空を見上げて
トップページ » 古木
古木

三瓶小豆原埋没林公園


ずっと縁がないのかと思っていました。
こんなに想っているのに・・・・
片想いを続けて何年になるでしょう。
やっと出会う事が出来ました!
それはこれ!

三瓶埋没林公園 11










この景色だけで、木の好きな方はもちろんご存知の場所、そう「三瓶小豆原埋没林公園」です。

埋没林・・・読んで字のごとく「埋もれた林」ですが、埋もれたままだったものが発見され、それも数千年前の火山活動や洪水などで土砂や河川に埋もれてしまった木々や森が出現するのが埋没林ですね。
神代木が現れるのは、こうした埋没林からです。

この三瓶埋没林もその一つ。
この三瓶と双璧を成す日本の埋没林には、魚津埋没林博物館がありますが、各地で埋没林や珪化木などがみつかっていますので、ここだけという話ではない中で、どうして有名なのか?
それは、その双璧が素晴らしい展示内容と管理がされているからでしょう。
もちろん、その時代を知る上で貴重であるということ(これは後で出てきます、公園整備の発端となることです。)もありますが、相当な量の埋没樹木とその保存状態の良さが、人々に様々な影響を与えるからだとも推測します。

さて、その埋没林公園。
私が恋焦がれていたのは、ここを目当てに向かった一回目は休館日だったことと(現在は職員さんのご尽力で年末年始などのみになっていますが。)2回目の旅行では訪問を打診したものの、他のメンバーから「そんなん行きたいのは自分だけやで・・」といわれ、目と鼻の先まで生きながらも涙をのんだわけで・・・・
3度目の正直はもちろん単独での訪問!!よっしゃー、泊り込む位の勢いで乗り込んでやる!!と意気揚々。しかし半面、魚津の時の様に「エイリアンの襲来」にさらされたらどうしよう・・・と少しビビりながらの出発であったことも付け加えておきましょう。

さぁ、チケットセンターの女性ともウキウキで言葉を交わし、いざ地底の埋没林の世界へ!!

三瓶埋没林公園 12










このタイムトンネルの様な入り口をくぐると、少し空気が変わるような気がします。
地下へと伸びる階段に、どんな景色が待ち受けているのか期待は高まるばかり。そして前の景色が開けると・・・・・

三瓶埋没林公園 1










でたーっ!!いきなりの埋没樹木のお出迎え。
しかもビッグサイズがニョキッと立っています。
保存処理の影響でしょうか、照明を反射し黒光りするその木肌は、出土当時も泥水にまみれながらも永き眠りから揺さぶり起こされた「旧世界の巨人」を想像させます。
その根株の張り具合が、まるで自分の足で立っているかのようにも感じてきます。

三瓶埋没林公園 2










できる限り、発見当時のままの姿を維持してくださっているのでしょう。
覆いかぶさるように重なり合う樹木と、その隣で土砂や溶岩でも流され倒れることのなかった強靭な幹を持った巨体が立っている。
木々も自然のものですが、それらの景色をも一瞬で変えてしまったであろうもう一方の自然の力に驚きつつ、よくぞこんな状態でもう一度空気に触れる時代に現れてくれたものだと感謝したくもなります。

三瓶埋没林公園 3











展示の中には、出土した地層をそのまま見せてくれるところがあり、そこには地層の中からその姿を見せる流木となったかつての木々の姿がはっきりと確認できます。
助けを求めているのか、それとも時代の証言者としての言葉を投げかけているのか?!できることならば、その当時の様子を語って欲しいような気分です。

三瓶埋没林公園 4



(照明の加減で変色しています。すみません。)





回廊の様になった展望スペースは、まさに埋もれたままの感覚を味わうことが出来る内容で、中には自分のすぐ近くに直径1mを超える立木状の埋没材があったり、巨体でありながらもその体を引き裂かれなぎ倒された状態のものが、年輪を読むことも出来る状態で横たわっています。
間近に感じるその光景は、自然の力としか言いようがありません。

三瓶埋没林公園 5










左手にいる私と比較しても、木々の大きさはわかると思います。
ここが埋没した時代には、これらの巨樹が林立していたのかもしれません。
今の時代においても立派な大木だと感じるこのサイズ、やはり出雲大社の神殿などの巨大宇豆柱や社殿の御用材はこの地域で賄われていたのだろうか。
どちらにせよ、それだけ山が豊かだった証拠か・・・
出土材の多くは杉だったということなので、杉を中心とした森だったのだろうけれども、巨木の蓄積は多かったのでしょう。

ぐるぐると展示スペースを歩き、出たくないなぁ・・・とブツクサ言いながらも次の展示スペースがあるからには出ないわけにはいきません。

三瓶埋没林公園 10










次の世界への入り口はこちら。
合体木根株展示棟。
開かれたドアに吸い込まれるようにまた地底の世界へ・・・

三瓶埋没林公園 6










ドアをくぐると、グルグルと続く階段。
その下には根株があります。
一段一段おりるごとに、少しづつ「その時代」まで時間を逆回ししている様に木々が埋没した時代へと続く階段を踏みしめていきます。

