿とナラ枯れ


問題、と言われていることを見るといつも思うけれども、一つの事柄を見るのにもいろんな角度から見ていかないと解決は難しい、と改めて実感します。

以前からちょくちょくとお伝えしている、甲虫によりナラの仲間の木が枯れてしまう「ナラ枯れ」という問題ですが、新聞の大きな見出しで「シカが犯人」と書かれたカラー記事がでていました。

今回の記事は近頃度々問題になる「春日山原始林」の中でのお話。
ここは、国特別天然記念物に指定されているところ。原始林という名前からも想像できますが、むやみに人の手を入れられないところです。
そこに持ってきて、人ではなく虫による被害が拡大しさらにその虫はシカが原因だと言う。

さらに直近の私の記事に同じく春日山原始林において「ナギ」が繁殖し、このままでは原始林の象徴である他の樹木の成長を追いぬいて、原始林として指定されている森の様相が変ってしまう、という問題をお知らせしましたが、その時と同じく今回も「シカ」です。
シカが山の下草を食べてしまい、その影響で山中への日当たりが良好になり、更にはナラ枯れをおこす甲虫が過ごしやすくなり、結果ナラ枯れが広がっていると言うのです。

下の写真の雑木林は、色々な木が生えていますが、現在問題とされている「間伐されずに暗い森林」とは違い意外と明るくてよさそうに感じます。
しかし実はあまりいい状態ではない、これはシカ植生と言われている状態です。

シカ食害 1


この山もシカが増えていて、本来ならば山の土壌近くには様々な木々の稚樹やシダなどの植物があるはずです。
秋に撮影した写真ではありますが、丁度土壌から1m位のところまでは緑のものも何も無いのがみてとれます。
これが問題となる「シカの食害」と言われています。
食べつくしてしまう、と形容されますが、実際に上部に育っている樹木以外は下層に植生が発育しない状態になっています。
わずかに残るのは食べにくい、若しくは美味しくない(毒素を含む)などの一部の植物だけです。
そして上層の植物だとしても、影響が無いわけではありません。

シカ食害


この様に、シカに樹皮を傷つけられたり樹皮をはがされたりして枯れてしまう樹木もあります。
樹皮がはがれると、樹木が生長するのに肝心な細胞部分が失われてしまいやすいので、幹は残っても枯死してしまう可能性があります。
だから、いろいろな部分でシカが悪者になってしまいます。

しかし、少なからず影響はあるのでしょうがどこかシカが真犯人、という形で担ぎあげられたと感じるのは私だけだろうか?!

実際、春日山だけではなくシカは各地で問題となっている動物。問題となっているというと更に語弊があるけれど、増えすぎた(といわれる)シカが生態系や森林環境に与える影響は少なからずあり、対策を講じないといけないということが様々議論されています。
ハンターが減っているからシカが増えたと言われていますが、必ずしもそれだけではないでしょうし、今回の春日山においては「シカは神様の御遣い」であることから一般に言われる「駆除」という方法は取りづらいことが大きな原因であることに違いありません。
先のナギも、人の手を入れずに保存されている原始林だからこそ増え続けているわけで、自然であるはずが人間の期待する自然ではない?状態になってきているという状態です。

ナラ枯れという現象自体は、もともと燃料として利用されていたナラなどの木材が使われなくなり、高樹齢の木を好む甲虫が増えたことが原因だと言われています。
確かに生き物ですから好物が増えると生息数も増えるのでしょうが、それでは真犯人はシカではなく、人間ではなかろうか?!
シカによって増えたのではなく、人間が利用しなくなったから増えた、というのが原因ではないかと反面思ってしまいます。
時代の流れというものがありますが、人間を含め動物も植物も色々なところでお互いに関係しています。
そしてよく言われるのが、一度人の手が入るとずっと関わっていかなければならない、ということ。

映画「千と千尋の神隠し」において、「手ぇ出すならしまいまでやれ!」というかま爺のセリフがある様に、人間が関わるのなら最後までその役割を果たさないといけないのだと思います。
原始林で繁殖するナギも、元は人の手で植えられたといいますしシカが増えるのも生態系の循環が関係します。問題視されるその輪の中には、必ず人間もいるはずです。
が、いつも当事者である人間は主観的立場から、自分以外のものを原因物質として処理するところがある様に感じます。

全てのものが様々に関係している世の中では、一つの観点や主観では物事の根本はつかみにくいものであると思います。
ジブリ映画になぞらえるのが正しいかどうかはわかりませんが、やはり自分たちも当事者としてきちんと関わっていく事を継続しなければ、本質的なことは見えてこないと思います。

今回の原始林自体、そのままの姿で続けていくべきなのか人が介入するのか(シカについてはフェンスを設置したそう。)が問題ですが、やはり人間がいる限り、自然とかかわりどこかで問題が出てくるもの。
どの様に自然と関わっていくのか、山や森だけではなく海も街も全てにおいての関わりや繋がりが大きな問題になってくるでしょう。
その中で、木を扱う材木屋にできることはやはり木を森を考えること。そしてそこから自分のできることを少しづつでもすすめていくこと。

街と人をつなぎ山や森に対する理解を深め、その上で今回の様な問題の事を考えられる土壌をつくり、その土壌に対しての木材利用や活用法を模索していきたいと考えています。
山を助けるなんて言えませんが、山と街をつなぎ自然に関わるものとしての役割を最大限に発揮していきたいと考えています。

犯人探しではなく、その問題に関わっていけるように・・・


シカ食害 2





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神迎える楡から続く伝説の木 楡(ニレ) 神話編


前回の最後の方は、どこか感情的な表現になってしまっていたかもしれませんが、良いところがないとか長所がないとか言って、一つの樹種の個性を消してしまう事のない様に大切にしたい、そんな思いがつい出てしまったような気がします。

さて、「神迎える楡」というなんともありがたい名を与えられた古巨木から始まったニレのお話ですが、今回はそのニレにまつわる様々な伝説や神話を取り上げて締めくくりたいと思います。

