2013年の総決算は苦労話 二級建築士合格への道
先日ポロっとお話した、私が受けていた資格試験のお話をしようと思います。
というのは、私のここ数年の大半の時間を費やした大仕事であり、自身の記憶整理という意味と、苦労を忘れないように、そしてもし、木が好きで私の記事にたどり着き、これから受験しようと思っている方に、少しでも参考になればと思っているからです。
ですから、今日は木材の話はありません。
試験ネタ一辺倒ですので、読んでやろうという方は次へ進んでくださいませ。
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私の一年間の予定では、この秋に資格試験に合格した後は仕事の時間をゆっくりと取り、このブログの記事内容も充実させて、さらなるステップアップを!ともくろんでいたのですが、予定は未定。
なんとか資格試験には角番合格を果たしたものの(これ、また整理してアップロードします。すごく苦労したので、これから受験の方に役立つかも・・・)、消費増税や木材利用ポイント、そのほかもろもろのおかげで、とても自分の時間を作ることが出来ず、毎日が言い訳とバタンキューの繰り返しになっていますので、今年は幾度か記事の間隔に穴をあけてしまいました。
時間は自分で作るもの、だから時間の使い方がまだまだ甘いのかもしれませんね。修行が足りません。
そんなこんなで、お伝えしたい内容の記事も予定変更で急遽先延ばしという事態が往々にして起こりまくりますので、お伝えするタイミングがずれてしまっていることをお詫びします。
少し前の新聞に載っていたのですが、国の特別天然記念物指定を受け、周辺の寺社とともに世界遺産登録も受けている奈良県の春日山原始林にナラ枯れの危機が迫っているそうです。
こう聞いてもピンとこないかもしれませんね。
木はいつかは枯れるもの。もちろんそうですが、この「ナラ枯れ」というのは、松に対する松枯れと同じように、生きている木が虫の被害を受けて枯れていく、というものです。
ナラ枯れと言っても、ナラの木だけが被害を受けるものではありません。
被害は樫(かし)や椎(しい)の木にも及んでいるそうですから、ドングリがなるブナ科を含む広葉樹には比較的多くみられるものなのでしょう。
松枯れの場合はマツノマダラカミキリが媒介する線虫によって松が枯れていくというものですが、ナラ枯れは、住宅にとってのあの厄介者「キクイムシ」の仲間のカシノナガキクイムシが広葉樹の幹に穴をあけて病原性のカビを持ちこむことで、木の中の通水の役割を果たす細胞が詰まってしまい、枯死してしまう病気です。
ナラ枯れに侵されると、遠くから見ると季節外れの紅葉の様に鮮やかに葉が色づくのですが、これは文字通り紅(赤)信号なのです。
住宅の主に内装に被害を及ぼすキクイムシと同じように、被害木は幹の株に食害跡の粉がたまります。
そして秋を待たずに紅葉のような鮮やかな葉の色を呈していきます。
林野庁によると、平成22年まで増えていた被害は近年では落ち着きつつあるようですが、一方、春日山のような残していくべき山々にも被害が出始めているのは穏やかではありません。
被害を防ぐためにビニールを幹に巻くとか、薬剤でおびき寄せて一網打尽にするとか、色々と手は打たれている様ですが、数十匹という単位ではないので、それこそ、星を集めるようなもの、でしょうか。
んー、なんとか対策が実って欲しいものですが・・・
ちょっと前の事になりますが、気になる記事が写真付き(白黒)で新聞に出ていました。
その見出しは「無花粉ヒノキ あった!」です。
ビックリマークがついてます。
それ位の発見、という意味でしょう。
その無花粉ヒノキは神奈川県秦野市の山林で発見されたそうです。突然変異で正常な花粉が出来ない個体とみられているとの事で、無花粉のスギは1992年に富山県で見つかっているそうですが、ヒノキでは全国初だということです。
記事の中には予想通り、さっそく挿し木で苗を育てて花粉症対策に役立てる方針、とあります。
考えてみると、無花粉ということはそういった利用が目的になるんでしょうけれど、んー、なんかいいニュースのようななんなのか・・・
人間の方が過敏に反応しているのだから、木は一生懸命子孫を残しているだけ・・・そんな屁理屈を言いたくなりますね。
君は花粉症の辛さを知らないからだ!!と言われそうですが、安心(?!)してください。
私は物心ついた時から極度の鼻炎持ちで、ティッシュはいつも箱で持ち歩き、花粉症という言葉が一般的になるまでは、鼻垂れ小僧のような感じでしたから、花粉症の方の気持ちはわかるつもりです。