何段下りただろう・・・いや、彼らが埋没した4000年前の時代へはまだまだ遠いはずですがずいぶん下りたような気がします。

三瓶埋没林公園 7










そこにあったのは、根上がり気味に寄り添って合体する切株。
発掘時にこの部分から伐採されたそうですが、10m以上の樹高を残したまま直立した状態で発掘された株は、切断当初も鮮やかな木の香りを放ったと当時の記録にあります。
4000年以上も埋もれていた樹木から香りがするというのは、自身の経験からわかってはいるものの、信じがたいものであるとも感じます。

三瓶埋没林公園 8










今すぐ手の届くところにある根株が、数10mの高さのまま埋もれ、外気に接していた部分のみが朽ち果てて、今の状態で残ったわけですが、目の前にしても保存状態も美しくまさかこれが地下に埋もれていた巨木の株だとは想像できません。

つまりは、やはり人知の及ばない自然の世界の出来事だということでしょう。その力には驚かされるばかりです。

三瓶埋没林公園 9











見事な展示内容は、その歴史を知る上でもまた、彼らの生きた時代から現在に生を受けている私たち自身を見る為にも、非常に貴重なものだと思います。
現存する巨樹もそうですが、やはりそれらよりも以前の地球を知っている彼らの記憶を覗いてみたい気持ちでいっぱいです。

ここ小豆原は「埋没林」というだけあって、これら以外にもたくさんの埋没樹が敷地内に存在するそうです。
もともとこのあたりからは、以前から倒木が出土していたようですがそんなに気にはされていなかったそうです。
そして水田の区画整備事業の最中にも、一本の立木で出現した埋没樹があったそうですが、その時も大きく取り上げられることなく時は過ぎ、ある時、その区画整備時に出土した立木の写真を見た一人の方によって、のちの埋没林公園の整備計画と発掘作業が始まるのです。

そんな背景から、敷地のあちこちに不思議な突起がたくさん。

三瓶埋没林公園 14


 正面と左奥(カラーコーン左)の円柱です。






これは「埋没林モニュメント」というらしく、敷地内に点在しているのですが、このモニュメントの下には同じ大きさの埋没樹が埋まっているそうです。
ということは、林立するモニュメントを見れば、どこにどんな大きさの埋没樹があるのかわかりますし、その数からやはり相当数の樹木が埋もれたこともわかります。

三瓶埋没林公園 13











これらを見ると、「埋没林」という存在を改めて認識することができますし、学術的にも貴重な埋没林は、埋め戻し保存されているそうで、展示されている以外にもこれらの樹木が再び眠りについているというのもいい話ですね。

これらの埋没材に会うと、歴史を感じることは当然ながらその時代のことや、その樹木の成長の事、動く事が出来ずに火山活動にのまれた樹木たちの事を想い、巨樹に出会った時とはまた違った気持ちにさせられます。

これからも人々に歴史と自然の力、そして木々の力を伝える場として活躍してくれることを祈って、惹かれる後ろ髪を引きずりながら埋没林公園を後にする私でした。


*ご注意
埋没林公園のホームページにもありますが、現地へ向かわれる出発場所によっては「ホンマに?ここいくの?!」という当然車の対向などできない林道を延々と通らないといけないルートになる場合があります。
特にカーナビを頼りにされる場合はホームページに記載されている「推奨できないルート」を参照のうえ出発されることをお勧めします。
因みに私もがっつりと「車一台分通行可」ルートを通りました(汗)。


木ぃクンmuku_mokuzai  at 13:15コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ! 

福を呼ぶ?! 厄神さんの巨樹の根


お正月の三が日も過ぎ、ちょっとリラックスし始めた頃合いでしょうか。
皆さんのお正月は帰省ですか?はたまた旅行?!
私の住む町は、近くに吹田インターという交通の要所中の要所があるため、この時期とお盆はどこへ行くにもその吹田インターの長蛇の渋滞の列目の当たりにすることと、ラジオから聞こえる「○●インターを先頭に渋滞が50キロ・・・」という言葉を耳にするため、どうしても外出する意欲を無くしてしまいます。

ですから、私のお正月は専らお参りです。
三社参りといいますが、近くの神社から始まりいろいろと社寺を参詣して廻るわけですが、そんな参詣コースの中に皆が驚く巨樹があったのです。

その所在地は以外にも兵庫県西宮市の超有名どころ、門戸厄神(東光寺)です。
実は、そこに存在するのは巨樹といっても立木ではなく、巨樹だった部分、です。

巨樹の根 4














大きさが伝わるでしょうか?
流石にお正月ですから参拝が多く、ゆっくりと撮影というわけにもいかずまた、御利益を授かろうと撫でる方や謂れをじっくりと眺める方がたくさんいらっしゃるので、いろんなアングルから撮影!ということができないので、ご容赦いただきたいところです。

巨樹の根 2














この根は「延命魂(根)」といい、元々は高野山奥の院、弘法大師御廟近くの参道に聳えていた高さ60m、樹齢800年といわれる立派な杉の木のものだそうです。
その樹が天寿を全うした後に、門戸さんに来られたとあります。
延命、病気平癒の願いをかけて根に触れくださいとあります。

巨樹の根 3














普段、巨樹巨木に触れたりその存在をあまり認識されていない方にはかなり驚きでしょう。
それも、根っこですから立木の姿を想像すること自体が夢に溢れていていいものです。

