空を見上げて
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2014年12月

注連縄で心もひきしめる


弊社の通常業務の営業は、毎年12月28日までです。
そして29日には一年(正確にはお盆以降)の埃をおとし、整理整頓する為の大掃除をします。
そして今日30日は、会社の注連縄をする日です。

注連縄

早いうちからしておられるところや、大晦日にされるところなどもありますが弊社では、昔から「31日では一夜づけになるから、30日にしてしまわないかん」と言われてきましたので、必ず30日に行うようにしています。
これをする事で、今年も一年無事過ごすことができたということと、新年を迎えられる新たな気持ちで心が引き締まります。
今年も一年、有難うございました。新年は、新たな戸田材木店のスタートとして新しい取り組みをすすめていけるようにしていきますので、よろしくお願いいたします。

皆様、良いお年を!!

 

 

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新しい活用法のもたらす一面 山の木はどこへ?!


在庫無し!!無いでぇ。

木材市場に問い合わせしてこんな答えが返ってきてびっくり。
そんなにたくさん出荷してるの?!、と聞くとそうではなかった。いつものこと、だった。

私が問い合わせた材は、最近ではめっきりと使う機会の少なくなってしまった材なんだけれども、無くなるというようなものではないと認識していた。
それが入荷しないという・・・・

一つの物事について考えるとき、どうしても一人だと言うことや考える事が偏りやすく、偏見の様にきこえる事を承知で、今回は私の立場から感じた事を書いておきたい。
少し前の新聞に、木質バイオマス発電の記事を見かけた。
林野庁のホームページによると、木質バイオマスは「再生可能な、生物由来の有機性資源(化石燃料は除く)」うちの木材からなるもののことをさす言葉だそうです。

新しい利用法1

その原料となるものは、樹木の伐採や造材のときに発生した枝、葉などの林地残材、製材工場などから発生する樹皮やのこ屑などのほか、住宅の解体材や街路樹の剪定枝など、と定義されています。
さらにその下にグラフが表示されていて、年間2000万㎥発生する「林地残材」と言われる未利用間伐材(間伐だけではないと思うが)は殆どが活用されていないと書かれています。

新しい利用法 3

新聞記事にも、山間の町に木質バイオマス発電所ができ、木質建材メーカーの木くず廃棄処理費用が不要になり、売電収入ができ、地域の家庭電力も来年稼働の木質バイオマス発電所によって賄う計算、とある。
豊富にある森林資源の一つの活用法と考えると、電力の供給がなにかと話題になるこの国では、有効活用の様に思える。
しかし、この事のいくらかは冒頭の「在庫の切れた木材」につながっている。

先に「いつものこと」と書いたのは、山からの木材の流れというのはいつも簡単に社会の流れに左右される、と思うこと。
何かと話題になるスギやヒノキの人工林のこと(これも人工林が全て悪いわけじゃない。近々書かないと・・・)や、直近でいえば「木材利用ポイント」のこと、そして今回の木質バイオマス発電のこと。
いつも振り回されている印象。
必要だと言われて植えたものの、価値が無くなったといわれて放置される、製材する丸太が無いと言われる位に「国産材利用」が広く浸透するはずが、国産材の指定が緩んだ瞬間に材が余ってしまう現実、どんな丸太でも一定の価格で買い取り、助成がつくことにより一所懸命育てた材も値段がつかず、木材にならずに裁断されるケース・・・・
それらは様々利用されている広い部分の一面かもしれないけれども、捉え方によっては「氷山の一角」。
同じ「一部分」だとしても、その下に潜んでいる見えていない部分の問題を正確に捉えていないだけではないかと思う。

林野庁の書いている様に、林地残材と言われる物を活用するということと、枝葉を利用すると言う形はもっともなところではあれど、その中には出荷するのが
とても大変な場所である場合もあったりして、「山に残ってるものを有効活用」というような絵に描いた餅にはならないところと、その代わりに今まで木材として利用されていた径の小さな丸太が製材されずに、木材チップに加工されているのが現状。
木材チップは本来、物凄く曲がっていて木材として製材できないものやかなり小さな丸太、枝、その他廃棄木材といわれるものを原料としているとおもわれるところ、実際は「製材しても売れない、儲からない」流れで一定価格で「売れる」方へ流れている場合がある。
それが今回、「チップに全部いってまうねん。」という氷山の一角。
本当は、その用途寸法の木材として製材できるものをわざわざ細かく裁断してしまう、残念です。

もちろん、それも我々の様な材木屋をはじめとする流通と消費の需要が求めていないからという理由もきちんと考えないといけないながらも、本来の用途のあるものが未利用材と同じように扱われているのはやはり本来の国産木材の活用とは少し違っている様にも感じる。

以前にベニヤ板の需要が膨れた時に、「丸太が無くなった」と騒いだ時と同じです。いつものこと・・・
そんなことの繰り返しでは、本当に日本の森や国産材というものは良くならないし普及には現実味が無い。
もちろん、その価値を求める人にのみ提供できればいいという考えも出来ますが、国内の森林全体について考えるとそれだけではいけない部分もある。

だから、私たちは私たちなりの木材としての活用法を考えないといけないし、木や山の事を考えて使ってもらえるような啓発が必要。
ただ、木は良いもの、という氷山の一角を見せるだけではなく、木の全体をみて山を知り、そこからまた木のものを見つめ直せる機会を多く作りたい、と感じさせる木材の利用法の話、でした。
これは私の立場だけから見た「一角」のお話ですが、来年以降に持ち越しの宿題です。

新しい利用法2



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フローリング表面に養生テープ貼りは厳禁です


年末、いろいろとバタバタされていませんか?!
あれもこれもと思いながらも時間がどんどん過ぎていく、と感じる時期です。

そんな時、建築工事もいよいよ最終段階、室内に敷いてあった養生板を外して手っ取り早く掃除にかかって綺麗にしてしまいたい、というような時があると要注意。

こんな事にならないように、気をつけましょう。



テープ接着面には、フローリングの繊維と糊の跡が残っています。

フローリング養生のためのテープは直接床に貼ってはいけません・・・・
急いでテープを剥がすと木の繊維を一緒にはがしてしまいやすいうえに、急いでいてもいなくても、糊は残ってしまいます。
テープをフローリング表面に固定すると、壁際に少し固定代になるフローリング部分が露出することになる為、この様な表面の剥離並びにテープの糊残りによる変色以外にも、広葉樹フローリングの道管という木目の様に見える部分に、石膏ボードなどの建材の粉が沈着してしまうことがあります。
それらは沈着すると拭い去ることが困難になるので、注意が必要。
フローリング養生も、ただ傷つかないように覆っておく、という以外にも配慮しておかないといけないところが多くあります。
フローリング自体の施工方法以外に、こういったところにも気を使わないと後悔することになってしまいますから、「床の工事だから要領は一緒」と決めてかからずに、綺麗な貼り上りを目指しましょう。



・弊社へのお問い合わせはこちらから
・その他の無垢フローリング・羽目板ラインナップはこちらの記事下段から
・無垢フローリング・羽目板の一覧はホームページからどうぞ

*2019年以前のリンク表示をクリックしても過去リンク記事が見られない場合は、こちらの手順でお願いをいたします。
*消費税10%への改定前、2019年9月以前の記事の価格は旧税込み価格となっています。お手数ですが、ご連絡の上正式なお見積の依頼をいただけますようにお願い致します。(ホームページ価格も改定が間に合っていない物もありますのであしからずご留意ください。)


 木のビブリオが、それぞれの木が持つストーリーとともに、こだわりの木材をお届けするブログと、稀少木材・無垢フローリングのホームページです。

・樹種別無垢フローリングのブログ記事一覧 
http://muku-mokuzai.livedoor.biz/archives/1611916.html

・戸田材木店・セルバのホームページ
http://selva-mukumokuzai.jp


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姿を消し、存在感を現すセルロース


私ちょっと前に、身も心も木になりました。


もちろん、そんなことあるわけないですけど、気持ちはいつも木の事を考えていますから、木のものといえば興味が湧くのは当たり前。
それが「未知のもの」であればなおさらです。

少し前に、次世代の注目素材として現在各所で研究開発がおこなわれている「セルロースナノファイバー」の事を紹介したことを覚えているでしょうか?!