今でもその時期は私も大変です。
因みに、県自然環境保全センターが2011年から4074本のヒノキを調べていたそうで、昨年の4月に無花粉ヒノキ(推定樹齢40年、高さ10m)を発見したのだそうです。
花粉のもとになる細胞が不均一で正常な花粉が出来ないということ。
挿し木で増やし、4〜5年後の品種登録を目指し、山林所有者に販売する計画だそうです。
針葉樹の青い葉っぱを見ると花粉の飛散をイメージさせる、あのコマーシャルも無くなってしまうかもしれません。
ところで、無花粉ヒノキの材としての性質は如何に・・・
一通りの無花粉研究が終わったら、次は木材の性質としての研究に移ってもらいたいものです。
もしかして、突然変異でヒノキが持つはずの性質が欠落している!とかいうことになっていないかも、見てもらいたいものですね。植林する前に・・・
あんまり昔話をしたくありませんが、まだ若い(つもりの・・・)私でさえも時代によって使われる材料の変遷と、その原料となる木材の樹種の移ろいにはつい「昔は」という言葉を使いたくなってしまいます。
建築様式も意匠の移り変わりも、そのスピードは驚くほど早く感じます。
先日にお伝えしたばかりのパープルハートの記事の中のラワン類やアピトンフローリングなどもその代名詞だと感じます。
なんかそんな話ばかりで恐縮ですが、今回も懐かしい系の話題です。
私もしみじみとその材が使われていた往時を振り返り、一人感傷に浸りたくなっていたのですが、材がおうちの中で木材として2度目の生を受けたところがまた輝いていましたので、つい我が子をほめるかのような気持ちでお伝えしたくなってしまいますのであしからず・・・
今回懐かしむ材(?!)は、松柾無垢フローリングです。
いや、松の縁甲板(えんこういた)といった方がしっくりきますね。
広い広い、ちょっとした部屋になりそうな位に広い玄関から奥の間に続く廊下の床板として施工された松柾の縁甲板。
縁甲板とは、建築用語辞典によると縁側等の床板として貼られる無垢の板材、フローリングと同義だが、洋風はフローリング和風は縁甲板と使い分けられる場合がある、というわかりやすい説明がありました。
私も普段無意識に使い分けていますが、確かにその通りです。
つまりは、今回も和風建築の正式な玄関からの床板に使っていただき、その仕上がりが材料の久しぶりとともに見事で、拝見できる日を楽しみにしていたのでした。
10年ほど前は、弊社近くの和風住宅を多く手掛けられていた大工さんがいらっしゃたので、この松柾縁甲板もそこそこと出荷していたものですが、それも当主が御若くなると、趣向が異なることと価値はあるのだけれども床に対して予算をかける事が出来ない、といったような理由で、稀少な松柾縁甲板は採用されなくなるとともに、肝心の松柾材の入荷も細っていったのです。
見てください、この年輪の細かさ。
この年輪の一本分(白っぽい部分と赤っぽい部分の一対)で一年の成長ですから、元になった原木が成長するスピードがいかほどであったかは、想像する事が難しいような時間の流れだと思います。
成長するスピードが遅いということは、使うスピードが速いともちろん供給不足になります。
だんだんと原木の出荷が少なくなりますものね。
難しいところです。
西岡棟梁の社寺建築の様に、千年の木を使った建築には千年の命がある、といった精神で、使っていかなければ良質な木材というのは循環できませんから、この松柾縁甲板も、これからずっと、この玄関廊下を支えていってくれることだと思います。
因みに、ふと横を見るとまさしく縁甲板、縁側に施工された40年前(とおっしゃっていたと思う。)の松柾に会うことが出来ました。
黒光り、そんな感じです。
良質な松縁甲板は油分を多く含んでいる部分があるため、その油が材面に滲出し、そこを歩いたり手入れの際に拭きあげたりすることで油分が伸び、深い艶をましていきます。
汚れっぱなしですわ・・・とは当主の御言葉。
いやいや、これぞ無垢材、本物のフローリングの姿です。
いつもいつも経年変化とか、住まう人とともに時を過ごすのが無垢材・無垢フローリングだと言っていますが、まさしくこれこそが数十年の時代を御家族とともにした証です。
もう表面は天然の浮造り(うづくり)になっていて、足裏にも心地よい風合いでした。
今回は漏水がもとで改修をされた玄関ですが、もちろんこの材もこれからどんどん深みを増すこと間違いなし。
現在の姿も美しいものですが、更に年月を経て初めて出る味わいを楽しむことが出来ると思います。