巨樹の根 8














そしてその隣には、もうひとつ巨大な切り株があります。

巨樹の根 6














こちらは宝輪杉とあります。
縁起の良い名前ですね。

巨樹の根 5














解説板にある様に、やはり輪は宝物。
人と人の間にある輪を大切にして、その中に皆の幸福があるということでしょうか。
何か宗教の様になってきてしまいますが、とても重要な事と思います。

巨樹の根 7














年表には806年から年代が刻まれています。
改めて、木々の生命力と偉大さを感じますね。

私もこの根のように木材界に深く根を張り、皆さんに撫で撫でしてもらえるような(笑)貴重な存在?!になるべく、今年も木の虫に励む所存です。
参拝を兼ねて会いに行ってみてください。
御利益を頂けるかもしれませんよ。

巨樹の根 1
















木ぃクンmuku_mokuzai  at 13:15コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ! 

生きていた(?!)化石 「イチョウ」 其の参


さすがにはるか昔より続く歴史を持つ「生きた化石」イチョウ。
なかなか語り尽くすことができませんね。

第三回目は樹木としてのイチョウそのものについてです。

前回の記事にある様に、イチョウは社寺仏閣にも多くの巨樹を残しています。
ご神木として残っている物が多く、樹齢も高く見事なものを見る事が出来ますね。

薬師の大イチョウ







 あしからず、いつものごとく冬の巨樹めぐりですので、葉はありません。

 福井県勝山市の薬師の大イチョウです。











元々イチョウは、仏教僧により神聖な木として見られていたことも理由の一つだと思いますが、それと共に長寿や希望、統一のシンボルとして見られていた事も大切にされてきた理由でしょう。
それに伴ってかどうかは定かではありませんが、花言葉も「長寿・鎮魂」ということなのでやはり社寺に多いのは納得のできるところでしょうかね。

長寿や希望という言葉を用いる時、イチョウに関しては戦争時の広島への原爆投下爆心地から、一番近かったもので1130mのところにあった木が、翌年に咲いたそうです。他にも近くに合計4本残っていたそうですが、この事からも前回から続くイチョウの生命力を見てとれるものであると言われています。(爆心地近くの樹木ではたしか、桜もあり元気に咲いたといわれていたと記憶しています。)
当然、木が残っていてもあれほどの甚大な傷をもたらした爆撃には、それらの言葉を引用するのも不謹慎かもしれませんが・・・

さて、生活のなかでも銀杏は実用的に用いられています。
ぜんそくや咳、膀胱炎にきき生色でがんに効く(*)とされ、加熱したものは消化を助けると言われています。
毛細血管の血流を良くしてくれるので、記憶や集中力の停滞を防止しアルツハイマーや片頭痛の改善に期待されているそうです。
(*)医学的根拠の元での結果ではありません。あくまでも伝承としてのお話です。

ある程度、イチョウについて知ってらっしゃる方や植物に興味のある方ならば御存じでしょうが、イチョウの木にはオスとメスがあるのです。
男の子と女の子がいるということですね。
えーーっ!!、と思われる方も意外にいらっしゃるでしょうね。木にオスとメスがあるなんて。実際、私も無知なうちはそんなこと真剣に考えもしていませんでした。
さらに驚きなのは1896年(明治29年)、平瀬作五郎氏が「イチョウは精子を持っている」ということを発見されたことです。
花粉管が破れて精子が飛び出し、花粉室の液体の中を泳いで造卵器の中に入り受精する、というシステムだそうですが、とてもリアルな説明も、「イチョウの木がそんな活動しているのか?!」と訝しくなってしまいますが、それがシダ植物から裸子植物への進化の途中の状態といわれるイチョウの特徴かもしれません。

そして実を造るべく所(林内)では意図的に「ほとんどがメスの木」だそうです。その方が実がたくさんできるからだと思われそうですが、そうではなく、オスがたくさんいると実が出来過ぎて小さくなってしまう為に、わざとオスの数を減らしているそうです。
人間で言うともう、ハーレム状態ですね。なんとも羨ましいイチョウめ!!

基・・・

もうここまでくると、イチョウを木だとは思わなくなってきたのではないですか(笑)?!
さらにさらにイチョウにはもう一つ、人間の様な所があります。
さて、どこでしょう・・・

答えは「乳」です。

宗英寺のイチョウ
 少し垂れているのがわかるでしょうか。(画像クリックで拡大してみてください。)

 三重県亀山市の宗英寺のイチョウです。
 右側の彼も巨漢ですが(笑)イチョウは負けていませんね。(因みに私の友人。無理矢理連行!あんまり感動なし、私がっかり。)


一度でも老樹に会われた方ならなんとなくご存じか、もしくは異様に見えるかもしれないその「乳」を目撃されていることと思います。
正しくは内部に大量のでんぷんを含んだ「気根」というものですが、老木になると枝から地面に向かって垂れ下がってくるものがあります。
特に雄の老木の乳を煎じて飲むと、母乳の出が良くなるといわれその事から全国に、銀杏の大木のある「子安神社」が各地にあるのです。
そういえば巨樹めぐりをしていると、結構みかけますよ子安神社。