神話という言葉を聞くと、私の脳裏に浮かぶのはやはりヨーロッパ。
横文字の神々の名前の神秘的な事には、小さなころからのあこがれも含まれて未だに魅力的に感じます。
以前、カスクオーク幅広無垢V溝フローリングのところで、オークは雷のシンボル「ゼウス」と関係が深いと言うお話をしましたが、それとは違い、美しいエルムの神に遠慮をしてニレの木には雷を落とすことが無いと言われているそうです。
カミナリおやじも、美人にはめっぽう弱いってな感じでしょうか(笑)。

女神


そして、海の向こうの神話の一つには神が作った人間の種族の祖とされている男性「アスク」はアッシュタモの仲間)の木から、女性「エンブラ」はエルム(ニレ)の木から生まれたとされ、天と地下(おそらく冥界)の間=この地上に住むようになったそう。
あくまでも神話ではありますが、人間と木の密接な関係をにおわせるには十分想像力をかきたてるお話です。
もっとも、「宇宙樹」なる考え方があるくらいですから、人間の祖先が木と関係があっても不思議ではない?!かもしれません。

更にここからは私と同じ「昔の子供」、つまり現在30代後半から40代位の方にはドンピシャな神話が登場します。
おそらくいくらかの男性は、今日の記事の冒頭の神話という言葉が琴線に響いていたのではなかろうかと邪推しています。
というのは、ニレの木は「冥界」とつながりがあるからです。

ニレの木は英国では棺桶の材に、古代ギリシャでは墓地に植えられ古代ローマの詩人ウェルギリウスによると「ニレは黄泉の国に生えている」とされる為に、英語での別名がelfin wood (妖精の木)になっているといいます。
ドイツ北部の町では、農地の守護者であると同時に人間界と大自然の霊との間にある「門」を守る番人であるといいます。
これらは妖精や半獣人、神々の神話などのお話が多く残る地においては人間以外の者への畏怖や畏敬の気持ちとともに、自然やそれを含めた命とのつながりを樹木と関係づけた結果のお話ではないかと推測しますが、それは日本でも同じ。

霊験あらたかな巨樹を訪れたりすると、日本各地において「弘法大師の立てた杖が根付き巨樹になった」なんて話はどこでも聴きますし、「どんなけ杖もってんねん!!」(というか、育つか?!の方か)とつっこむのではなく、その逸話を有難く受け止めて、そんな時代にうまれた巨樹との接見のひと時に華を添えるデコレーションと感じるのがマナーです。
だから、神話の中のニレも同じ・・・とおもいきや、神話にはまだ続きがあるのです。
お待たせしました。昔の子供のお時間です。
私はこのお話ができる日を心待ちにしていました。(というか、自分の更新の都合なんだけれど。)多くの男性諸氏、往年の名作漫画「聖戦士星矢(セイントセイヤ)」をご存知でしょう。
星座になぞらえた「聖衣(クロス)」と呼ばれる鎧をまとい、海の神ポセイドン・冥界の神ハーデスなどのギリシャ神話の神々をモチーフにした登場キャラと戦うという、とても世界観の広い漫画です。
その名作のなかに、ニレの木に関連する人物が出てくるのをご存知か?!

古代ギリシャの伝説によると、アポロの息子で竪琴の名手であるオルフェウスが愛する妻の死を悲しんで竪琴を弾いていると、その音に惹かれニレの木立がわき起こり、オルフェウスは妻を追って冥界に降りて行ったといいます。
しかしながら、彼は妻を連れ戻すことができずに地上に戻りニレの木立の陰に隠れ竪琴を弾いた、というお話。

これは正しく、あの琴座(ライラ)のオルフェの事ではあるまいか?!

オルフェ3

漫画では彼女は毒蛇に噛まれて死にますが、死を受け入れられないオルフェは冥界の王ハーデスに会いに冥界に向かい、ハーデスの前で竪琴を奏でてそのあまりの素晴らしさに、彼女の魂が地上に戻る許可を得、喜んだ二人は共に地上に戻っていくのですが、その途中地上に着くまでは絶対に振り返ってはいけない、という約束を果たせず振り返ってしまい、冥界に縛られてしまった彼女を生き返らせることができなかった、というストーリーでした。

オルフェ2

ニレの神話と聖闘士星矢の原作にどこまでの関連性があるかは作者でしかわかりませんが、オルフェウスの名や冥界に赴くところなどはある程度の共通性がありますし、神話というものは語り継がれることによってより美しく、大きな話になっていくものですから、その関連性を想像して萌えるのは個人の楽しみの世界ということにしましょう。

オルフェウスが竪琴を弾くことによってニレの木立がわき起こる、というのは元々ニレが黄泉の国に生えると言われることから、竪琴の音色に魅せられたニレが地上に枝を伸ばして、オルフェウスを冥界に導いた、と考えられますから、漫画にはニレは描かれていませんが、神話の世界においてはニレは重要な樹木の一つであったことは理解できます。


さて、ヨーロッパでの神話以外にも「神迎える楡」でもさわりをお話したアイヌの伝説に多くのお話が残っています。
ハルニレのアイヌ名は「チキサニ」といいこれは「こすって火をもみだす木」という意味だそうです。
それは、材面が粗く摩擦が効くので発熱しやすいという事と、神が人間に火を授けるのはこの木によった、というところに由来しているということ。
また、神が人間の国を想像したときにハルニレとヨモギが生じたというのですが、これはその両者が生えるのは、耕作の適地だからということと、やせ地や乾燥した土地にはあまり生育しないという性質に由来するものだと推測でき、そのことは、前々回の「北海道移住問答」の記述を参照しても同じことだという事がわかります。
(因みにアイヌ神話で最初に生えたのはドロノキで、次にハルニレだそうですが、両社とも北海道では多くある樹種ですし、ドロノキは神代木でも出てくるくらいに古くからある樹種だということが分かります。)

万葉集では「モムニレ」という言葉で登場する内皮をはがして乾かし、臼でついた食べ物として登場していますが、「もむ」という言葉は古くから木材としてだけでなく樹皮からもみだす利用もしていたことを示唆している一つに例だと感じます。


