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感じ入った言葉

個人の力と神仏の御加護 縁(ゆかり)を感じる、諭鶴羽神社(ゆづるはじんじゃ)の親子杉とアカガシ群落

その社名と個人の偉業達成によって、今まで以上にファンの信心を募らせるであろう「諭鶴羽神社」。
そこにまた巨樹があるのだから、私とも少しはつながりがある(?!)・・・と勝手に思いこんで、親子杉を眺めた後の、早朝誰もいない社殿を歩いていました。

それは、最初に駐車場についた時に気になっていた「アカガシ群落」を探すためです。
木材としても珍しい存在になりつつあるアカガシ。
ましてや、それが淡路島という地で「群落」という形で存在するというのが、一体どのようなものかが気になり、不審者並みに歩きまわるのです。
*)たまにあることですが、本当に不審者に間違われますのでみなさんは、それなりの行動をとる様にしましょうね。

親子杉から少し奥、緑の映える場所にそこそこの大きさの広葉樹林が見えます。
境内から山中に続く道の様ですが、朝日を受けてとても美しく光っていました。

諭鶴羽神社の親子杉とアカガシ群落26

広葉樹特有の太い腕をしならせる様な枝が、頭上に迫る様な高さにあり針葉樹林の社叢とは大きく異なった印象を与えます。
これは、この先に何かあるはず。
間違いなく、アカガシのニオイ・・・


そう思いながら歩をすすめると、来た!!

諭鶴羽神社の親子杉とアカガシ群落23

完全にミスショットです・・・
私、木の右側にいるのですが、隠れています。

それでも、その立派な大きさがわかるでしょうか。
この個体は裏側には洞が激しく、葉も殆ど確認できないのでアカガシと断定はできませんが、おそらくそのはず。
樹高は針葉樹程のものはありませんが、広葉樹でこの様に立派な太さの個体が見られるというのは、そうはありませんから、貴重な存在。

踏みしめる地面をみても、針葉樹の森とは違い落葉した枯れ葉の堆積した土になっていて、この先にもきっとまだアカガシが続いている!と確信させるに十分な一本目。

諭鶴羽神社の親子杉とアカガシ群落24


実は、ココは社殿からはそう遠くは無いのですが、広葉樹の森の早朝です。
写真では明るいものの若干うす暗く、自分の足音と風が揺らす木々のざわめきがあるのみですので、山の独り歩きが大っきらい(つまり怖い。)な私にとっては、どこまで進めば「群落」があるのか、案内板が欲しい気分。
とはいえ、そんなに距離はないんですけど、上の写真の様な捩じりきった旋回木目に洞があると、もう吸い込まれていきそうな感覚で・・・・

そんな事を考えながらそのまま歩みをすすめると、期待通り「ぼっこぼこ」とありましたよ!!
お目当ての群落到着。

諭鶴羽神社の親子杉とアカガシ群落25

先程から言うように、スギやヒノキの数百年生というと驚く様な大きさなのですが、広葉樹の場合はその太さや大きさよりも、年数を重ねた風格というか異形が目につくのです。

それも数本も並んで立っていると、そりゃもう迫力満点。
もしかしたら、私だけが「うぉ〜!」と萌えているために、感動が大きいのかもしれませんが、それでも、これだけ広葉樹がかたまって茂っている様は見事なものです。

先にも書いたように、木材としてのアカガシをはじめとした樫材の流通は殆ど無いのですが、この群落は植生がこれ以上大きく変化しないであろうと言われる「極相林」ですので、いずれはこの巨木達も枯死の時が来る。
その時、どの様な形になるのかはわかりませんが、珍しく「材として利用したい」と思ってしまう見事さでした。
実は、淡路島は以前に紹介した様に「ホルトノキ」という珍しい樹種を始めタブノキなどの広葉樹が見られるところです。
島に特殊な植生と樹種が生まれる浪漫。
それだけでワクワクしませんか?!

さて、ここまでは良いのです。楽しめます。
否、本当はここまで来るには大変なのです。
何が大変かって、諭鶴羽神社までの道程は巨樹探訪では稀にあることですが、「道が狭い!」のです。
それも中途半端ではなく、標高はさほどではないとはいえ山を登っていきますので、つづらおれの道。
そう、あの怖ろしい道のりの「切越の夫婦ヒノキ」を思いだします・・・・ワナワナ・・・・
自車のすぐ脇はこんな感じ。

諭鶴羽神社の親子杉とアカガシ群落28

生易しいものではありません。
ガードレールなしです。
もちろん、退避場などほぼなし。
道幅は、広いところでもこれくらい。

諭鶴羽神社の親子杉とアカガシ群落29

この道を、そうですねぇ・・・普通に走っていって15分?位登ります。
社の前には広い駐車場がありますが、おそらく通常は車の往来は殆ど無いと思われるものの、やはり運転に自身の無い方は自前の足で登山にての参拝をおすすめします。

タイヤ、はまらないかなぁ・・・・
そんな不安に駆られても、自車をみまもるのは薄暗い森に目を光らせるシカのみ・・・
特に、羽生選手ファンの女性の皆さま(男性も含む)は、気合いを入れて向かわれるますように。


諭鶴羽神社の親子杉とアカガシ群落2




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個人の力と神仏の御加護 縁(ゆかり)を感じる、諭鶴羽神社(ゆづるはじんじゃ)の親子杉とアカガシ群落

前回までの冬季五輪の備忘録は、かなり圧縮した部分があり書き切れない想いは多くあるのですが、最後に紹介しておきたいのが、多くの注目を集めたフィギュアスケートの羽生選手と、彼にゆかりのある場所と「木」の事です。