*乳の写真は後日の記事 「イチョウサイド(再度)ストーリー」も参照してくださいね。

とっても人間ぽい(?!)イチョウの話はここまでで、少しロマンチックなお話をしましょう。
前回、ケンペル博士がイチョウを日本に発見し欧州へ持ち帰ったことを書きましたが、実はかの文豪ゲーテさえも、そのイチョウをフランクフルトにて鑑賞し黄葉の美しさに魅せられたそうです。
そしてそのイチョウの葉を恋人に送っているそうです。
ゲーテが知ってか知らずか、イチョウの葉はしおりにすると「紙魚(しみ。本などの紙を食害する銀色っぽい体のすばしっこい虫)がつかない」といわれています。もしかすると、銀杏の葉を受け取った恋人は、そのイチョウの葉を好きな書物にはさんでは、ゲーテの事を想い浮かべたのでしょうか・・・・
そうかんがえると、あの葉がハートに見えてこなくもない・・・かな。

最後に、ほぼ日本中の街路にて目にすることのできるイチョウ。
それは、公害に強く病虫害に会うことも少ないことと、成長がある程度早いことが街路樹としての資質に合う事から用いられているものです。
とはいえ、成長が早い事によって大きくなりすぎたり、黄葉は美しいですが、その落ち葉がごみになる(私からするとけしからん考えですが、それでも近隣の方は迷惑なのでしょうか・・・)ということから早々と伐採されたり、これから黄葉という時に無残にも枝を「ぶった切って」しまっているのを各地で見かけます。
そのままにしておくと銀杏の潰れた時のなんともいえないあの匂いがあることも避けられない事情なのはわかります。
が、こういうときはやはり、木が生き物であることを忘れた人間の手前勝手で植えられた木々のことを想わずにはいられません。
また、古くは防火のためにも植えられたイチョウ。
生活に深く関わっていたんですねぇ。お寺などにも、本来はそういった目的で植えられたものも少なくないそうです。

本当の最後に、これだけ珍しくすごい特徴をもつ銀杏の中でも、特に珍しい種類が全国に数本あるのです。
それは「オハツキイチョウ」。

オハツキイチョウ 1













これは説明版のとおり種子が葉の上にできるもので、植物学上もとても貴重なものだそうです。

オハツキイチョウ 2




 巨樹というわけではないですが、会っておかないわけにはいきませんよね。








オハツキイチョウ 3



 ただ、結構葉が上に位置するため普通のデジカメではとらえづらかったのが残念なところ。







と、もうどこまで何を語ったかわからんようになるくらいに歴史のある木イチョウ。
結構近くにある木が、こんなに永い歴史をもっているということはなかなか語られないのではないでしょうか。
今年の秋は、是非これらの蘊蓄をかみしめながら(笑)、美しい黄葉をたのしんでくださいね。


追:後日談の「イチョウサイド(再度)ストーリー」も是非ご覧くださいね。



木ぃクンmuku_mokuzai  at 13:15コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ! 

出張にて −魚津埋没林博物館−


さて、出張の中でも大きなウェイトを占めているうちの2つ目(いや、本来のウェイトは当然、仕事の件ですよ!!念のため。)は、どうしてもよっておきたかった場所。

埋没林博物館11
























ご存知の方多数いらっしゃるでしょう。
無理矢理に足を延ばしてでも寄りたかったところ、そお、ここ「魚津埋没林」です。
そこは現在はきちんとした博物館として私たちにすさまじいまでの自然の世界を見せてくれます。

埋没林博物館1





 魚津埋没林博物館入り口。
奥の三角形の建物群が展示館です。






駐車場に車を停めると、見渡さずとも私だけ。
おぉー、ラッキー!と思ったのが後で後悔することに・・・?!

さっそうと、ウキウキと入口をくぐるとそこですぐにお出迎え。

埋没林博物館4














車いすなどが置かれていて、なんか迫力にかける画像になっていますが、大きな樹根が出迎えてくれます。
これから見ることになる巨人たちの歴史のプロローグです。

展示館は大きく3つに分かれており、先ずは発掘された時を考察できるような見方のできる展示館へ。

埋没林博物館7














入り口を入ると、丁度上から見下ろすことのできるようなアングルに立つことになるので、埋没していた巨樹達の発掘時の様子を感じる事が出来ます。
階段を下るとそこは魚津港の海底であるという設定で、建物の展示空間の高さが構成されています。
つまり、階下の床面が海底、そこから階段途中で海面となり、階上が丁度海面より2mほど(?!)といったような具合です。
もともと、地元では海面より顔を出している樹根は有名で、昔は遊泳のできた魚津港に海底樹木郡のある事も知られていたそうですが、当時はその埋没林の価値に着目する人も少なく、遊泳潜水時の休憩場所として有名だったというくらいのものだったそうですから、すぐ近くにある名所古刹に興味がわかないのはやはりどこにおいても共通なのでしょうか。
とはいえ、やはりきちんとその価値を理解する方が出て研究が進むそうですが(海面に出ていた樹根がいつしか流されたことがきっかけだとか・・・)、これだけのものが眠っていたとは、人知の及ぶところをはるかに超えています。