最後に前回、ニレの名の由来は「ネレ・ネリ」から転じたものだといいましたが、漢字の「楡」は少し違います。
木偏を取った「兪」は、「そうである、そのとおり」などの肯定やその字の通り「癒す」という動詞の意味があります。
知名度がない木材、として書き始めた記事ですが実は何事も否定することなく受け入れてくれる「癒しの木」なのかもしれません。
ケヤキほどの知名度や、タモほどの使い勝手の良さはないかもしれないけれど、神話の時代から人間の近くにあった樹種は、これからも目立つことはなく私たちのそっとそばにいてくれるのでしょう。

オルフェ1

 




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神迎える楡から続く伝説の木 楡(ニレ) 樹木編


楡(ニレ。以降カタカナ表記)という樹種について、興味を持っていたり詳しく知っているという方はあまりおられないのではないかと思います。
街路樹の世界でこそ、プラタナスマロニエ・リンデンバウムとともに「世界4大樹木」と称され、街の景観づくりに貢献しているのですが、殊木材の世界に限っては多く語られることの無い「裏役」であるように感じます。

先日に少しさわりをお話しましたが、私が木材のことを深く知りたいと思うきっかけになった樹種の一つがこのニレで、それこそが「裏役扱い」されている者への興味といえば失礼かもしれませんが、だからこそ知りたくなった経緯があるものなのです。

楡(にれ) 英名を elm (エルム)、学名を Ulmus Davidiana (ハルニレ)

ニレ 1


英名はケルト語でニレを意味する言葉で、ハルニレを指す学名の Ulmus はケルト語の elm に基づくラテン語に由来しDavidianaは植物採集家の A.ダヴィットの名前からきているといわれるもの。
北半球に約45種、又は70種分布するニレ科ニレ属の落葉又半常緑ともいわれる樹木で、比較的大木になる(主にハルニレ)ことで知られている樹種。
日本語の「にれ」は、方言である「ネレ、ネリ」に由来しその樹皮を剥がすとぬるぬるしていて、その粘液を和紙をすく時の糊にしていた事からきていると言われます。

そしてニレというくくりの中にも正確には大きく3種にわけられていて、先のハルニレ以外に「アキニレ」と「オヒョウニレ」があります。
アキニレというのは、まさしくハルニレに対して花の時期が初秋であることから季節が接頭語として用いられている樹種で、学名 U.parvifolia といい「小型の葉の」という意味を含んでいる通り、葉っぱが少し小ぶりなのが特徴。
英名を chinese elm とし中国名も学名のとおり「小葉楡」(他あり)と称していますから、地域が変っても名前はある程度の共通性を持っている(学名などを元にしている場合があることも一因ですが)ということですね。
仲間であるケヤキに似る事から、イシゲヤキ、イヌケヤキ、カワラケヤキなどと称されることもあるのは、材木屋からするとちょっと可哀想に感じます。

ニレ 3

もちろん、ケヤキやハルニレの程の大きさにならないことや大きくならないと言うことは、代用される場面も少ないことも影響してでしょうが、木材の世界では「イシ○○」や「イヌ●●」という名は、決して良い印象では受け取られません。
「●●」に当てはまる部分の材種が優秀であり、それに対して劣っている(材質が硬くて加工しづらい、色や形は似ているが性質は異なるなど)というような場合に用いられるのが「イシやイヌ」の接頭語である場合が多いからです。

本当のところはそんなこと、使う人が気にかけて使えばいいわけで、一般的に劣っているという印象を与えるのはやはり残念です。

そしてもう一種はハルニレに混じって出てくることの多いオヒョウニレ。
英名 manchurian elm 学名をU.laciniata 学名は「割裂した」という意味で、オヒョウニレの葉が他のニレやケヤキなどの仲間に比べて割裂することがその由来です。割裂している様が矢羽根の様に見える事から、別名を矢筈(やはず)ニレとも言われます。対比して中国名も裂葉楡です。
葉っぱ以外の「オヒョウ(アイヌ名アツニ)」というのは樺太の土名が由来だといわれています。
ニレの中でもオヒョウニレの樹皮は強靭なため、その繊維を利用して丈夫で肌触りのよい厚司(あつし)が作られます。
そうです、前回の伝説に登場するアイヌラックルも来ていたという厚司です。

日本以外にもヨーロッパやアメリカでもニレの仲間は見ることができます。
ヨーロッパは西洋ニレ(elm)と一括されているようですが、アメリカではメープルと同様、ソフトエルムとハードエルムという分類があるそうです。
アメリカは国民性なのか、「硬いか柔らかいか?!」という二極分類が好きなようですね。それはそれで、一言で分かりやすくていいかもしれません。

ニレ 4


さて、ここで話を木材としてのニレに移しましょう。
はじめに、建築や木材においてのニレの知名度は低い、と書きましたがそれには理由があります。
それは単純に、科目上「ニレ科」と言われているものの、その中にはニレ当人(当木?)よりもはるかに著名で有用とされるエース、「ケヤキ」が存在するからです。
いや、もちろん古くは他の理由はあれど 、ケヤキの方が大径木に育ちはっきりとした力強い木目に時として特殊な杢の現れる魅力などが、ニレをはるかに上回っていたのでしょう。
ニレは建築や木材の世界ではいつの世も存在する影武者である「似た木材や同種の木材」として、薄い灰褐色の木肌をケヤキ色に塗装をしてケヤキとして販売されたり、無垢の一枚板はケヤキなれど、ケヤキでも単板の製品になるとはニレの単板を接着して「ケヤキ貼り」として出荷されるのは当たり前のこと。
高価なケヤキの代用品、または影武者として実は裏の舞台で活躍しているのがニレなのです。
この様に、多くは薄い単板として利用されていたために、木材としての利用が多くないことから、私が「ニレの木材」を探していた時に入手できなかった理由でもあります。
木材というのは、利用方法が異なればたとえ山に生えていようとも、必ずしも塊の材料となって市場に出てくるとは限らないのが利用の難しいところでもあります。

塗装をしてケヤキとして出荷されるものに「栓(セン)」という木材も存在し、正確にはこちらの方がよりケヤキに近い、というか塗装するとほとんどわからなくなってしまいますが、簡単なケヤキとニレ、栓の見分けは、「木肌の色と道管」です。