ナノファイバー1


私たちの様な、街の材木屋にあるゴツゴツとした大きな塊の木材ではなく、顕微鏡レベルより更に小さな「元々は木材」という位の小さな世界のお話ですが、木材をはじめとした植物の構成要素の一つであるセルロースが、現在自動車や航空機、その他で多く利用されている「カーボンファイバー(炭素繊維)」の次に日本での実用化が期待されている材料です。

そのセルロースナノファイバーに、先日触れることができました。
これが実物。

セルロースナノファイバー 2

えぇ?!どこがナノファイバーなの(笑いどころです・・・)
ファイバーという名前からすると、繊維状のものを想像しますが、これはいわばその原液であるセルロースナノファイバー水溶液。
木材の基本部分を構成している物質といっても過言ではない「セルロース」は、想像以上に分解しにくいのです。
シロアリやキクイムシなどは木材を食害しますが、人間は決してそんなことできません。
考え方によっては、彼らは凄い生物なのです。彼らを不要な生物のように思ってしまうことがしばしばですが、特にシロアリは人間が利用するに困難だと考えていたセルロースをも自身で分解できる「自然界のすぐれたお掃除屋さん」であるとも言われます。

話を元に戻すと、その分解されにくいセルロースをこの様な状態にするには、水を使うのだそうです。
このセルロースナノファイバー水溶液は、なんと99%が水で1%がセルロースで構成されているほど水と接しやすいという性質を利用して、取り出しの困難だったセルロースを利用しやすい形にすることができたそうです。
水を使うことで、、微細なセルロースが含まれる「水溶液」ができ、木材や植物という形を成したセルロースのままとは全く違う色々な物に応用できるセルロースに変身することが可能になっているわけです。

そして冒頭の水溶液、実は口にする事ができます。
以前に超低カロリーな食品が木材から作ることができるということも書いていますが、それと同じ、成型されていない状態のものを、今回口にする事が出来ました。
おそらく、口にしても問題ない、と聞いていても進んで口にする人はいないと思いますが、私はもちろん先ず先に口へと運んで「木の味」を確かめてみました。

セルロースナノファイバー 1


う~む、、、、なんともない・・・・
正直な感想がこうです。なぜかというと、味が無いからです。
美味しい食品には高カロリーなものが多いのと反対に、極端にカロリーの少ないセルロースナノファイバー水溶液は、無味無臭。(実際は入れ物の中の匂いが移ってはいたけど)
だから、別に感動はありません。が、私としては更に自分と木が近い存在になったようで、嬉しいのでした。


ただ、今回は強靭な素材としてや食べられることだけが目的ではありません。
通常、セルロースは木材を構成する物質とはいえ、木材であるうちはそれ自体を肉眼で見ることはできません。
この様な水溶液としては見る事ができるのですが、その見えている物を消す研究が続けられていた事は、あんまり知られていないのではないでしょうか?!
この水溶液からできる素材が、無限に広がるとすら感じてワクワクする私ですが、とても強靭な生物由来素材であると同時に、色々な物に成型したり薄く繊維状にしたり、はたまた食べる事が出来たりするのに、その存在をも消せるというのか?!

実は、その研究が進んでいたのは大分前にある筋から聞いていました。
それは「セルロースから透明な紙(正確には紙状のもの?)がつくれる」ということ。
意味わかります?!透明な紙、です。
紙というと、白っぽい色がまぁ普通。着色している物やざらばん紙(*)などもありますが、思い浮かぶのは白色。
(*)幼稚園や小学校でもらってくる連絡のプリントなどに使われる、薄茶褐色がかった紙。この呼び方は地域性があるのか?通じないこともあるみたい・・・

その思い浮かぶ白は、漂泊されているということと人間の目から入る視覚情報上白く見えていますが、その色をセルロースナノファイバーからできた紙は消してしまうことができるというのです!!
では、消してしまってどんな事に使われるのか?

それが今注目を集める理由の一つ、映像を投影したり軽く持ち運んだりできるディスプレイなどへの応用です。
ご存知の通り、携帯端末の発達やテレビの大画面薄型傾向で、ディスプレイの供給というのは大きな役割を担っています。
しかし、ディスプレイになるほど透明にするにはどうしたらいいのか?!
そこが不思議なところだと思いませんか?!プラスチックやガラスのように、透明なものに慣れているとそう感じないかもしれませんが、そのものを透明にするというのは凄く難しい問題だったようです。

軽く強靭でさらに透明で曲げることのできるという、次世代の素材のからくりは、屈折率を応用することで透明になることができているそうです。

人間の目は、光を色々な形で認識して色や形などを映像として見ていると言われますが、私たちが見ているものには空気が含まれています。そして、その空気があるからセルロースは乳白色に見えているのであって、その乳白色を透明にするには、同じ屈折率のものを入れてやればいいのです。

テレビでは詳しく解説はしていませんでしたが、透明なガラスの棒をを用意し、片方は水に、片方はサラダ油につけてみると・・・
空気中で見ると透明なはずのガラス棒が、水中でははっきりと見えるのに対して、サラダ油では見えません。

ナノファイバー6

これこそが、屈折率で人間の目に作用している働きです。
それがわかれば、セルロースナノファイバーに合う屈折率の樹脂を含浸させれば、透明になる、という次第です。
すごいですねぇ・・・

そしてこれを応用して、透明で折りたためるような紙(ディスプレイ)ができるのです。

ナノファイバー5

知ってしまえばすぐにわかることかもしれませんが、分からない出口を探していた時の苦労は大変大きなものだったと推察します。

こんな近未来の素材に、植物うまれのセルロースナノファーバーが活躍しようとしているのです。
約5000年前、人類がパピルスから、現在の紙に似たものをつくりだして以来
、文明発達の傍には紙があったことでしょう。
意思を伝える、そして残す、それによって広く多くの人が同じ情報を共有できるようになる紙というのは、とても大切なパートナーだったであろうと思います。

その紙が、ついに白という概念を脱して「無色透明」に脱皮しようとしています。
それとともに、文字を書くと言うだけの用途ではなく、投影する・表示できる媒体に進化を見せようとしています。

木が作り出す未来は、木造住宅や木材としての利用だけにとどまりません。
新しい可能性を示している木をはじめとする植物由来材料のある未来。
石油の枯渇や原子力問題などなど、色々な事がありますがそんな中にも、研究してくれる方たちの努力によって新しい素材の恩恵を受ける日がそう遠くなさそうです。
近い将来は、セルロースナノファイバー製の車や飛行機で移動し、飛行機の機内食は日本特産のセルロースラーメンと、デザートには融けだしにくいセルロース配合のアイスクリームなんていう時代が来るやもしれません。

ナノファイバー3


早く乗りたいなぁ、そんな乗り物。
セルロースのある未来に乾杯!!