埋没林博物館8














次の展示館は乾燥展示室であり、ここでは魚津港にて出た最初の埋没樹根を展示していて、触れる事が出来るのです。

埋没林博物館9




 幹を抱いたまま没した樹根。
すさまじい生命の神秘の様なものを感じる存在感です。






埋没林博物館10














多分、普通の人はあんまり触りたくもないのではないかと思うくらいの何と言うのか、すごい迫力です。
それでもやっぱり触りたい。

埋没林博物館12














我ながら、なんとも嬉しそうな・・・お恥ずかしや。
まぁ、その巨大さがわかるでしょうか。
これでも、さらに奥行きが半端でなくありますから、一人の人間が上にのっかってゴロゴロと寝ることも十分なくらいの2畳(いや、もっとか・・)以上の広さがある樹根です。
しかし、ニコニコとしている頭が冷静に戻るまでにはそうは時間がかかりませんでした。
というのは、この巨大樹根を見て思い出した、次に行く最終展示館「水中展示室」には、私たち人間の小ささを感じるような身震いする状況が整えられているのです。


ここで私は冒頭の「一人やん!ラッキー。ゆっくり見れる。」という、安易な考えを後悔することとなるのです。

埋没林博物館13














ここが水中展示館の地下展示部。
ひんやりとした印象のコンクリート壁に囲まれ、さらに人気がないことで寒さはひとしお。
そんな中で目の前に現れるのは神の時代の遺物か、はたまたエイリアンの襲来か、その異形に一瞬身が凍りつくほどの畏怖を感じます。

埋没林博物館14














保存の観点から暗く保たれているためピントが合いませんが、もう迫りくるような神の触手の餌食になりそうな感覚に悶えながらも、その姿を目に焼き付けることになるのですが、予備知識として知ってはいたのですが、やはりこの迫力は海中埋没林ならではのもの。
土中の埋没林とは違い、海水に洗われてきたその姿は、言葉では表せないほどのすさまじい表情を呈します。
紀州の神代樟がそうであったように、私をもってしても、その姿は異様と言わしめるような物であります。

なんでこんな時に他の来館者おれへんねん。
地下の展示を見た後に、その水中展示を上から眺める事にしたのですが、本当は先に上から見ればよいものを、入り口の閉ざされた展示館に一人、薄暗く静かで、時に水中から湧く湧き水の連れてくる泡が水面に出てくると、「海中のエイリアンが呼吸しているかの様」であり、さらにその泡が起こす水面のゆらぎが微妙に照明を反射させていて、プールを背にしてみる壁面の展示説明を読もうとする私の背後から、今にも「バサァーーーーッ」と襲ってきそうな気配を感じさせ、年甲斐もなくビビりまくってしまい、心構えをしてプールを覗くまでに他の来館者を心待ちにしたのですが、訪れず・・・

埋没林博物館15














恐る恐る、プールに近づき覗きこんでみる事に・・・
しかし、プール暗すぎる!!!(展示のためですが、こわいよぉー。)

で、で、でたぁー・・・・

埋没林博物館16














水中で見るのとはまた違う、やっぱり今にもプールを飛び出してきそうな根の伸び方。
カメラを構える足がおぼつかず・・・・・
それでも、心で泣きながら必死に写真を撮るのであります。

一通り撮影しそろそろ出ようか、と思っているところへ次の来館者が。
もっと早よぅ来んかいな!!しかも、めっちゃ賑やかな人たちや。こんな雰囲気なら最初から余裕もって見られたのに・・・・(涙)

一人も考えもんですね。勉強しました。

名残惜しいのか、それともビビって足が動かないのか、なかなか前に進まぬ自身の体に鞭打って展示館をあとにしました。
期待通りの展示とその異形の数々に、ただただ「すげぇー!」「おおぉー!!!」の連続で、多分会話のできる様な状態ではなかったですが、貴重なものを見る事が出来ました。
神代木を扱うものとして、やはり見ておくべき展示だったと思います。
日本の風土が育んできた自然と樹木たちをこれからも大切にしていきたい。
そう想いを深めるよい機会となりました。
皆さんも、機会があれば一度足を運んでみてはいかがでしょうか・・・

埋没林博物館2


















木ぃクンmuku_mokuzai  at 13:15コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ! 

畏怖すら感じる、高井の千本杉


杉の学名はCryptomeria japonicaです。

「日本」という言葉と、「隠された・覆われたもの」という言葉がはいっていることから、「杉は日本の隠された宝物」と、雅に訳す事が多いですが、(一説には、球果が葉で覆われていることからきたものだそうです。)拡大解釈はともかくとして、我が国日本には、一般的な建築材料としての杉材から花粉症としてこきおろされる杉林まで、本当に多くの杉を抱えています。
当然それらは自然の財産であるのですが、それらとは一味もふた味も違った「本当の財産」といえる杉が多く残るのも日本の特徴です。

それは屋久杉杉の大杉など、全国に聳える巨樹達です。

高井の千本杉 10
























今回は、この写真の巨樹にあってきました。
これは奈良県にある「高井の千本杉」と言います。
その名の通り、千本!とはいかないまでも、天を貫くかの如く幹と枝を伸ばしている姿はまさに巨樹。

高井の千本杉 1














近づくとこのようにまるで剣山のように幾本もの幹がつきだしているのがわかります。

高井の千本杉 3














盛り上がった瘤や、それこそSF映画で森の木々が襲ってくるかのような恐ろしい位の迫力があります。

高井の千本杉 5














この巨躯となんとも言えない容姿をもつこの高井の千本杉、実は合体木だそうです。
なぁーんだ一本の木ではないのか、というなかれ。
ここまで見事に、しかも異形ともいえる様相を呈するようになるものは、如何に合体木といえどそうそうはないはずです。
それに、この高井の千本杉には「曰く」があります。
今までの写真のアングルは、この巨大な千本杉が2本の道の間に位置するため、上側の道路から撮影していたので見えなかったのですが、下側から撮影すると、きっちりとした鳥居がある事がわかります。