しかしながら、この縁甲板を施工された大工さんもまたすごかった。
やはり、よい木材にはよい施工者が必要です。
いくら素材が良くても、施工が悪くては素材も活きてきません。
実はこの縁甲板、あらかじめ機械で仕上げ加工まで施されています。
製材したままの状態ではもちろんないのですが、一般的にはそのまま施工しても問題のない程度には仕上げられているのですが、今回の大工さんは違っていました。
納品してから日が経つにも関わらず、施工されていない。
何故かというと、作業場にて一枚一枚木を見て、更に仕上げられている表面を、再度手で仕上げをかけられたそうです。
曰く、どうしても機械通ってきよるとまっすぐにはならんでなぁ・・・最後やっぱりきちんとしたらんと・・・
流石です。どうりですごい艶があるわけだ・・・
見てください。
室内ですよ。
しかも太陽光が強く指しているわけでもなく、むしろ少し曇りの日だったにも関わらず、一筋の道の様に縁甲板が光り輝いています。
松という樹種は縁起の良い木とされ、神様の依り代と考えられたり、常緑のシンボルは絶えず枯れないことなどを縁起担ぎにされる事がある木です。
この光り輝く一筋の道は、神様が降りてこられる道なのでは・・・・
いやぁ、住宅の玄関には何とも縁起の良いものです。
なかなか近頃は見る事ができない松柾の縁甲板の美しい仕上がりを見る事ができ大満足です。
縁側の先輩も一緒に見る事ができてラッキーでした。
これから数十年、どんどん深みを増すであろう松縁甲板に期待です。
因みにもう少し施工続きます。
次回は、縁甲板ではなく洋風のフローリングの部分。これも懐かしの?!材料です。
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先日何気なく新聞を眺めていると、見出しより先に目に飛び込んできた一枚の写真。
あれ、ここは・・・
すぐにわかりました。
あぁー、この席ではこんな話したなぁ・・・、そういえば、こんな時間で最後には外が暗くなってたなぁ・・・
今でもすぐにその情景が目に浮かんできます。
私がよく通っていた時期からすると、もうすぐ約10年になります。
その場所とは、大阪の「ふれあい港館」です。
一時期、あまりよくないお話で有名になって以来、今となっては「ほとぼりが冷めた」というような状態に感じますが、情けない事情により閉館してから久しぶりに施設の中の写真を新聞で目にして、一昔前を懐かしく思いだしていました。
実はふれあい港館は、ワインの宝庫でした。
その名前からは想像できませんが、地下のワインショップで選んだワインを1階のレストランに持ち込んで食事とともに楽しむことができるという、今風に言うとイートイン(ドリンクイン?!)のようなシステムになっていました。
1ヶ月に1〜2回、よく通いました。
子供もまだ小さかったですが、レストランのスタッフも親切にしてくださり、美味しい食事とワインを堪能した記憶が鮮明に蘇ります。
自分が今選んだワインと、とても美味しい料理とともに頂く幸せは、通常のレストランとは一味違いました。
そしてレストランの最大のポイントはその内装。
全てフランスの建築家の手によるもので、確か現地のレストランの内装をそっくりそのまま模式したもので、材料も同じものを使っていると聞いた覚えがあります。
因みにお手洗の配置までそのまま倣っていたので、地下に豪華なお手洗があったことも記憶に新しいです。
建築に携わっている私は、初めて訪れて以来その調度品と内装の仕上げ、雰囲気に魅了され、ワインと食事以外の憩いの場のような印象で訪れていました。
しかし、その豪奢な内装を維持できなくなるかもしれない閉館時は、その動向が物凄く気になっていましたが、この度そのレストランスペースが声優・漫画家の専門学校になることが決定したそうです。
建築時は78億円かかったそうですから、その建築も楽しんでもらいたいものですが、いやぁ、建物が残って良かったというよりも、あの内装が残りそして私の記憶も残った、という感じで感慨ひとしおです。
こんな感じでいいか、これくらいの材料でないと予算があるから・・・というのではない、とことんこだわった仕上がりを見せられる飲食店は少ないと思います。
次は飲食店ではありませんが、そこに来るであろううちの何人かが、その凝った内装や建築に感心し、漫画や声優道にもこだわりを持ってもらえるといいなぁ、と思います。
あぁ、思い出しているとワインが飲みたくなってきます。
明日あたり、久し振りに想いを馳せてみましょうか・・・