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年末年始 業務休業日のご案内


さぁ、物凄く冬らしくなってきました。というか、降り過ぎな位の雪の被害がでていますので、注意が必要ですが大阪は有難いことに積雪も無く、子どもたちは既に終業式を待ってクリスマスにお正月という、夢の様なシーズンに突入することを心待ちにしています。

私はといえば、まだまだやり残したことや本年中にやり終えようと思っていたことが片付いていないので、いつも通り、もっと時間が欲しいと思っているのですが、時間は待ってはくれません。
残念ながら、自身の体力の衰えとともに時間の針は確実に進んでいるようです・・・

さて、残り少なくなりました本年ですが、年末年始の通常業務の稼働予定をお知らせいたします。

平成26年12月29日〜平成27年1月6日までが通常業務休業日になっています。
12月29日は大掃除の為に、営業しておりますがご案内できないことがありますので、ご注意ください。
無垢フローリングショールームは、別途ご予約にて対応いたしますので、御早目にご連絡お待ちしています。

休業日カレンダー




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彼女のハートは丸太で射とめろ・・・ 大和の国のオーシャンバード


人と人は繋がるもの、そして繋がったその先にも縁がありさらに繋がっていく。
魅力的な人には人が集まり、また、新しい繋がりができる。
現在は、主にインターネットを使って多くの人と簡単に繋がることのできる時代ではあるけれど、本当に大事な繋がりはやはり心からその人に逢いたい、知りたいと求めることから始まると思う。
そして、自分が逢いたいと思う人には逢える!と思っていると逢えるものである。
もちろん、ほおっておいても向こうから来る、という意味ではなくチャンスがやってくるということ。それを捕まえて逢いに行けばいい。


1週間ほど前、「ある女性が丸太を買った」というお話を聞きました。

中学校で英語を習い始めるとき、日本語は難しい。最後まで聞かな文章の意味がわからん。でも英語は読み始めたその並びですぐに意味がわかる。だから簡単や!、てなことを言われて習ったような記憶があるのですが、先の「買った」だけではその人のことも、買う以前のことも何もわかりません。
だから、「へぇー、丸太なんか何に使うんやろね」で終わってしまうところでしょう。
しかし、本当の日本語に訳すれば、「木材業や建築業でもない一人の女性がブランド木材の一つにあてはまるであろう吉野杉の見事な丸太を用途を決めずに、1本のみ買った。」という具合。
そして購入した写真がこちら。(写真拝借お願い済。)

鳥居さん3

彼女の行動を素晴らしい!!と思うのは私だけか?!
美しい丸太を購入したこと以外にこの様に愛情を注げる姿に、です。

材木屋をやっている私が買う一枚物の板材や角材その他ですら、興味のない人には「そんなん一つだけあってもあかんやろう、使い道考えて買わなあかんでぇ」と言われることしばしばなのに、彼女は先に用途を決めずに1本だけ(今のところ)購入したのである。
ここにきて「木材」と考えると、「はぁ?!」と振り向きますよね。
使い道の決まっていない木材丸太を、しかも木材業に関係の無い(少しはある?)女性が買う、さらに吉野杉のような高価な丸太を!!どうすんの?!?
それに、業として木材を扱っていれば、一本だけではどないもならん、と思われるところもあるでしょう。
こんな感じで皆さんの気持ちは羅列されているでしょうか?!
普通はそう思う。

でも、私の様な木材馬鹿はこの話を聞いた時(まだ上の写真は見たことがなかった)、胸がときめきました。瞬間に逢ってみたい!と思いました。
その丸太の使い道を聞く為?!違います。自らの原動力で丸太を買ってしまう、そのアツさにです!
嗚呼、私の未だ知らない同類が存在するのか!と一人感動でブルブルしたわけです。(彼女はそうは思っていないと思うけど・・・)
そんな状況でいそいそと連絡をしてみると、丁度先日大阪のイベントに参加されるという事で、なんとも早いタイミングで急遽お逢いする機会をいただきました。

彼女は鳥居由佳さん。

鳥居さん1

大阪にうまれ育った彼女は、現在奈良県の森豊かな川上村に移住して地域おこし協力隊員として活動しているそうです。
字で書くとさっきと同じく簡単そうですが、川上村というと私の印象では「山!!」です。本当に山。中途半端ではなく山。それくらい、山。(でもそれがすごく深遠さを感じさせて好きですけど。)
自然がどうとか、木がたくさんあるとかそんな次元ではない木々のなかにあるという私の勝手な印象なのですが、そこへ若い女性が移住し、尚且つ地域おこしに参加するというのは、普通のパワーではなかなか難しいと思ってしまうところ。
それをこなしているどころか、様々な方と協力し自らも進んでイベントに参加し、活動をしておられる様子で、その中で丸太まで買ってしまうという素晴らしさ!!
こちらの「まほなび」というページに、彼女の略歴と川上村に来た理由、活動風景などの詳細が記されていますが、実は彼女が好きなのは山ではなく「海」なのです。
いや、正確には海が好きだから山が気になる、という事です。
豊かな海があるのは山のおかげ、といいます。意味が分かるでしょうか?!
皆さんは海は海、山は山、と思っているかもしれませんが海と山は密接に関係しているのです。
私が小さい頃、水を粗末にしたらいかん、と言われました。無駄に流すことや汚すこと、それらはすべて廻って自分に返ってくると。
綺麗な海を維持し、海が正常に生命をはぐくむためには山が必要。山から時間をかけて流れ出た水がやがて海を満たし、その水が私たちの食生活に関係し、豊かな生態系をも育んでいると言えます。
もちろん、私の浅はかな知識ではすべてを知ることはできませんが、きっと鳥居さんは海の波に揺られながら、その水からの何かしらのメッセージを感じた(?!)のかもしれません。

しかし、先の写真を見て「この丸太、いくらするんやろう?」とかいう価格を気にする話がすぐに出てくると思いますし、それに関する記事は他のところでもかかれていますから一論点として見ていただくとして、私が逢いたいと思ったのはこの写真を見たからではなく、個人で丸太を買った女性がいる、という時点であってその丸太に「おすぎ」という名前をつけていることが、いてもたってもいられない状況をつくりだしたから。
そう、この写真を見る前のこと。だから、状況は正確に把握できていなかったのですが、どうしても、「値段」という目に見える指標が出てしまうと、比べて考えるようになってしまっているのが人間なのかもしれません。
彼女の事はインターネットニュース記事の影響で多くの反響をえたそうですが、その反面「日本の木材丸太は安い!!」という、本来の内容からほんの一部分だけが切り取られて拡散するような状況もあったといいます。
それが値段の一元的な比較。
日本の木材は高いとか、外材が安いとかいう「どちらか二極」という答を求める話ではなく、どうしてそういった価格になっているのかや、その原因と詳しい経緯を考えることから始めるのが大切なはず。