高井の千本杉 11
























杉をメインにしているため、失礼ながら鳥居が傾いて写ってしまいました。
このように鳥居があり、中には祠の様に祭られているのが見てとれます。
実際は蜂が生息しているので、祠にはほとんど近づけませんでしたので、詳しくは見えなかったのですが、この巨木の由緒はそばにきちんと残されていますので、確認することが出来ます。

高井の千本杉 4















高井の千本杉 12














実はこの千本杉、井戸を祀る井戸杉です。
由緒書きにもありますが、もともと井戸を囲んで密植された杉がいつの間にか株を合わせたものだそうです。
「千杉白龍大神」とともに祀られている井戸は現在は空井戸だそうですが、地元や県外からも参拝に訪れる事もあるほど大切にされているそうです。

主幹は推定樹齢500〜600年(環境省には700年とあるそうですが・・)だそうです。
堂々の巨樹です。

実は、この千本杉に訪れた時、私だけではなかったんです。
といいますか、他の方がいらしたので、到達できたと言った方がいいかもしれません。
というのも、ちょっとした山の中に位置するため、住所というものではなくその存在の情報だけでこの巨樹を探していた為に、「これ以上車で入るには危険・・・・」と運転慣れした私でも思うくらいの道に入ってしまい、あきらめきれずに車を停め、徒歩で先を目指したのですが、それでもなかなか現れない。
もう諦めようかと思っていたところ、同行していた長男が「そこに人がおる!!」というんです。
まさか、こんなところに人が?!!襲われへんかろか?????と少々不安になりながら上り坂を登ると本当に人がいました。
それもご夫婦で。

とりあえず、身の危険(?!)は回避され安心したところに飛び込んできたのが、やっと会えた、この高井の千本杉だったのです。
そのご夫婦も、この巨樹に会いに来られたそうですが、この方たちがいなければ、あきらめて帰っていたところでした。

そうしてやっと到達した千本杉。
当然、由緒書きも見る暇なく息子に「僕、写真撮るのにあそこに登ってみ。おっちゃんらもさっきそれで写真とったんや。」と。
そう言われても、この異形に畏れ慄いていた私は、「こんなん、足かけたら罰(ばち)当たるで・・・」と心の中で思っていたのですが・・・・

高井の千本杉 6














おいおい、我が子よ。
気が付いたら既に走っていっとるやないか・・・・
しゃーないなぁ・・・と、いつもの儀式(以前までの巨樹巡礼の記事の写真を参照してね。)を執り行いながら比較写真撮影に移るのですが、「ご主人も登らはったらわ!」との声がかかり・・・・

高井の千本杉 7




 登ってもーた。









しかし、見よ!この巨躯。
このまま取り込まれてしまいそうな感覚。
カッコつけてますが、もうサブイボ(大阪弁で、鳥肌の意)出るくらいビビってます。
夏に訪れたのに、ひんやりしているので、余計にサブい。

高井の千本杉 8














当然ながら、一本の幹でさえ私をはるかに凌ぐ大きさです。

杉は元来より水を好む樹種です。
その為、杉の木の含む水分量は桧などの他の針葉樹に比べても相当多く、そこが建築や素材にする折に巧く乾燥させる技術が必要とされる所以です。
が、その性質を利用して、以前は水源を呼ぶために井戸の周りに杉の木を植えるところがあったそうですが、この千本杉も水を集める為の井戸杉だったのでしょうね。
伝わるところによれば、日本最古の井戸杉だとか・・・・

高井の千本杉 2



 離れて撮影。もうそれらだけで林の様相を呈しています。








実際は、外国にもたくさん巨樹があり、日本の巨樹よりも大きいものも多数あります。
が、この国に残る巨樹達は古来よりいろいろと信仰されていたり、この井戸杉の様に人々の生活に近い性質を持っていたり、又は今では珍しい樹種も含めその樹種が豊富であったり、特別な由緒のある木々が多くあるのが我が国です。
巨樹と一口で言ってしまうと、単なる大きさ比べの様になってしまいますが、彼らに実際にあってみるともう、その存在だけで素晴らしく、どこのが大きいとかいう単なる大きさ比べには関心が無くなってきます。
なんでもすぐに入手でき、仮想体験できる世の中だからこそ、直に彼らの存在を感じる意義は大きい!
そう感じるのは材木屋だからではないと思います。
また一つ、忘れられない出会いが増えました。

因みに、この千本杉の近くには国の天然記念物に指定されている「八ツ房杉」と、個人宅に聳える「片岡家のケヤキ」があります。
桜の時期には仏隆寺の千年桜も、ほん近くです。
廻る元気のある方は、奈良の一日巨樹ツアーを組んでみるのもいいかもしれません。
くれぐれも、巨樹や所有者等に対するマナーは守ってくださいね。


高井の千本杉 9
























高井の千本杉所在地

奈良県宇陀市榛原区高井679

仏隆寺の標識のある狭い登り坂から進入すると、私の様にえらい事になりますので、下側の鳥居の方に回られる事をお勧めします。
時間の都合上、下側の道(伊勢本街道のようです。そちらの津越の辻に案内看板があるようです。)を詳しく探れませんでした。そちらからなら、車も進入可能です。




木ぃクンmuku_mokuzai  at 13:15コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ! 