ケヤキとセンは、木口から材を見た時に道管という組織が年輪状に並んでいる「環孔材(かんこうざい)」と言われるグループの中でも、道管の配列が(ほぼ)一列であることが特徴です。
その為、板にした場合の木目が非常にはっきりとしていますし、木口の年輪状の道管の配列をみると、小さな道管の孔が2列〜3列に重なることなくほぼ1列に整列しているのが見て取れます。

ケヤキ道管


それがニレでは1列ではないので、木目も少し幅ができて伸びたような感じに見えます。
これが大きな点ですが、木肌の色としてはケヤキの赤身は顕著な橙色のような発色ですし、ニレも遠からずですが大半はくすんだ灰褐色に近くなり、センはタモやナラのような薄い灰色に近い外観になるのでわかると思います。

その他では、一昔前によく見られたものに「赤ダモ」という表記があります。
赤玉、ではありません。アカダモ・・・
これは何によく見られたかというと「階段材」です。
特に細い木材を接着して作られる集成材の階段材ではこのアカダモなる樹種が多くみられました。

赤ダモ



実はこのアカダモはニレのこと、なのです。
この「タモ」という言葉を引用しているのは、東北・信州地方ではニレのことをタモと称することがあったそうで、赤っぽいタモ、という事から来ているともいわれますが、これがまた木材・建築業界の分かりづらいところで、商品上の位置づけとしてはタモという樹種よりもリーズナブル乍も見た目は殆ど同じで材の硬さなども近しい、ということで、手の届きやすい「赤いタモ材」という意味あいで販売されていました。
この業界では「米松(べいまつ)」や先の「イヌ○○」のように、その樹種ではないものでも、似ているものを代用しているケースが多いので、私も初めはタモだと思っていましたが、実は探していたニレが身近で活躍していた驚きのケースです。

それぞれの樹種は、人が決めた価値によって差がうまれスポットライトの当たる「光の樹種」と重要ではあるが裏役に回ってしまう「影の樹種」に分けられてしまいがちですが、それは言うように人が決めたこと。
それならば、また同じように人がその価値をあげてやる工夫をしてやればいいだけのこと。

よし、ケヤキにも負けないニレの良さをアピールだ!!
と勢いづくものの、実際のところはやはりむつかしいのです。
ケヤキに優っていると言われる部分は、「柄」の材としては材面が粗く摩擦が生じることからケヤキよりも良材とされているそうですが、他の材としてのニレは比重平均0.63とやや重硬な木材でありながら、上記の単板としての需要は相当数あったそうですが、ケヤキよりも反りなどが多く(ケヤキもたいていですが・・・)材が柔らかで、表面の仕上がりもケヤキには劣る、材の保存性はよくなく挙句には古い書籍によると「ケヤキ・タモの劣等材」という表記があることで、表舞台には出てこなかったようです。
現在では乾燥や製材技術の進歩によって、利用の難しさから「木で無い」と形容された橅(ぶな)でさえ、さまざまな用途に活用されていますから、ニレも負けてはいられません。
他には、比較的大径木になるので「臼材」として利用されていたり、昔の北海道の防腐処理せずに使う2種枕木の材として使われていたといいます。
それに世界では仲間の樹種は活用されていますし、日本で人気のケヤキも輸出計画があったものの、日本で好まれる特有の橙色っぽい赤身の色合いが、ヨーロッパなどでは受け入れられなかったために、海外には出て行かなかったという経緯がありますから、少なくとも海の向こうではニレの方がポピュラーだということです。

それとは別の価値あるもの、というと神代木がありますね。

神代ニレ 1

これに限っては、魅力は無限大。
樹種の個性に神代という価値が加わり、稀少性や所有感という面を満たすには十分なアイテムであることは言うまでもありません。

神代ニレ 2

特別、ニレの良いところ、と宣伝するのは難しいと思われていると思いますが、よし悪しではなく、あくまでもその表情を活かせる可能性がある使い方をするかどうかの話。
もちろん、様々な杢が出ることもありますが、それ以外にケヤキではあまり見かけないようなこんな模様があったりすることがあるので、上手に活かさないともったいない。

 ニレ 2

こういった味を活かすことこそが、材としてのニレを活かす道で知名度を上げる方法の一つだと思います。
もちろん、無限に資金のある人は別ですが、無垢の木材でリーズナブルなものを・・・と求める人にも強い味方であることは言うまでもありません。
このニレの板も、ダイニングテーブルにとお客様の要望のあるものです。
ニレはコミュニケーションのシンボル。
このテーブルを囲んで会話が弾みよい人間関係が築けると、ニレにも明るいスポットライトが当たったということになります。
影武者ではなく、明るいコミュニケーションの使者。
それがニレの本当の姿・・・



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北の大地は松に非ず 神迎える楡


ついこの前、お正月気分を吹き飛ばす「とんど焼き」が地域の神社にある公園で行われました。

とんど

近年は住宅街の中に、とんど焼き出来るほどの広い場所が無くなったりしたことで、見る機会も減っているといいますが、我が家も会社もご存知の通り毎年年末に注連縄をする習慣が残っていますので、以前から年明け15日にはそれを私自らが焼くことになっています。
そしてその焼いた灰をとり、敷地に盛る事で年末から続く注連縄行事の一つが終わるわけですが、そもそも注連縄を焼くのは、お正月に迎えた神様を、天に昇る炎の煙に乗せて戻って頂くと言う意味もあるそうですが、とんど焼の行われる公園では、その後に配られる焼き餅を待っている人が殆どで、子どもなどは家から持参のおしること合わせて楽しんでいるのですから、神様というよりは地域の一行事、といった位置づけになっているようです。

そもそも神様が帰られるということは、一度お迎えしているわけですがそんな事を意識されることありますか?!
注連縄や門松を殆ど見かけないことから、残念ながらそういった事を考える機会も無くなっていくのかもしれません。
門松も、ただのお正月飾りと思われているかもしれませんが、という樹種は神様の拠りどころになる木である為に用いられているもので、いわばそれをもって神様を迎え入れる様になっているのですよね。

門松に限らずそんな神様を迎える木も、ところによっては様々でその土地に根差した木が、そうなっている場合も珍しくなくて、北の国では実は「ニレ」でした。

神迎える楡 4

この雪をかぶったニレの木は、「神迎える楡」と呼ばれるハルニレという木の古巨木です。
樹齢は300〜400年。
ちょっと数字に開きが大きい様な気がしますが、そんな事はちょっとした驚きの種だけの話で、こういった樹木はその言い伝えや由緒、そしてその存在に有難みを感じるものですから、気にしない気にしない。