日本の住宅には日本の木材が使われにくい、それは値段が高いからだと言われることに対して、国産材普及の目的をもって「決して高くない、それよりも安いくらいだ」と声高に叫びたくなる気持ちもわかるくらいに、確かに日本の木材丸太は昔に比べて価格の下落が激しいと言われます。(私の記憶では、近年の製材品はそこまで値崩れしたとは思えないので、他の事情によるところも大きいと推察しているのですが・・・)
しかし、安いから使おうという動機では、本当に日本の木材はシェアを取り戻すことはできないだろうし、さらに外国材の方が安ければまたそちらに流れてしまうことでしょう。

また、「安い」という言葉のイメージだけが独り歩きしてしまうと、製品になった時の価格が異常に高く感じたり、等級や人の手の入れ様に関係なく、イメージによる単価がつけられてしまいかねません。
私の私見ですが、有名になった彼女の丸太を買っていつくしむその姿は、そんな危険なイメージに偏らずに、もっと深いところで感じてほしいと思っての事ではなかろうかとも思います。
もちろん、大切にしたい村の大切に思う山からでた木ですから、その「おすぎ」への思いは尋常ではないでしょうが、高級丸太を安く仕入れることができた!という喜びの写真では決してないはず。

材としての用途よりも、抱き着く勢いで一人の女性が一本の丸太を購入するというその姿は、とても印象深く、だからこそ視覚的に見えている光景だけに話題が集中しそうなところですが、彼女を突き動かしている情熱の源となる川上村やその周辺の森や木々、そして価格も含めた中での正しい木材利用の談義が持たれる必要性のあることを感じます。

それが、彼女にとっては談義より先に丸太を抱きかかえている写真であり、山だけではなく海をも育んでいる源である木に対する愛情と情熱の表現であったのではないかと想像しています。

鳥居さん、海を愛するだけあってとっても深く広く視野を広げておられました。これからの展望も、自分がどんどんしていかなければならないことが見えてくるからこそ、開けてきているのだと思います。
もちろん、お仲間もどんどん増えているようなので、一方通行のニュース(正しい記事ももちろんある)だけではなく、これからは彼女の生の声と思いを聞く機会がどんどんと増えてくることでしょう。
次に大阪にいらっしゃる機会は来年の1月10日(土)、今回私がお邪魔した3回シリーズのイベントの第2回フリートークのゲストとしていらっしゃいます。
私は残念ながら講習の為いけません(涙)。

街の中で森体験 1
街の中で森体験 2


みなさん、はじめは今回の丸太の写真からの興味でも良いと思います。しかしながら、それだけではない彼女のストーリーがきっと聞けると思いますので、お時間とって行ってみてください。
私も今回、様々な出会いを頂きました。大きな会場ではないですが、だからこそ小さくまとまってみんなで広い範囲のトークセッションができるように感じます。

短い時間でしたが、言葉を交えることができてよかったです。
私が巨樹や木材の話をしている時には、他の人にこんな魅力的な感じにみえているかなぁ?!と、若干うらやましくなるくらいに輝いているように感じました。
情熱豊かな海からやって来た「大和の国のオーシャンバード」は、さらにそのアツさを届けてくれると思います。
木に対するアプローチや考え方は違っても、愛する木に抱きつけるような人は嫌がられても、もはや私の同類!!(勝手に思っているだけ・・・
これからも正しい情報を伝え、交流し木を使う人も木を届ける人も喜びを感じ、山にも喜びが戻り、その喜びが海へと流れていくことを祈っています。

それにしても、丸太にハートを射抜かれた女性。
素晴らしい出逢いに感謝の一日でした。

鳥居さん2

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木が好きなら一度は行きたい 竹中大工道具館


美術館や博物館、図書館など公共の施設というのは個人では集められない物や情報、稀少な事例の紹介などが一堂に集まっている為に自身が興味さえあれば、これ以上はないというほどに有難い存在です。
美術館や博物館は、小さいころから叔父に連れていってもらったりしていましたが、私が図書館に本格的にお世話になったのは、学生時代の論文を書くようになってから。
それまでの図書館は、夏涼しく冬温かいところ、といった位の存在で、あれだけの本が本当に必要なんだろうか?!とさえ思っていた位ですが、この年になってみるといよいよ、そのありがたみというのがわかる様になってきました。

専門的な資料や歴史などが集まるそれらの施設というのは、必要とするから有難いわけで興味の無いものにとっては、どうでもいいようなもの。
それは趣味や嗜好と重なり、だからこそ重要だともいえる気がします。(もちろん、歴史的な重要性もありますが)

私が近年ずっといきたかった資料館というのがあります。
比較的場所としては近いにも関わらず、数年越しの試験のこともあり行くことができていなかったところに、先日やっと行ってきました。
そこは、木が好きになったら一度は行きたい場所。

道具館1

神戸にある、竹中大工道具館です。

この外観、わざと看板(というのか?)を中央にして撮影していますからわかるようなものの、まず一回は通り過ぎてしまうに違いない佇まい。
場所は兵庫県の新幹線の停まる駅である新神戸駅のほん近くという、この外観からは想像できない場所にあるために、余計に人を迷わせるのです。

それでも、後で見られる展示内容を見ればこの造りにも納得されることと思います。
さて、最初に断っておかないといけないのは、素晴らしい展示をしてある館内の写真は掲載できない、ということです。
まぁ、普通に考えると当たり前だと思いますが、撮影すら禁止かとおもっていたところ、個人撮影はオッケーということで、大量に写真を撮っていたこともあって、お昼に到着したにもかかわらず、少し急ぎ気味に見て廻っても閉館間際までかかってしまったので、是非見てもらいたいところなのですが、我慢我慢。

さて、館内は現在「日・中・韓」の三カ国の堂宮大工の棟梁の仕事をとりあげた企画展の最中なので、1階部分はそれぞれの国の宮殿や社寺の縮小実物模型や細工が施された組物を間近で見る事ができます。

そして下の階に降りると常設展です。
この常設展は、受付で音声案内のセットを無料で借りることができるので、時間のある方は活用された方がいいと思います。(全部聞きながら廻ると半日かかると思いますよ…)
その常設展には木材利用の歴史から大工さんの事、加工形状のことなどが先ず紹介されていますが、驚くであろうことは実物の多さ。
もちろん「館」なので、資料としての実物が多いのは当たり前ですが、丸柱に加工される直前状態ヒノキの大径丸太や組み物のヒノキ製の実物大見本等が並べられているので、その大きさを改めて実感できますし、弊社でも紹介した継ぎ手のうち、からくり継ぎ手と言われる「大阪城大手門控え柱継ぎ手」や「四方鎌継ぎ」の実物もあり、もちろん触ることができるので、継ぎ手の優秀さと木材加工の素晴らしさを再認識出来ます。

そしていよいよ地下2階が、その継ぎ手などの木材を加工する道具の見せ場。

木材をどんどん見ていくと、当たり前といえば当たり前、道具のことが目に入ります。

道具館8


木材は私の様な木材馬鹿ですと、所有しているだけで喜びに浸ることができますが(笑)、本来は加工して利用するからこそ価値が高まるもの。
その為には加工道具が欠かせません。
その加工道具の専門展示施設が、この道具館なのですから、本来ここがメインの場所。

私のかなり浅い知識ながらもその高名を耳にしている「千代鶴」の鉋も並んでいます。
それもめっちゃたくさんある(←当たり前やけど今さら驚く・・・)!!!
仕事にこだわる大工さんの多くは、その道具にも勿論こだわりますが、所有しているとか、欲しいとかいう話を多く耳にするのがこの「千代鶴」。
いつもお世話になっている工務店の会長や社寺建築をされてきた大工さんも、いくつも所有されていて、実物を見せてもらうのですが、木材といえ鉋といえ良さや凄さを知らないものを最初に惹きつけるのは、やはり「蘊蓄」。
その貴重なことやもちろん高価な値段などを聞くと、使ったこと無いくせに「すごいやつやぁー・・・・」と感化されてしまうのです。

というよりも、やはりそれだけ認められている物には、それなりの価値がありだからこそ名が残るのだと思います。
鉋の切れ味の究極はわかりませんが、小刀になるとよくわかります。
日ごろ使うカッターナイフもよく切れると思っているものの、いざ銘のある小刀で切ってみると、そりゃもう「自分の指が刃物その物であるかのよう」に切れます。
それを考えると、鉋も推して知るべし。

いつも通り、うわぁー、すげぇー、ひえぇー、などと奇声をあげて撮影し眺める私を奇異の目で見る人がいるのは言うまでもありません。
しかし、それ位のお宝が並んでいます。
さすが大工道具館です。
他にも木工を体験出来たり、道具や棟梁に関する本などを読むことができるスペースがあったりして、本当に多くの事を体験し学ぶことができます。

道具館9


以前公開している銘木保管庫の記事を読んでいただいた方が、私の木材馬鹿っぷリに感化され、わざわざ関西から東京の保管庫まで出向かれたというメールを頂いた事があります。
今回も、私に感化されてはるばる神戸まで・・・という方がでてくるかも?!

いやいや、そうでなくとも有名ですしとても勉強になる施設です。
木の事に少しハマってきたら、予習を兼ねて訪れてみてください。さらに木が楽しくなることと思います!

さて、冒頭の入り口。道路から少し奥まっていますし、邸宅風なので通り過ぎる事にご用心。
私は学生時代の「庭」ですので難なく入れましたが、あるお方は場所がわからず、施設近所で犬の散歩中の御仁に場所をたずねられたら「あっちです」と言われたものの、案の定全く違い迷ったというお話も聞きますので、気をつけて・・・

道具館7


駐車場は5台分。無料です。
が、展示見るのにまぁ軽く2〜3時間ですから、空いてないものと考えた方がいいかもしれません。

竹中大工道具館

神戸市中央区熊内町7-5-1



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ワインにも想い出、木にも想い出


前回からの続きのお話。

ワインにハマりにハマって探しながらも月日は過ぎて「BBM」との出会いです。
今まで専門書でしか目にしたことが無かったドメーヌ・ルフレーブの「BBM」を、記念日に開ける銘柄を探している時に、運命的に見つけたのです!
もちろん即購入!

BBM

購入の時点で15年熟成状態!!でした。
まぁ、むっちゃくっちゃ高額だったことは言うまでもありません。金額のお話は夢が無くなるのでやめておきましょう。
店員さんも、迷いなく購入する私に、「記念日か何かですか?」と聞く気持ちはよくわかります。というか、もちろんそれ以外には無い買い物なのですが・・・

普通、赤ワインは熟成させてから飲むもの、というようなイメージはお持ちでも、白ワインはあっさりと辛口、もしくは甘口で飲むのが当たり前のように感じるかもしれませんが、このモンラッシェという名のつく特急畑のワインの数々は、作り手によっては優に10年以上の熟成期間を必要とし、それ以上の時間を経てから本来のおいしさを発揮するという、超グレイトな白ワインなんです。
何度も繰り返しますが、世界で最も高価な白ワインの一つなんですから・・・

もちろん、この「BBM」はそこまで高価ではありませんが、その直系にあるもの。
ワインの蘊蓄とスペックという点では申し分ありません。

さて、肝心のそのお味はというと、一言でいうならば「飲みきれません!」です。

なんやねん、それ!!と怒られそうですが、まさしく本当に嘘ではなく正直にそうなんです。
私、特にお酒に弱いわけではなく、もちろんこのワインも相当楽しみにして口にしているわけですから、飲めない訳が無いんです。
しかも、抜栓した瞬間からモクモクと湧きでてくるパワフルな香りが部屋に充満する雰囲気といったら、もう気分最高潮でした。
そんな中ですから、たまらなく美味しいんですが、やっぱり飲みきれない。
つまり、飲みきれないというのは、750mmLの瓶を空にできなかった、ということです。
普通は、風味の劣化という問題が付きまとうワインに関しては、飲みきってしまうことが多いのですが、この時ばかりは「口の中で爆発した味わいの爆弾の収集に時間がかかり、一口飲むと20〜30分は余韻に浸る状態」だったため、グラス1杯を飲み干すにも1時間以上はかかるわけです。
それに2杯目以降は更に体の中で踊り続けるその爆弾に翻弄され、余韻でほだされてしまった為、瓶を飲み干すなどありえない状態でした。
それ位、衝撃的なワインでした。
もちろん、ガブガブと飲むことは可能ですが、あの美味しさにはそんな飲み方決してできません。

クリマ


BBMではありませんが、本家モンラッシェには「脱帽しひざまづいてのむべし」という言葉があるくらいのすばらしさを持っていると言われますから、まぁとにかく半端ではなく美味しいのです。
どんな味かは、ワイン専門の記事をご覧ください。分かるようなわからんような言葉が並んでいることと思います(笑)。

しかしながら、その難解な用語もわかりにくい味のレビューも含めてのワインであり、その次々と出てくる疑問や生産者による違い、果てには畑の位置や天候、土や栽培方法によっても大きく変化するワインという飲み物には、生産地方やかかわった人たちの手間や年代による味の違いという点も含めて、木材にそっくりです。
様々な種類や産地による違いなどはまさしくその通りで、出来上がってくる産物も、人が係るという点が大きく木材製品もかかわった人の情熱や志の現れる物になりますから、そこも同じ。
そういった点が、なおさら私をひきつけたのでしょう。

木と同じように、好きなものをどんどん吸い込むようにワインの事も覚えていったことは言うまでもありません。
そして、Bienvenue の字を見た時に思い出す素晴らしい味わいの記憶と、様々な木を見た時に思い出す印象深い場面のそれは同じように重なり、記憶に残っています。

やっぱり記憶に残るようなものは良いものです。
ワインは飲んでしまえば記憶に残るだけですが、木は使っている間中ずっとそばにあって、触れることも香りを楽しむこともできます。
1本1万円のワインか、畳1枚1万円の無垢フローリングか・・・
できることなら両方ほしいですが、お客様には是非後者を選んでほしいものです。
生活を共にし、記憶を共に歩んでいく木材。ワインと同じように感動感激してもらえる木材を届けていきたいもんです。
ワインも想い出、木も想い出。そうなるように。

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Bienvenue はワインへの誘い


先日、ほぼ一年に一度しか行かない(=忘年会・・・)場所に一年ぶりに行ったら驚いた。
いつから変っていたのか?!というか、今までは違う入り口から入っていたもので、真新しく感じるけれども結構年数がたっているのかわからないけれど。

ようこそ


最初はその木質感に驚き、写真に納めていたけれどもふと壁に眼をやると、様々な文字が。
色々と見ている中で、welcome がある時点で世界の言葉での歓迎を意味しているのか、と理解できるのですが私はwelcomeより先に目が行ったのがbienvenue の方。
もちろんこれも、ようこそ、というような歓迎の意味を持つフランス語ですが、私にとっては特別な単語で、ピクピクと反応してしまうのです。
発音を文字で表すというのはとても難しいのですが、ビアンヴニュと表記されたりします。
その言葉がどうして特別なのかというと、大好きで特別なワインを想像させるから・・・

ワイン好きでも、結構本気で好きな方で無いと知らないかもしれない「Bienvenues Batard Montrachet」というワインの名前に入っているからなんです。
読み方はビアンヴニュ・バタール・モンラッシェといいます。好きな人の中では略して「BBM」なんていわれますが、ついでに言うと「CBM」も存在します。
おぉ、もうこの辺でなんのこっちゃ?!という楽しい文面になってきているので、一応昔取った杵柄、蘊蓄を語っておきましょう。

一般的に、ワインの有名な生産地として知られているのはヨーロッパにおいてイタリアやスペイン、ドイツなどとともにフランスがありますね。
そのフランスは、生産者にまつわる色々な逸話やその土地やワインに関する伝説などが多く存在し、そのお話がワインの名前に受け継がれている、ということも珍しくはありません。
その一つがこの「BBM」です。

もともと、この長ったらしい名前のワインはフランスのピュリニー・モンラッシェ村にて産出されるワインの一つで、この村で生みだされる「モンラッシェ」という銘柄は、世界で最高値の白ワインの一つ(生産者が複数存在するため)として知られています。
それは、ワイン好き以外でもお酒をたしなむ方なら名前くらいはご存知であろう赤ワイン「ロマネコンティ」(因みに生産社名でもある)の生産社からもリリースされているからです。
写真のD.R.Cとあるうちの右側です。(2本で535500円に驚いてください。)

DRC

そんな超高級銘柄を生みだす村はもちろん、他の白ワイン(醸造されるワインのほぼすべては白ワイン。)も秀逸な出来で、「シュバリエ・モンラッシェ」や「バタール・モンラッシェ」、それに普及グレードと言えばいいのか、村の名前を冠する「ピュリニー・モンラッシェ」などは、白ワインを求めるならば外せないものばかりです。

実はこのモンラッシェ村には、2つの地域がありそれぞれ「ピュリニー・モンラッシェ村」と「シャサーニュ・モンラッシェ村」と称し、さきほどの普及グレードといっていた村名グレード「ピュリニー・モンラッシェ」も、シャサーニュ村で産するものは「シャサーニュ・モンラッシェ」という名称になります。
因みに、先に出てきた「CBM」。これは「BBM」と反対に、シャサーニュ村のみから産する「クリオ・バタール・モンラッシェ」の事を指しています。
しかしながらとてもややこしくて楽しいのが、村で最高級(というか世界で・・・)のワインである「モンラッシェ」にはどちらの村の接頭語もついていません。
これはどういうことか?!

それは、双方の村にある「モンラッシェ畑」からつくられたものが「モンラッシェ」というワインで出荷されるから、です。(正確にはシャサーニュ村のものは「Le」という接頭語がつきますが・・・)
ワインというのは、同じ地区内や極端な話「上下左右」のお隣であっても、全く格付けが異なり、区画ごとに厳密に区切られている為に、モンラッシェ畑に指定されている部分もどちらかの村に偏っているわけではないのです。
そして問題の「BBM」はピュリニー村にしかなく、「CBM」はシャサーニュ村にしかないという、結構レアなアイテムなのです。
そのため、他のグレードに比べて目にする事が少なく、またこれらの上のランクに「バタール・モンラッシェ(BM?!)」(これは量村半々くらい分布)が存在するので、なかなか脚光を浴びることはありません。

しかしながら、その長い名前と面白い蘊蓄のおかげで、好きな人は好き!という変り物ワイン?!の一つです。
もちろん、味は超一級品(生産社にもよる)!!よほどの専門家でも、「BM」との区別はつかないようですから、お値打ち?といえるかも。

冒頭で書いていたワインやその土地に関する逸話というのは、このモンラッシェ村でも例外なく存在します。
そしてそのお話が、「BBM」や「CBM」をはじめとする特級畑の名前の由来になっているのです。

昔々、騎士(シュバリエ。畑名)である領主様がある日、ピュセル(処女の意味、畑名)の畑のそばを通りかかった時、騎士は突如性的衝動に襲われた。すぐ近くの村へ行くととても美しい女性がいた。
自然の成り行き(?!)のままになるようになった末、男の子が産まれた。
騎士には嫡出の長男がいたが、戦死したためこの庶子(バタール、畑名)を跡継ぎに決め、城へ引き取るために迎えを出した。
それを村人たちが喜んで「歓迎(ビアンヴニュー、畑名)」と叫んだ。
それに驚いた赤ちゃんが「オギャーオギャー(クリオクリオ、畑名)」と泣いた・・・・そこから畑名がつけられているそうな・・・

近年は差別云々という言葉で処理されてしまう内容を含むようなところがあるので、逸話としてのみ見て頂きたいのですが、この辺の由来話も、木材に置き換えても同じ様な部分があって、やっぱり洋の東西を問わず逸話から生まれる名前というのは多く存在するんだと実感しますね。

こうやって色々と覚えていくうちに、フランス語の単語もいくつかは覚える事が出来ました。
初めに覚えるであろう「シャトー」の意味から、接続語であったり、日本の飲食店などに使われている様な単語(因みに bienvenue も使われていたりする・・・)まで。
好きこそもののなんとやら、とは本当ですね。

自慢ではないですが、一時期ワイン趣味に走っていた時があるだけに、一応「BBM」も口にしたことがあります。
というか、私にとって「BBM」は想い出のワインです。
因みに、ワインの難しくもあり面白いところの一つに、先にも挙げたように「同じワイン銘柄でも様々な生産者がいる」ということです。
先の最も高価な白ワインの「モンラッシェ」も、作り手によって価格も味も雲泥の差です。
もちろん、持っている畑の状態や醸造技術によるところも大きいのですが、銘柄のみを覚えても、生産者の善し悪しを知っていないと楽しめないのが、疎まれるところでもあり、ハマることろでもあります。

そしてここでその重要なファクターの私の好きな生産者が出てきます。

マーク

向かい合ったニワトリで有名な「Domaine Leflaive」 (ドメーヌ・ルフレーブ)です。

このルフレーヴという名前も、親族の生産者でオリヴィエ・ルフレーブがいたりしますから又ややこしいですが、実は私はこの生産者でワインに傾倒するようになりました。
それは、まだまだワインの味などわかるはずもない時分の事。ちょっと調子に乗ってレストランで1本の白ワインをオーダーしました。
今から考えると、若造によくもこんなワインを顔色変えず出してもらえたな、とソムリエの方を有難く思うのですが、それがドメーヌ・ルフレーブの「ピュリニー・モンラッシェ レ・ピュセル」でした。

ピュセル

まぁ、その味と違いを説明しろと言われても、語彙の少ない私にとっては専門誌にありがちな言葉の羅列になってしまうこと間違いないので、「ワインを知らないものが刮目するくらい美味しかった」と言っておきましょう。
なんじゃこれは、という味でした。もう「お酒」という範疇では語れない奥深さというか、複雑さを感じ感激したのを今でも覚えています。
もちろん、日本酒や焼酎もとっても好きですが、蘊蓄の多さにかけてはワインは他の追随を許しませんから、そういったところも私の性格に合っていたのでしょうね。

それからは、さすがにそんな高級なワインを日常に求めるわけが無く、いつかはまた飲んでみたいと思う日々が始まるのですが、普通のワインショップを覗いても、そんな名前のワインは置いていない。
今思えば勿論なんですが、その時は知らないんだから探しまくりました。
そしてやっと見つけた1本を飲んだ時、これがなんとも期待外れ・・・・
あの時に感動した複雑な味わいはなく、どこかくたびれたようなどっしり感・・・
2度目のなんじゃこりゃ、はがっかりの溜息まじりでした。

それから、こんなはずはないと思い勉強を始めた私。
やっとこさ、生産者によって味が違うこと、それ以前に同じ銘柄でも生産者がたくさんいることを知り、初めて飲んだ時の生産者の事を調べ始めるわけです。
そして判明したのが「ドメーヌ・ルフレーブ」だった、さらによく見ると超有名な造り手だったのです。
美味しいはずやわ。
でも、やっぱりそれだけ同じワインでも味が違うということだ!、と確信した私は後はハマっていくだけ・・・・ご想像の通りです。



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偽物が恥ずかしくない時代?!


どうしても、自社や自分の取り扱っている商材などをアピールする時には比較するものを持ち出して、その物に対する優位性や異なって優れている点を主張したくなるのは当たり前。
また、その方がお客さんとしてはわかりやすい場合もあります。
私としても、特に新しい商品やその物に対して知識が無い場合は、比較というのは有難い場合もあります。

でも、それにこだわり過ぎると「これはいいけど、あれはダメ」というような一方的な意見に偏りがちになることもあるので、自制しなければならないと思っています。
木材や無垢フローリングの中でも比較して検討するものは多くあり、やはり無垢の木材と単板貼りの商品、無垢フローリングと単板貼り(若しくは化粧印刷シート貼り)の合板フローリングが比較されるのは常です。
それでもやはり比べたくなるもので・・・
因みに下の写真は印刷シートです。凄いリアルです。

印刷シートフロアー


どうしても木材関係の同業者が集まると、紙の印刷シートの木目は偽物だからダメだとか、薄い単板を貼ったフローリングは偽物だ、という話になってしまいがち。
もともと、紙のシートでいい人はいい、単板の均質性を求める人もいる、ということも考えないといけませんが、どうしてもいつも同じ結論に至ってしまいますが、「時代の流れや考え方の変化」という時間軸と同時に考えると、一言にどちらでもいいでは終わらない話になります。

単板や紙の木目印刷シートができるまでは、もちろん木をそのまま使っていたわけで、昔は丈夫にする為に堅い木材が必要と言われた階段材までも、今では耐摩耗性の高い印刷シート貼りの物に変わってきています。
ここまで印刷になるとは、私もあんまり考えてはいませんでしたが・・・
以前までは、木材の利用といえば無垢でしかも節の無い、もしくは少ない木材が高級とされ、それを使って建築造作できることがよしとされていましたが、今では反対に節のあるものが良いと感じる考え方が多くなり、しかしながら節があると服や靴下が引っかかることなどから、節や木材の芯部などの「欠点」と言われていた部分を「格好良く」印刷したシートの木目が好まれています。

下の写真は左の少し赤っぽいものが無垢のカエデネイキッドグレードフローリング。そして、その右(わざと重ねていますのでわかりにくいですが)が、カエデのネイキッドグレードの木目に似たイメージを印刷されたシートフローリングです。
今までは、黒くて汚いとか汚れに見えるとか、ごちゃごちゃしてるとか言われてきた部分の木材が、反対に有難がられている様な感じです。
しかしながらこうやって並べると、よく表現されていると思います。

無垢と印刷シート2


しかし、こういった無垢の表情を模した無垢ではない物を使う傾向を「現在の住宅は偽物を恥ずかしく感じないようになった」と形容されたりする場面もあります。
この場合の偽物とはもちろん、無垢の木材でないもの、という意味です。
節やキズがあっても無垢の木材であれば「本物」であるはずが、現在は節やキズの跡が綺麗にプリントされている「偽物」が好まれる傾向にある。
「本物と偽物」というと、「善悪」のようなイメージになるのであまり良くないとは思いますが、実は「本物」を使ったしても、その本物に好感をもつ印象というのは節の無い綺麗な見た目であったり若しくは節が自然と欠けていたりキズがついていたりする「表情」の部分だという調査結果があります。

無垢2


現在は国や各自治体も、森林や木材についての啓発活動や様々なイベントを催しているので、それらに対する関心は大きく、イベントの度に多くの人が集まって「自然や森林、木材が良い」という大きな印象を受けて、住むなら木の家がいい、といったアンケート結果になるわけですが、実際、その多くの人たちの住宅に「本物の無垢材」が使われているかというと、そうではないのです。
木や木材に対する印象は良いのに、実際に多く使われていないのはどうしてか?!
それは、まだまだ森林という「木材製品になる一番初めの部分」に持つイメージと、住宅や木材製品として実際に使われるお客様に届く「最終購入者の部分」のイメージの間に、多くの語られない部分があるからだと感じます。

いくら森林や木材のイメージが良いといっても、木材製品として実際に使ってみる段階になると、ギシギシと音がするのは欠陥ではないか、使っているとカビが生えてきた、だんだんと木の色が薄くなってきた、キズが目立つ、などなどの不満が多く出てきます。
木のものは良いと言っているはずなのに、建材メーカーも消費者もできるだけ「本物」の木材から離れた原材料に木材を含む「木質製品」を好む。
それが、「本物」には上に挙げたような不満点が出てくるからに違い無いと思います。

印刷シート3

印刷シート2


今言う木材の「本物」というのは植物であって、生き物です。生き物には人間もそうであるように個性があり、個性というのはバラつきです。
そのバラつきである個性をなくしてしまったり、個性の見た目だけを好むようになっているのが現状。
個性の無いそれは、既に本物ではありません。
印刷や単板がいくら進歩しても、個性をそのまま受け入れていけるようにならないと、「偽物」と言われることもあるでしょう。
見せかけだけが良くても、個性が無く中身が伴わないものを使うという意味で「偽物を恥ずかしがらない」と言われているのです。
その物の良さというのは、個性を理解しそこに惚れこんでいくから価値が出てくるのだと思っています。

無垢と印刷シート1

上は、針葉樹無垢フローリングを代表する2樹種を印刷シートフローリングの下に並べてみました。左側が弊社の古希杉無垢フローリング天然尾州桧(木曽桧)無垢フローリングです。
印刷シートフロアーも左がスギ柄、右がヒノキ柄です。
さすがに無垢材の個性的な部分を表現しているだけあって、遠目で見ると印刷だとは思わない外観です。

無垢と印刷シート5

弊社の天然尾州桧(木曽桧)無垢フローリングは、その木目の細かさと色合いの美しさと特有の香りが大きなポイントですが、印刷だけあって、普通の無垢のヒノキフローリングではありえない程の、尾州桧(木曽桧)無垢フローリングと同様の細かな年輪木目と微妙な色合いを再現しています。
ただ、特有のヒノキの香りと、柔らかく温かな足触りは絶対に真似できません。

木材を使った古い建築や遊び道具、それに古い民家を再生した飲食店などの「良い雰囲気」は、本物が時間とともに「個性」という味わいを深めていった結果の良さ、です。
それを人間の持つ、視覚や嗅覚、聴覚、触角などの感覚で感じるのが無垢の良さであり、個性を感じる部分です。
ヴィンテージやアンティークも同じこと。
勿論、本物をアンティーク加工していくこともできますが、自分とともに過ごしているうちに古びていく経過というものは、加工では得る事ができません。
無垢のフローリングの傷も汚れも、木製の道具の手になじむ感じもすぐにできるものではありませんが、そこにこそ「本物」の価値があると思います。

最近、コマーシャルでも「変らないね、と言われるより変ったね、と言われる方が嬉しい」と言うセリフがありますが、ずっと変らないのが良いのではなく、変っていくからこそ良さが現れる。それを忘れてはいませんか?!
そして変わっていく良さを味わえるのは、本物のみです。

木や、森に持つ印象は整然と整理されたイメージではなく個性のバラつきのはず。
木の持つイメージを、森の中では見えていない木材の個性を理解してもらえるようにするのが私の仕事。
そして理解して使ってもらうのが皆さんの仕事です。
森林や木材の良さは今、十分以上に伝わっていると思います。後はそのイメージのギャップと見えていない個性というものを知ってもらう段階です。
日本の森林や木材の事を考えていくならば、個性のあるものを使う為の準備をしてください。
その準備のお手伝いは私の役目。森から出てくる木材を皆さんの元へ届ける為に「本物」を知ってもらう準備ができています。
そして、皆さんが木材や木に求める事をまた、森林や製材に伝えていくのもこれ、私の役目です。

見た目だけにこだわるのではなく、本物の個性のあるからこそいいところ、を知ってもらえばもっと多くの皆さんに本物を届ける事ができるようになります。
本物と偽物の善悪論ではなく、あなたが求める価値はなんでしょう?
木と人のつながりやストーリーを交えたお話を聞いてもらえれば、それは見えてくると思います。
「商品」としての本物偽物を比較するよりも先ず、恥ずかしくない物選びができるようにしていきましょう。




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久しぶりに想うこと


ブログの記事というのは、更新するネタはあるのですが一所懸命にしたためている時に、急に割り込みで先に書いておきたいことが出てきたりすると、予定通りに公開できないことがあり、仕事の段取りの様にアタフタとすることもしばしばあって・・・

日曜日の新聞で、一部読みとばしていたところを再度見返していて、新聞広告で感激したのはおそらく初めてです。
記事広告とか、紙面で発行されるモノの中にまるでその紙面本体の記事の様に挿入されている内容の広告類は、提供媒体に内容が偏っていることもあったりして、基本真剣にみることが少ないのですが、今回は写真と内容を見ずに読みとばしていたこと、よくこのまま忘れなかったものだと思うようなものでした。

私の記事を読んで下さっている皆さんは子供の頃、「どうして勉強しないといけないんだろう・・・」とか「なんで学校いかなあかんの?!」と思った事がありますか?

私は・・・・・・あります。

特別成績が悪かったわけではないのですが、現在の子供たちよりも多かったと記憶している日々の宿題や、意味があるのかと思ってしまいそうな授業内容に、子どもながら疑問を持っていたものです。
その答え、大人になって出せるものでしょうか?!
自分の子供に同じ質問をされた時、納得できる答えを返せるでしょうか?!
因みに私はこう答えます。

「学校で(こと小学校で)受ける授業は、人間として生活する上で基本になる部分。それを学ぶのが学校であり、教育。社会にでて、仕事や生活での基本が営めるようにする為に、勉強しないといけないよ。」と。
そうすれば子供も反論します。
「学校の勉強せんでも計算とかできたらいきていけるわ。」
うーむ、確かにどうにかして生きていけるかもしれません。そこで本題です。
「そやな、生きていけるかもしれん。でも、たとえば仕事に必要な資格を取得できなかったり、人の話す大切なことを理解できなかったりするよ。それになにより、自分が生きていければ他はどうなってもいい、というもんでもないよね。自分が生きていくには、周りにもいろんな人がいて、いろんな関係ができる。その時には、学校の勉強だけではたりないよ。学校で受ける教育とは別に、一人の人間として生きていく為のルールや決まり、考え方やその基本、そしてそれらの知識というものが必要になる。それが教養だよ。教養は学校で教えてもらうものじゃないよ。お父さんやお母さんなどの家族や親しい人との人間関係、本でも学ぶことができる。それは教育として教わることとは全くの別のものだよ。だから、人間には、生きていく為の教育と、それを豊かにしその人の価値を高めるものが教養で、その両方が必要だよ。」

と・・・

そうは言っても、すぐに子供が理解できるはずはありません。だからまだ悩むんですが、悩んでもいい。それが教養につながると思うからです。
人生の事や、勉強以外のこと、言葉の意味の違い。それらを理解できるようになると、自ずと教養がついてきていると感じます。
人により、その教養には差があるでしょうが、少なからず必要な部分であることは間違いないと思っています。

前置きが長くなってしまいましたが、記事の投稿タイミングに割りこませたかったのは、新聞にこんな記事があったからです。

戸田奈津子さん


殆どの大人はご存知ではないでしょうか、戸田奈津子さん。
映画などの字幕翻訳で超有名な方ですが、その職業柄どうしても「英語」に興味が偏りがちになってしまいますよね?!
しかしながら、その新聞広告には全く異なることが書かれています。

大きい見出しは、英語より読書で日本語力を、と書かれていますが、それよりも私が感激したのは、「(前略)この時代、コンピューターがいくらでも情報をくれます。でも情報は教養ではない。人間の価値を決めるのは教養です。(後略)」という言葉。

記事


日頃生活していて、「教養」という言葉は殆ど聞きません。「教育」は日々耳にしますが、教養というのは聞く事がありません。
先に書いたように、私は教養はとても大切なものだと感じていますが、それに対しては論じられる機会というものを知りません。
世の中のいろんな事件や世知辛い出来事が報道されたりしますが、その全てと言わないまでも、教養を身につけていれば、また違っていたのではないかと思うような局面もあったりします。

戸田奈津子さんのお話は他にも及ぶのですが、どうしても英語に着目されがちなところを、その前に日本語をきちんと身につけることと、その基本段階として本などから正しい日本語を吸収し、それとともに多くの教養を身につけることだと言っておられるように感じました。

おこがましくも、日頃から教養の大切さを思いながらも伝える機会の無い現実だった私が、同じ様に考える人がいるんだ、それもこんなに有名な方で!と記事を読んだ時は驚きと感激の瞬間でした。
戸田奈津子さんは、翻訳だけでなく諸外国のスターの来日の時の通訳などもしておられるようですが、その時も、相手方からの指名・・というか戸田奈津子さんでないといけない、というような状態でお仕事を受けておられる、というような話を聞いた事があります。
それは、全く間違いではないと思います。おそらく、教養を論じなくなった日本人よりも諸外国の来賓の方がよっぽど戸田奈津子さんの人間性である教養の部分をよくご存じなのだと思います。

話しや立ち居振る舞いの端々に、端正で知性を感じていたのはそういった理由からか、と物凄く納得の記事広告でした。

あまりにも感激して記事を切り取った私。
思い返せば、祖父もしょっちゅうビリビリと新聞を切り抜いていました。
当時は一回読んだら必要無いやん・・・と思っていましたが、様々な経験をして来た祖父の人生の中で、共感したり感激したりする記事がその中に含まれていたのかもしれません。
そう考えると、私もそんな年に差し掛かってきてるのかなぁ…えぇような、淋しいような?!
仕事の疲れも吹き飛んだ新聞広告で、どうしても書いておきたかった割り込み記事、でした。



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