福井の道端の大タモ


いやぁ、求めているといろんなものに出会える。
以前から書いていることですが、やはり何かつながるところがあるんだろうかと想う事がしばしば。

今回は単刀直入に。
出会ってしまった(大げさですが)。

福井のタモ 3

























民家がぽつぽつと建つ、とある山中の整備された道端に立派な樹を発見。
丁度カーブを曲がったところに突然その姿を現すその巨樹。

これは本当に立派で、背丈こそ高くありませんが、しっかりと太い幹は力強さを感じさせます。
とはいいながらも、案内板も樹種の紹介も、県の指定も受けていないと思われる、本当に何も手がかりのない、ひっそり?とたたずむ巨樹です。

福井のタモ 8



 横からみれば、幹の太さが想像できるでしょうか?









私も恥ずかしながら、瞬時に立ち木まで樹種を判断できるほどの腕前がないため、何の木だろう?!有名なはずなのに・・・と撮影しながら佇んでいると・・・

福井のタモ 7

 ひょっこりと顔を出したトカゲ君。
 巨樹に手を出さないか、みまもっているのかな?!

 実は、この「彼」は後で熾烈なバトルに巻き込まれるのですが・・・





トカゲ君の巣?のすぐ横にはお地蔵さんが立っておられます。


福井のタモ 5


 花が供えられています。大切にされているんだろうな・・・と感じていると、一台の軽トラックが。

 この巨樹の前には無人の野菜直売所があり、そこに来られた地元の方でした。

 何気なしに挨拶をし、念のために樹種を聞いてみると・・










なんと、この木は「タモ」だというではありませんか。
その方の実家にもタモがたくさん植わっていたのと、昔から聞いているので、間違いないそう。
いわれやその他を聞いてみようと、話を進めてみたのですが、残念なことにこの巨樹については樹齢も謂れも、正確な情報がないそうです。
いろいろと調べた方もいらっしゃったそうですが、やはり公開するほどではなかったそうで、今では本当に伝える人も少ないとか・・・
たまに、私のように都会から来た人が尋ねることがあるそうですが、基本的に有名なわけでもなく、市や県で指定されているわけではないので、地元の方の好意で保存されているそうです。

昔は学校の待ち合わせの間に上って遊んだもんやがな・・・、とおっしゃっていましたが、私は登ることは控えました。
折角の盛り土を落としてしまうかもしれませんしね。
でも、子供たちを包む巨樹の役割。都会ではなかなかわからない感覚でしょう。

福井のタモ 6














しかし、道路と反対側は少し弱った部分があるものの、盛り土や雑草の手入れなどをされているそうなので、樹精が弱っているというわけではなさそうです。
ただ、周辺の集落の方だけでは、手を入れるにも限界があるでしょうから、タモの生命力を信じるという方法が今は一番の策なのが歯がゆいです。

そんな話をしている間に先ほどのトカゲ君、一歩も動いていない。
なんでかな?とおもっていたら、すぐ後ろに蛇がおる。
両者、気配を感じ取りあいながら牽制してる。
生死のバトル。
トカゲ君助けたいけど、自然の摂理と思いとどまって眺めること10分。
「ザザァっ!!」と音したとおもったら、トカゲ君ジャンプ。
蛇もびっくり、あわてて追うけどトカゲ君は既に排水溝へ。
大樹の下での生死のかけひき。スゴイの見た。


福井のタモ 4














少しわかりづらいけど、私と比較。
背丈はそんなにないけど、ホントに幹は立派です。

福井のタモ 2




 風格のある幹。ボコボコが何ともいいがたい雰囲気。










いつも巨樹には興味を持っているとはいえ、あちこちで出会うわけではありません。
が、今回のようにたまたま通って出会うこともあるんです。
しかも、名もない巨樹に。
願うことの大切さと信じることの意味を感じるような気がします。

出会えたことに感謝し、これからもずっと健康な姿で立っていてくれることを望み、その地を後にする私でした。


福井のタモ 1















福井のタモ所在地

福井県の山中。
コレに関しては、お知りになりたい方はショールームまでお越し下さい。
あまりに人が押し寄せても、樹にとってはしんどいかもしれません。本当に好きな方にはお会いしてお伝えいたします。



木ぃクンmuku_mokuzai  at 13:15コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ! 

