木の年輪からわかる事
皆さんも木の年輪というものはわかりますね?!
杉や桧などの針葉樹の丸太を輪切りにした切り口から見た時に、バームクーヘン(まさしくこれが言葉通り、木の年輪お菓子なのですが・・・)のように層になって見えるのが年輪。
みんな知っているようなこの年輪ですが、実はとても奥深いものなのです。
基本的に、日本の様に四季がはっきりとしている国では針葉樹もある範囲の広葉樹も年輪(もしくは年輪様の模様)が形成されますが、そうではない地域でははっきりと確認できなかったり、樹種によってはそもそも年輪のように見えなかったりするのは、木の不思議なところです。
年輪一つとっても、いろいろな話ができるので脱線しまくって、何のお話かわからなくなるので、今回は話題を一つに絞りましょう。
少し前の新聞記事を切り抜いていたのですが、それは、年輪が含む放射性炭素「C14」というものを調べる事で、いろいろな情報を知る事が出来るというお話です。
年輪は、その形成の仕方を見ただけでも成長のスピードや癖のつき方などを想像できるものですが、更に科学的に見ていくと出てくるのが先のC14です。
今回はこれをみることで、西暦775年に「劇的に多い宇宙線量」が確認されたそうです。
直径2m、樹齢1900年の屋久杉の切り株の年輪に含まれるC14の量を調べた結果、775年だけは通常の大気中のC14の濃度変化より1.2%多く検出されたそうです。
核実験を除くとこの年だけが多いそうで、その理由は超新星爆発か、太陽フレアの影響かと考えられているそうです。
C14を調べるのは、それにより遺跡や遺物などの年代の測定や史実の実証に役立つからだといいます。
生物の体は常に新しい炭素を取り入れ大気中とほぼ同じ割合でC14が存在するが、死骸や樹木の年輪の様に新たな供給がとまれば、C14は崩壊して徐々に減り、古いものほど少なくなる。
半減期と言われる「元の量の半分になる期間」は5730年。
このことから、様々なことをより正確に年代を特定していき、歴史検証などに活かせるようになるのです。
社寺の建築や歴史上の出来事などです。
もちろん、今回のように異常に多い場合などがあるため、さらにデータを蓄積して制度をあげていく必要があることも確かです。
そしてたとえば、神代木などもその埋没時期やその他の情報がわかるのかもしれませんね。
神代栂の枝。めっちゃ細かい!!
また、そのC14からわかる情報として、現在まだ生きている(立木の状態の)木のおよその樹齢を知る事が出来ます。
皆さんは不思議に思われた事はないですか?
天然記念物に指定されていたりする巨樹古木の解説板に「この○○は樹齢およそ1200年といわれ・・・・云々」なんていう表記があることを。
言い伝えで受け継がれている樹齢というものも当然ありますが、それ以外のものは、このC14の測定によって推測されているようです。
代表的なものでいうと、世界遺産として今やあまりにも有名な鹿児島県の屋久島。その屋久島にある屋久杉達の中でもっとも注目を集めるのが「縄文杉」です。
推定樹齢7200年とも言われ、あの何とも言いようのない存在感とその存在が不思議では無くなる森の風景は、ここまで人間が踏み入っていいのか?!と、思ってしまうくらいに神々しいものです。
その縄文杉の樹齢の7200年というものは、他の屋久杉に比べて突出して永く、その数字が正確なのかどうかが話題になることもありますが、これもC14を測定すると樹幹の内部より外側の方が古いという結果が出ていて、つまり実生の2〜3本の合体木である、ということが示唆されているし、樹幹内部の空洞部から採取したものを元に測定すると、2150年という結果だったそうです。
もちろん、空洞化している部分の年輪がありませんから、正確なことはわかりませんが、木を愛するものとすれば少しのロマンを残したままでもいいようにも思いますし、知れない部分に想いを寄せる好奇心を持たせてくれる神秘の存在としておいていただきたいようにも思いますね。
まぁ、縄文杉に関しては、会ってしまえば7200年といわれても納得したくなる存在ですから、嘘かまことかというような事を論争するつもりもないのですが、そんなことまでほぼ正確にわかってしまうというのは、すごい!の一言です。
すみません、やっぱり脱線してしまいましたね。
年輪とC14。
どちらも過去の記憶を維持してくれている、いわばタイムカプセルの様なものです。
人間も記憶を維持することはできますが、美化されてしまったり都合の悪い事は忘れてしまったりします。
それは人間が生きていく上での「優れた」能力だと、昔先生に教わった事があります。
それらが働かないと、頭は混乱し新しい事を覚えていくことが困難だとか・・・
つまり、人間も日々更新しながら生きているということですね。
しかし、木々は苦しんで育った時期や傷ついた事、すくすくと育った事などを全てその年輪に刻んでいます。
そしてそれを数百年、数千年経った後に私たちにも知らせてくれます。
そう考えると、木の癖があって曲がるとか、傷の部分は使えないとかいったことも言えないような気がするんですけれどもね・・・
どちらにせよ、人間の数倍、数十倍生き続ける木々の存在と、その歴史を残す年輪に感服です。