神迎える楡 1


解説板の由緒によれば、明治25年に発見されたとあります。
屯田兵の練兵場開設のため密林を伐採中との事ですが、屯田兵の言葉も小学校?で習った事を思い出すと同時に、その時に用いられる「開拓」という言葉が頭に浮かびます。
「密林」という文字のある由緒書きを見ると、開拓という言葉が当てはまるような状況が明治時代の北海道には残っていたのだと言う事を、改めて実感します。

しかしながら、北の広大な大地を「開拓」に来ているわけですから、大切に残そうと思う様な心があっては、作業という意味では進まない筈ですが、このニレを禁伐木として残したという名の知れぬ中隊長の行動には有難さを感じます。
明治時代の北海道庁植民課により編集された「北海道移住問答」なる入植者向けの手引書があったそうですがそこには、「水辺の開墾適地の簡易判定にハルニレやヤマグワが育ち、林床にコゴミやイラクサ(ニレもイラクサ目)の生えているところがよい」とされていたそうなので、この場所の開拓は必至だったのでしょう。
その中の禁伐木です。しかと拝みましょう。

神迎える楡 5

ただ、訪れた時はご覧の通り一面雪化粧だったので、もちろん葉がないために余計に巨大さというものは感じられませんし、ケヤキやクスノキの著名な巨木ほどの大きさもないのですが、ニレという樹種は北海道らしくアイヌの人々との関係が深い樹種であり、もしかすると先の中隊長もそのあたりの事情を知っていたか聞いていたかしたために、わざわざ禁伐木にしたのではないかと邪推してしまいます。

また、北海道大学の寮歌の一節「雄々しく聳える楡の梢・・・」というのは有名ですし、更に有名な、かのクラーク博士も「後々の開発の世になっても、このハルニレだけは残してほしい」と言い残して去ったといいますから、北海道においてのニレのポジションは、もしかすると同じニレ科の看板樹種である本州でのケヤキとはまた違った意味で大きな存在なのかもしれません。

そして洋の東西や時代を問わず、樹木はいつも精霊の宿るものや神の拠りどころ、または神そのものとして考えられてきましたが、北海道においても同じでここではニレがそうなのです。
特に大木になるニレはアイヌの伝説と関係が深く、いくつかの伝説がありますが、そのうちの一つはこの様に語られています。

伝説ではエルムは美しい女神で、エルムの女神に恋した雷神が、足を踏み外して女神の上におちうまれたのが人間の祖であるアイヌラックルである。
しかもそのアイヌラックルは、後述するニレの樹皮の繊維を利用して作られる「厚司(あつし)」を来ていた、と言われますから驚きです。

神迎える楡 6

さて、この「神迎える楡」以外にも北海道には開拓記念木というものが存在します。
それはやはりこの広大な大地が木々に覆われていた時代、切り拓かれていく中で何かを残そうと考えられたのではないかと思います。
どんどんと進む開拓の中で、神社やその当時からのご神木以外のところで、それに携わった人たちは何かを感じたのでしょう。
そしてそこに立つ1本の木を記念木とした。これも神様ではないにしろやはり心の拠りどころの一つだったのかもしれません。

さて、最後に神様を迎えるニレと有難く記念撮影。
足元が埋まる様な雪の為に、なかなかよいアングルで撮影することができなかったのは、雪国の巨樹を冬尋ねるという無謀な試みに慣れている身とはいえやっぱり冷たい。

神迎える楡 2


ニレはケヤキと同じ科目に属する樹木ですが、銘木の一級品として扱われるケヤキに比べ、その扱いや認知度は非常に低いように感じます。
関西圏に限ったことなのかどうかはわかりませんが、私が初めてニレという樹種を知った時に、ケヤキとの違いがわからず実物を見比べてみたくて周りを探してみたものの、ニレの木材を扱っているところがなく挙句には「そんなんもってるところないでぇ。つこてる(使ってる)とこ無いんちゃう。」と言われる始末。
同じ様に「タモとシオジ」、「モミとツガ」の違いなどにぶつかっていた時分だったので、「ニレとケヤキ」が入る事で疑問の袋ははじけてしまい、それ以来「木材探しの沼」に入り込んでしまうことになるのでした・・・・

次回以降は、その「沼」の入り口となったニレについてのお話をしていきたいと思います。

神迎える楡 3


神迎える楡(ハルニレ)所在地

北海道旭川市東旭川南1条6丁目3-26

旭川神社の参道にあります。境内も広いので駐車可能。(といっても、雪の為駐車表示も見えないのですが、おそらく大丈夫です。)

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小さな記事が、実は大きい問題


人間、どうしても大きく表示されている物や目立つもの、目をひきやすい様に見せられるものには自然と注目するものだと思います。
日頃から宣伝されている物の一面の「うのみ」ではなく、できるだけ多くの面から物事を見るようにと思っている物の、果たして自分もどれだけの事を見る事ができているかはわかりません。

今朝の新聞に、某国が2025年までにメタンの排出量を40〜45%減目標、という小さな見出しと、短い記事を見つけました。
内容は見出しでほぼ言いつくされている様なモノですが、見出しよりも実際に大事なのは本文の中の「メタンの温室効果は二酸化炭素の25倍あり・・・・」というところ。

メタンのもたらすもの


学生時代に、理科が苦手科目だった為に理数科に進まなかった私には、表記の「メタン」と「メタンガス」の詳細な違いまで言及できませんが、現在各国で採掘が期待されている石油代替燃料の一つである「メタンハイドレート」に含まれるメタンガスが、二酸化炭素よりもはるかに地球への温室効果をもたらすことは、以前の記事でもお伝えしていますが、その時の一般的な報道には日本近郊にも豊富に埋蔵されている貴重な資源という取り上げ方で扱われていたので、どこにも「はるかな温室効果」は記載されていませんでした。(一方で地球温暖化はない、と主張する意見もありますが・・・)

一方聞いて沙汰するな、とは数年前のドラマのセリフですが、物事にはいろんな側面があります。
一方から見るととてもいい事でも、別の方向から見ると問題がある場合もあり、また立場が違えば違う考え方もある為にとても複雑。
商品を宣伝する時も、良い面は積極的にうちだされますが、そうでない面を積極的にアピールすることはありません。勿論です。売りにくいだけです。
欠点や良く見えないところなどを出すよりは、良いところを如何に良く見せるかに注力するのが通常。

自分の関わっている木材に関してでも、梱包で購入する木材の外側部分は「節の無い、色の揃ったものでお化粧」されていたり、昔話ですが良い部分に目を向ける為に、木材を立てて保管する時は綺麗な方を上向きの見える面に並べておく、という手法もありました。
人間は長い木材が立ててあると、下の方を見ることは先ずありません。
必ず上部を見上げます。木材だけではなく、高層ビルや高い山、大きなものを見るときは必ずと言っていいほど見上げます。
その心理に基づいたものです。如何に良く見せるのか!?、という方法ですが、現在では「お化粧」をして売る木材が少なくなってきたということもあって、そういう手法も無くなりつつありますが、それでも木材においてもその材の持つ特徴は、良い悪いではなく「その物の特徴」として捉えてもらいたい為に、私は画像でしか判断できない記事のなかでも、できる限りの木材の表情を掲載するようにしていますし、「欠点」と言われがちな特徴も小さくはせず掲載するようにしています。
そういった部分も含めてとてもわかりやすかった、良い面のセールストークだけではわからない部分をたくさん知ることができた、といっていただける様になりました。

もちろん、全てをお伝えする事は難しいかもしれませんが、木材に関してはできる限りの事を知ってもらいたいといつも思っています。
もっと綺麗に良い面を大きく見せれば良いのに、と言われることもありますがそんな一面だけを表現することが下手な私ですので、綺麗に見せることはできませんが、少しでも多くの木材の表情を伝えていきたいと思います。

先日の「木質バイオマス」においてもそうですが、一見とても有効な手段に見えるものでも、見方を変えれば色々な問題が見えてきます。
大きく取り上げられる良い面ばかりではなく、小さく表示されている部分にも目を向ける注意は、何事にも必要である事を改めて実感する、ほんの15行の記事でした。




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続 2mmというのは無垢か否か・・・ フローリングの変遷に見えるもの


前回は、疑問の答えが思いつくままに突っ走ってしまった感があったので、改めて整理したいと思います。

もともと、「2mm」も含めた複合フローリング(以降、合板フロアー)が現在の様に普及したのは、様々な説がある様ですが、ベニヤ板(合板)の普及と「良質な」単層フローリング(以降、無垢フローリング)生産用原木の減少が理由のうちではないかと言われます。
もちろん、生活様式の変化もその一因だったことでしょう。
スギやヒノキ、マツといった針葉樹の板材中心の和に近い様式が、ナラやブナなどの広葉樹板材を使った洋風板の間になっていった世の流れも大きかったことは想像できます。

床に限らず、壁にもベニヤ板を基材にした単板貼りの「銘木合板」の普及もあり、施工性の向上や寸法規格の安定などの恩恵もあり、普及するのは当たり前だったことでしょう。

しかしながら、世界的にみると合板フローリングというのはあまり求められていない場合が多いので、現在の様に合板の技術が進歩しているのは、日本の建材界の一つの特徴といえるのかもしれません。
生活スタイルが変わったとはいえ、住宅において日本は靴を脱ぐ習慣があり反して諸外国は土足です。
フローリングの場合は表面が均一でなくても、キズがつきにくくなくてもいいわけです。
その点日本は、表面の木目の意匠性や耐傷性、施工性などの点において世間に求められる点を悉く見事にクリヤーして来たという点では、合板フロアーはとても優秀です。
さらにいえば、今は当たり前ですが床暖房という無垢の木材には過酷な状況である設備にも、殆ど狂いなく対応している点などは、実は凄いところであるのです。

また、合板フロアーの特徴として、稀少な木材を多くの人の目に届けることができるという利点(?)もあります。
たとえば、こんな樹種も合板でならフローリングとして出荷されています。

合板フロアー2


表面単板は「ゼブラウッド」。
シマウマの様な縞模様を現す木ですが、通常の無垢材ではフローリングというような使い方はしません。
それでも、合板フロアーであれば、薄い単板を合板に貼りつければ普段目にすることの無い木材も、自身の自宅の一部として取り入れることができると言うわけです。
私自身としては、稀少な木材こそ、薄い単板にしてしまうのではなく無垢の木材として使い切りたい気持ちになってしまうのは木材馬鹿だからでしょうか・・・

合板フロアー3


それに、木材の欠点といわれる節や傷、木目の不均一さを取り除き、生産性も商品制度も施工性も、そして価格や品質の均一化など全てにおいて同じ品質で出荷できる様にしたことは、やはり日本ならではの技術の一つといえるでしょう。

しかしながら、日本は古くから木に親しみ、現在でも木目のフロアー等が人気がある様に、木が好きなハズですが、実際に使用しているのは木そのものではなく、合板フロアー等の木質材料です。
日本は木の文化だ、といわれるものの実際の生活や使うものの中に無垢の木材が少ないのは、努力の末に高い精度で作られた木質材料の質が高すぎることも大きいのかとさえ思ってしまいます。
前回の様に「無垢を超える」、「無垢の欠点を克服した」という、無垢の木のものよりも木からできているスグレモノが選ばれている様な感じです。
全てのものが均一に手に入る世の中になってしまった結果なのか・・・

元々の木材利用は、木材の持つ性質を活かし理解し使っていたものが、合板が普及するにつれ人間が不都合に感じる事を克服してきた、という感じもするけれども、そう考えると「2mm」が普及する理由は、やはり現在の住宅の床において求められるニーズにあっているからなのだろう。
最終的には無垢の木を求めるのか、無垢の質感をもった性能を求めるのか・・・という違いか。

とても高い技術で普及させてきた合板フロアー。
質が高くて均一な商品が生まれてくるのは、努力の賜物。
無垢も、「無垢を超える」合板も選べるのは、もしかすると日本だけかもしれない有難い環境にいるのかも・・・

これからどこまで進歩するのかわからないけれど、良い意味で負けじと無垢の木材も進歩させていきましょう。
傷や木目の違いが感動であり続ける為に・・・

 
木のビブリオが、それぞれの木が持つストーリーとともに、こだわりの木材をお届けするブログと、稀少木材・無垢フローリングのホームページです。

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2mmというのは無垢か否か・・・


木材も人間も見た目が大事。

変な意味ではなく、やはり一見しただけの状態では、木材もその性質を知ることができませんし、人間もその人となりまで知ることはできませんから、やはり第一印象というのは大切なもの。

木のお話の記事ですから、人間のことはおいておいて木についてですが、木の第一印象といえば「木目やその色合い等の表情」という視覚的な要因が大きいことは想像できます。
自分の感性にあった色目だったり、雄大な木目だったりと「個性的」な木材の特徴に惹かれるのだと思いますが、では、その惹かれる木材が継ぎはぎや貼り付けのない無垢の木材であるかどうか、というのはその木の事を判断する材料には入ってくるんだろうかと最近疑問に思います。
そうです、以前にお話したように・・・

昨年訪れた多くの建築材料の展示会で見た光景がよりその疑問を強くしました。

日頃継ぎはぎや貼り付けのない無垢の木材をすすめている私にとって、「これなら無垢なんじゃない?!」と問いかけられているように感じるこれが、疑問の種の「2mm」です。

2mm

写真はフローリング表面に、挽き板と称される厚さ2mmに切り出された板を接着している物です。
木口から見た写真だと、合板の基材の上に茶色い2mm厚の表面材があるのがはっきりと見えています。
ではいままではというと、下の様に基材の合板は同じですが表面には0.2〜0.6mmという非常に薄く削り出された「単板(たんぱん)」と称されるものがはられていますから、木口から見ても、ベニヤ板にしか見えません。
(少し厚く見えている部分もベニヤ板です。)

合板フロアー

もちろん、いつも無垢フローリングと呼んでいるのは厚さ方向に積層されていない一本の木からできている物を指していますから、木口はこんな感じですね。

無垢

素材の違いは木口から見てとれるとして、フローリングの素材とした時に、これらの違いは何があるのか。
また、最近話題の「2mm」の理由は何なのか?!
改めて考えるには、フローリングの定義を整理する必要がありそうです。


そもそもフローリングの規格はJAS(日本農林規格)にて定められていて、大きく分けると「単層フローリング」と「複合フローリング」に分類されています。
既にここで、「無垢フローリング」と「合板フロアー」といった言葉は用いられていないことから、それらは一般名であることがわかります。
では、単層フローリングがすべて一般的に言われる無垢フローリングかというと、これまた別で、その中には「その基材の表面に厚さ1.2mm未満の化粧単板を貼り合わせた物を含む」という規定があるので、表面に貼ってあっても単層フローリング扱いになる。
複合フローリングはというと、「単層フローリング以外のフローリング」を指していて、1種(ベニヤ板+化粧単板)、2種(集成材若しくは単板積層材+化粧単板)、3種(MDF又パーティクルボード等1種、2種以外+化粧単板)の3つにわけられています。
こちらの方は、合板フロアーという名称の印象に近いものだと感じます。
ただ、一般的に流通している無垢フローリングは、JASの認定を受けていないものが殆どなので、合板フロアーの様にどの会社を選んでも同じ様な規格品質ではないことが、無垢フローリング選定において一番難しいところなのかもしれません。
だからこそ、合板フロアーメーカーの様に美しくは見せられなくても、できるだけ平易に、写真なども多く掲載してお伝えするように心がけています。

さて、この概念で考えると、表面2mm挽き板のフローリングも複合フローリングに含まれることになりますが、どうもコマーシャル的には無垢フローリング(単層フローリング)と同じ様な扱いになっている様で、しっくりとこなかったのです。

私の中では、表面に如何に厚い板を貼っていても単層でないものは無垢材とは言い切れない、というようなこだわりがあったからですが、それ以上に大きな原因のあることがよく考えているとやっと理由がわかってきました。
それが冒頭の見た目が大切、という点と単層フローリング(無垢フローリング)と比べすぎていると感じる点。

2mm挽き板フロアーと無垢フローリングを同じ樹種であるオークで外観を比べてみましょう。

無垢と2mm 2

左が無垢フローリング、右が2mm挽き板フロアーです。
2mm挽き板には塗装が施されているので色目が異なる点と、無垢フローリングは節の混在するグレードなので、単純な見た目では比べにくいですが、この様に並べていても、どちらが無垢フローリングでどちらが2mm挽き板フロアーかの見分けはつきません。
だって、表面に2mmの木があるわけですからある種当然。
外観においては、無垢フローリングを求める人も納得できるほどに「無垢」です。
しかし、だからこそ無垢フローリングとは比べる必要が無いと思うのですが、どうしても比べられてしまうのが残念なところ。

「限りなく無垢に近づけた」、「無垢を超える」、「無垢のトラブルを解消」といったように、無垢の木材に勝っている!というイメージを持たせるようなコマーシャルになりがちだからです。
先ず考えておいて欲しいのは、キズがつくことや変色退色すること、隙間のできることや反ることは、そもそも無垢の木材の欠点や短所というものではなく、性質です。
木は決して人間に利用される為にあるのではありません。
私たちが利用している物です。その都合が悪い事を欠点などと片付けてしまうから、無垢材の問題点というような発想になる様に思います。

歳月を経た民家やアンティークなカフェ、歴史のある家具の魅力は感じるハズです。
それは、キズが付き、変色退色し、時間の経過の中でずっと使い続けられる無垢も木材だからこそうまれる価値。
それを求める傾向は以前強いにも関わらず、無垢材には欠点があると言うように扱われることに疑問を感じていたのです。

そう考えると、やはり木材や無垢フローリングも見た目が大切、と一層感じます。
そして、どちらを選ぶかは生活スタイルとどんなものを求めているかによるもの。
床に性能を求めるのなら合板フロアーでしょう。本当の無垢の木材の足触りを求めるなら無垢フローリングでしょう。
比べるより、求められているものを聞きとり話し合えばいい。
こっちなら問題点が無い、というすすめ方ではなく違いがわからない方に対してもじっくりと話をして、その上で求められている物を提案する機会が合板フロアーなのか無垢フローリングなのかで決定してもらいたいものです。

とはいえ、この「2mm」の流れには考えさせられるところもあるのです。
木材は今まで「木はこんなもんや」とか「それが普通」といった言葉で説明せずに通してきた面が多くあると感じます。
だから、いくら無垢の木材がいいとコマーシャルしても実際には上記の「短所」と言われる部分に意識がいってしまい、なかなか使われていない現状があるのですが、今までどおりではなく木が持つそれぞれの成長ストーリーをからめた見た目と、「性能」に負けない「性質」の良さを上手にアピールすることが無垢の木材が普及するきっかけになる様に思います。

無垢の木材は比べられるものではなく、本来は唯一無二のもの。
画一化された性能ではなく、個性豊かな部分に惹かれる御仁にこそふさわしい。
短所と言われている部分すら良さに感じる、アンティークや民家に言われる「良い雰囲気」の源流を自分とともに育んでいく無垢の木材、やっぱりいいなぁ。
おっと、妙に納得して「2mm」が多くなっている理由を考えるのを忘れていました。こちらは次回に持ち越し。宿題ということで・・・


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まだまだ知られていない材木屋 その使命


材木屋としての個人的には、ここ数年で木材や木に関する一般の方の関心はとても高まり、木に関するイベントなども多く開催されているので、木の事を相談する材木屋を探される方も増えるのではないかと勝手に思っていました。

ところが、そうではないんですよね。勝手に思っているだけ。
そんな事を痛感する事がありました。

昨年末、ある小学校の先生から電話を頂きました。
「こんな寸法の木材をつくってもらえますか?!」
もちろん可能なのですが、間違っていてはいけないと言うことと少し困っておられるような様子だったので、会ってお話を伺うことにしました。
すると、冒頭の私の想像を完全に否定されるお話を聞く事が出来ました。

先生が希望されていた木材というのは、積み木より少し大きいかというくらいの小さなサイズの長方形の木のブロック。
低学年の授業で使いたいと言うことなのですが、なんとかお願いできませんか?!、と最初から出来ないだろうお願いをしていますが・・・というようなテンションに聞こえます。
もしや、1mmと狂わず直角に裁断してほしいとか、樹種などの条件が物凄く厳しいのか?!、と構えてしまいましたが、よく聞いてみると問い合わせたホームセンターの様なところでは、在庫品のサイズが合わないとか、裁断手間が大きくなるとかという理由で、できなかったそうです。
ん?!待てよ・・・
ホームセンターに聞いておられたの?!材木屋でなしに?!

そう、これが現実。
材木屋当人は、木の事ならみんな材木屋に聞きに来るだろう、と少なからず思っているところが、大工さんを始め一般の方や木を欲する先生でさえも、材木屋ではなく、量販店が最初に浮かんでくるのです。
ホームセンターで日曜大工品や建築用材まで揃う現在では、材木屋に行かなくてもある程度の木材は入手できますが、わかってはいても、頭のどこかでは、木が必要なら買いに来てくれる、と思っていたのは私だったのかもしれません。

サンプルの木材を目の前にしてお話をすると、何のことはない、子どもたちが勉強する教材に合わせた「実際に触れる教材」として、是非木材で形をつくって欲しい、という依頼で、サイズも特別特殊でもなく加工も無理なく出来るものだったので、すぐにお引き受けするお返事をさせてもらいました。

教材製作2


始業式にサンプル程度にあれば助かる、ということだったので、すぐに製材に取り掛かり拵えさせていただきました。
後日引き取りに見えた先生は、「これです!!ありがとうございます!」とにこやかに喜びを現してくださいました。

やっぱり、木のものをお渡しして喜んでいただけるのはとっても気持ちのいいもんです。
これは、ただの商品というものではなく、木だからこそ、材木屋だからこそ味わえる特権。
これで、3学期の授業が楽しく面白く、そして実りあるものになることだと思います。
そして私としては、今回の様なケースで一番最初に声をかけてもらえるような存在でなければいけないと思いますし、これをきっかけに小学校の児童にも木のなんたるかを届けられないかと、先生に相談中。
材木屋が先生になる、そんな日が近づいてきそうです。
今回の製作がどんなものだったかは、私が先生になったら教えます(笑)。

よーし、頑張って木の魅力とちょっとだけ人生の話を交えたトークで、今年はお客様以外に児童の心もつかんでいくぞー。

教材製作1


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私のお正月、ちょっと公開


表題の「ちょっと公開」を入力して変換すると「ちょっと後悔」とでた・・・
お正月早々なんと縁起の良くない!!、と思ってよく考えると直近で、木材の加工や特性を理解してもらうためのお話の原稿をつくっていて「後悔する」という言葉を入力していたからでした。
あー、びっくり。

本年は、明日5日が月曜日ということもあり、建築業でも明日から営業されているお店も多いようですが、弊社は年末の仕事納めが比較的遅いこともあり毎年新年の7日が初出となっていますので、「一応」まだお正月です。
「一応」としたのは、どちらにせよ私は仕事をしてるから、です。

お正月 2

ブログの更新準備から始まって年始の仕事のチェック、今取り組んでいる書類の整理と校正などなど・・・
考えると終わりというものが無いので、キリがなく・・・
そんな中でも、日頃一日の休みではできない子供サービスや、こちらも一日では到底終わらない趣味の本の読破にもうちこめるのがお正月!

お正月 4

子供たちが当たり前のように乗りこなすJボードやリップスティックなんかも、練習の結果この通り。(写真じゃわからない?!)

お正月1


この期間が、私の大事な充電期間。
鋭気を養って、本年もよい年にするべく充電いたします。
ショールームでは既にお話している方もいらっしゃいますが、通常営業のお客様には、7日より、今年も一年よろしくお願い申し上げます。

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日本一の山


恭賀新年

新しい一年を迎える事ができる幸せを感じながら、こうやって記事を続けられる幸せも感じています。
例年は日本一の巨樹を紹介することを考えていますが、今日は昨年初めて訪れた日本一の山を掲載して、志高い一年の始まりとしたいと思います。

日本一の山

本年も一年、よろしくお願いいたします。


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