大阪府内一の樟 薫蓋樟と対面


弊社に来ていただくお客様のなかには、結構な比率で巨樹や名木に会いに行っていらっしゃる方がおられます。
当然旅行がてら、ということもあるでしょうが、その土地の著名木をお目当てに行かれる方もいらっしゃいますね。

私も外出時にはできるだけ下調べをして、有名な木には会いに行く様にはしているのですが、よく考えるとまだ「地元大阪」の著名木のうちの重要な一つは取り上げていませんでした。
過去に超地元、茨木市は弊社近くの「水尾の樟(みずおのくす)」や、吹田の線路沿いにひっそりと立つ「弥栄の樟(やさかのくす)」、それに樟以外では超希少であまりにも有名な「野間の大けやき」を紹介していますが、実はまだ府内最大の巨樹であり、全国でも有数の巨樹であるものをご紹介していません。


それは、この巨躯。


薫蓋樟 8


 写真左のおばさんと比較すると、その大きさに驚きます。










そう、この巨躯を大阪の街の中で普通にみられる事で有名な「薫蓋樟(くんがいしょう)」です。
いわずもがな大樟(おおくす)なんですが、さすがに国指定天然記念物で大阪緑の百選に選ばれる大阪一の木だけあり、迫力が違います。


薫蓋樟 2

























神社の境内にそびえているんですが、巨躯を拝む前にくぐり門(?!)があるので、遠くからは正確にその容姿の全景を拝む事はできません。


薫蓋樟 1



 鳥居の奥がくぐり門です。











そのため、その巨躯の存在を意識しながら近ずくわけですが、わかっていても対面の前にはいつもビビります。
その威圧感というか、少なくても数百年〜千年単位で存在しているその異形と畏敬の念に、少し身が震えるのです。
ですので、必ずその姿の前で一礼し、尚且つ社寺仏閣の場合はご神体にもお参りさせていただくのです。
そうすると、少し近づきやすくなるような気がします。


その儀式を今回も踏襲し、鳥居前で一礼しくぐり門の背後で立ちはだかる影に向かってもう一礼して門をくぐろうとしたのですが、やはり凄い迫力!!
それが今回の薫蓋樟の一番の特徴。


薫蓋樟 5















薫蓋樟 3









 少し横手から見ると形がわかるでしょうか?

 うにょうにょ伸びてます。












普通はこの手の巨樹は、根を踏むことや根周りの土が踏み固められることを防止するために、防護柵や展望デッキが施されていることが多いです。
その方が当然木にとっては良いのです。
屋久島の縄文杉の様に、巨樹に近づける事から心ない一部の人間によって、「記念に」や「お守りに」といいその皮を剥がれ、見るも無残な裸状態にされるような惨状を受けてからでは遅いからです。
実は木は、皮をはがされると弱り、最悪枯死してしまいます。
ですから、皮を剥ぐなんて殺人ならぬ「殺木行為」なんです。

一昔前は、あの縄文杉でさえもその巨躯に触れることができたというのに、人間はなんと愚かなのかと悲しくなった想い出があります。

そんな事情があるのですが、府内一番であり、全国でも有数の巨樹であるにもかかわらず防護柵の類がないのです。
というかもう、くぐり門を押し倒しそうな位に幹を張り出し、社殿との限られたスペースに鎮座しています。
ですから、容易に触れることが可能なのです。

その為、くぐり門を抜けようかというところからその異形の一部が顔を覗かせるのですが、瘤状になったその部分が今にも飛び出してきそうな感じがして、門をくぐるまで若干の逡巡を与えます。


薫蓋樟 6




 行く手を阻むかのようにくぐり門につきだすその異形。









それを超えると、頭上には通常の100年生クラスの樟の幹、いやそれ以上の太さの枝が張り出していて、常緑の緑の葉が美しい印象を与えます。


薫蓋樟 9



 巨樹にはいつもある由緒書き。










薫蓋樟 10



 これらを読むのも、訪れる楽しみの一つです。










この薫蓋樟、推定樹齢は1000年以上といわれているそうです。
それは納得です。

しかし、この薫蓋樟の近くには、ポツポツと100年生位の樟をみることができます。
この神社の鳥居のすぐ横にも、市が指定している保存樹である樟があります。
普通に見るとすると、そこそこ大きな木なのですが薫蓋樟と同じ場所にあると、その迫力も薄れます。
おそらく他の場所にもあるのか、若しくはあったのかは定かではないですが、昔は大きな樟が結構自生していたのではないかと思われます。
薫蓋樟はおそらく別格だったのでしょうが、有用な形状のものはもしかすると木材として伐採されたのかなぁ・・・と考えていました。


この薫蓋樟。
緑豊かで、損傷もこれといっては大きいものも見当たりませんので、まだまだ元気だと想像しています。


薫蓋樟 7


 大きくなったその腕に、肘掛がこしらえられていました。











大阪が全国に誇れるシンボルとして、野間の大けやきとともに、後世に残していきたい貴重な財産です。
みんなで大切に保存したいものですが、その巨躯に触れられる数少ない巨樹でしょうから、生命の力を頂きに静かに、根に注意しそっと触れてみるのもいいかもしれません。
きっと、何かを語ってくれることでしょう。
大阪においでの際は一度旅程に入れてみてくださいね。


薫蓋樟 4




 大先輩に一礼!!!













薫蓋樟所在地(地図に必ず載っています。)

大阪府門真市大字三ツ島1387 三島神社内

参詣用駐車場あり

また、徒歩で15分ほど南に行くと稗島のくすという樹齢400年といわれるくすにも出会えます。

*弊社記事では、くすのきの漢字表記を「樟」としています。通常は「楠」が知られていますが、正確には樟脳のくすのきを表す時は「樟」を。楠の場合はクスノキ科のタブの木を意味するときに用いられますので、「樟」と表記しています。



木ぃクンmuku_mokuzai  at 13:15コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ!