2010年06月08日
研修後に寄り道
5月末の週末に2日間の研修旅行に出かけていたのですが、その時によってみたかったところへ立ち寄ることができました。
まぁ、説明の不要なくらい有名なところ、神話の地島根県は「出雲大社」です。
出雲大社についての詳しい情報は専門のページを見ていただくとして、今回訪れたかったのは、出雲大社の本殿が昔は空中神殿といわれるくらいに地上はるか高くにあったことを示す手掛かりとして出土した「柱」を見たかったからです。
それは、地上48mといわれる高さにそびえていたといわれる神殿を支えていたとされる宇豆柱(うずばしら)呼ばれる柱材の根元の部分です。

比較対象がなくわかりづらいですが、ごっつい柱3本を束ねていたのを再現した様子です。
この集合柱!?に支えられていたという「空中神殿」は、言い伝えや神話の様な形では語られていたのですが、いかんせん証拠がなかったそうです。
それが、祭礼施設建設の為の準備調査で境内を掘削したところ、写真の様な柱跡が出土したということです。

島根県はたくさんの神代木が出土した跡を整備した三瓶小豆原埋没林公園が有名なほど、太古からの神話の地にふさわしい巨樹の森が存在したのだろうと思います。
県産の材を使ったのかまでは記述がなかったように思いますが(そこまではわからないのかな・・)、どちらにせよ昔の立派な大木に違いありません。
さて、肝心の出土した柱の現物を見るために境内を離れ移動していた途中にまたあるではないですか、立派な木が。

命名はなかったようですが、元は「馬つなぎの松」だったそうです。
大社へお参りの方の馬をつないでおくことに使用された松の木だそうで、樹齢400年だそうです。
針葉樹ですから、400年といえばかなりの長寿です。
特殊な例(屋久杉や台湾桧、その他の巨樹)を除けば、ほぼ寿命という樹齢に思えるのですが、そんな感じはせず、堂々とした松の枝ぶりを見せてくれていました。
ここが昔の駐車場ならぬ、駐馬場?!だったようです。
さて、歩みを速めて大社とは別の敷地にある「資料館」に向かいました。


とても広い敷地に、現代建築らしい綺麗な建物が迎えてくれました。
早速中に入り、展示室へ入るとすぐに柱に対面できました。
この柱のみ撮影オッケイということで、いろんな方向から撮影を始めました。


いざ対面してみると、「巨樹を更に束ねた」というよりは、おそらく当時は必要な高さを持つ柱用の木はまだ比較的入手可能で、まっすぐで径の似たようなものを選別して一本に束ねたのではないかなぁ・・・と想像するような、想像していたような巨木の柱!!というものではありませんでした。
とはいえ、神代木の色合いを呈し、とても細かくも荒々しい木目を見ると、これらが生えていたころはどんな土地だったのかなぁ・・・・という思いと、これらの材を使って建立された空中神殿の姿が浮かんできました。


それに、ピラミッドではないですが、こんなの重機がない時代にどうやって建てたんだろうか・・・・
人間ってすごいなぁとも思いました。
資料館内はまだまだ見どころたくさんなのですが、撮影は不可のため後は御自身でゆっくりとご覧になることをお勧めします。
資料の数といい、復元された神殿の模型や部材といい、数時間は十分楽しめますので、ゆっくりと回られるように。
やはり、歴史のある名所名刹には行ってみるもんですね。
またひとつ勉強になりました。