どうしても私、気になるんですね。テレビなど見てても。
木に関すること。
例えば、先日も実家を訪れた時に流れていた某国のドラマ。
日本の場合だと、サスペンスの終盤の「ネタばらし」の場面を除き背景に松が映ることは稀だと思う(あらぶる海岸で撮影しているシーンが多いから・・・)のですが、彼の国では松が多い事もあり、恋人たちの逢瀬の場面にも関わらず背景は松林でしたね。
もちろん、演技はいいんですけど、「あぁ、やっぱり彼の国では松林か!日本なら杉か桧林やろうなぁ・・・」と考えるのです。

基、そんな感じで気になるのでやはり、ゆかりのあるものや場所というのが樹木と結びついていたりすると、目に見えない何かと感じたりするのです。
それも、今回は怪我の末に五輪連覇を達成した羽生選手ゆかりの場所。今回とりあげないでどうするんだ!、ということでのご紹介です。

諭鶴羽神社の親子杉とアカガシ群落11


その場所は、兵庫県の淡路島。
日本列島の国産み神話では、日本で最初に創造された島だとされていることから、以外にも神秘な流れがある島です。
実際、今回の舞台になる「諭鶴羽神社」のある諭鶴羽山にも、その言い伝えが残されているようですが、紙面の関係上そこは割愛・・・・

で、既にお分かりでしょうが肝心なのはこの山と神社の社名です。
「諭鶴羽」=「ゆづるは」!!!
羽生選手の名、「ゆづる」、社名も「ゆづる」!
そうです、漢字こそ違えど同名の神社なのです。そのため、羽生選手本人も参拝に見えたということですし、それ以上に羽生選手のファンの方にとってはある意味「聖地化」している様な場所。

諭鶴羽神社の親子杉とアカガシ群落6


そんなゆかりの諭鶴羽神社に何があるのか。
もちろん、巨樹ですよ。

海岸沿いの道からその「ゆかり」を求めて山道を登っていくと、山頂にほど近い場所に諭鶴羽神社はあります。
そこにあるのは、「親子杉」と呼ばれるスギです。

諭鶴羽神社の親子杉とアカガシ群落12

2本の幹が、太い方と細い方でつながっていて寄り添って立っている様から、親子杉と呼ばれる様です.
杉が特産である日本においては、二本杉や三本杉、八房杉など幹分かれや合体木による幹の本数が名称になっているものが多くありますが、数字ではなく「親子」となっているところに、親しみを感じるのはやはり言葉の印象が大きいですね。

諭鶴羽神社の親子杉とアカガシ群落15

推定樹齢500年といいますが、その姿からはそれほどの年月は感じません。
というのも、そのサイズが巨樹というには若干スケールが小さい様に感じられるからです。
早計に、だから悪い、ということではないんですよ。
少しづつ少しづつ、ゆっくりと親子で成長したのかと思うと感慨深いところもありますし、穿った材木屋としての視点でいえば、樹齢の割にこれほどすらりとしているということは、どれほど木目が細かいんだろうか・・・!!と、ご神木に対して失礼なことを考えてしまうのです。

木材とするならば、一般的にはゆっくりと育った年輪の細かな材が良質とされますので、昔ながらの癖で、そんな事を考えてしまったふとどきモノな私。

諭鶴羽神社の親子杉とアカガシ群落19

そんな話は抜きにしても、山の頂きにあり謂れも古く、さらに羽生選手も参拝しているとなれば、私の様な巨樹巡りよりもファンの方の「聖地」としての方が有名な様です。
実は、同じ神戸市にも字は違いますが「弓弦羽神社」が存在します。
というより、そちらの方が有名なようでメディアもそちらを取り上げることはありますが、由緒あるこちらの「ゆづるは」はクローズアップされることは稀なのでしょう。
とはいっても、同じ兵庫県に二つも「ゆづる」の名を冠する社があるというのは、とっても稀少ですね。

そこに巨樹があるから、わたしにとっては余計に特別なのはやはりこちらの方。
しかも、案内板にあるように元熊野ですからね。その由緒たるや推して知るべし!!

諭鶴羽神社の親子杉とアカガシ群落20


いつもの昌志メーターでみてみても、やはり迫力という点では少し足りないのですが、参拝の方々の信仰を一身に浴びたその姿は、ことのほか立派に見えました。

しかし、やはりそのサイズには巨樹の名前がついていないのか、インターネットの巨樹サイトでは、こちらを見ることはほぼありません。
殆どは地元のページか、羽生選手絡みのページです。
そう考えると、羽生選手の影響力はやはり大きいですね!
しかし、少なからず実際に同名の神社からのご加護を受けることによって、怪我をおしての金メダル獲得に結び付けた羽生選手。
己を追求しその道を進む個人の力と、それを支える神仏の加護。

それをはっきりと見ることが出来た、今回の冬季五輪だったのかもしれません。
ひとり、そんなことを考えながらテレビの中継を見ていた冬の一日でした。

さて、親子杉のお話はここまでですが、実はこの「ゆづるは」神社のすごいのはそれだけではないんです。
「ゆづる」と「親子杉」の他にも実は、大きな特徴を持っているこの場所。
次回はその特徴とともに、参拝の「ポイント」もおさえておくことにしましょう。


諭鶴羽神社の親子杉所在地

兵庫県南あわじ市灘黒岩4

広い駐車スペースありですが、車で行くには相当の決心が必要です。その理由は次回以降に・・・

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興奮・感動の冬季五輪閉幕そして・・・

スキーモーグル銅メダルの原大智選手。

メダル獲得以降は、メダリストとして注目され多くのインタビューを受けたことと思いますが、やはりメダル獲得の前後では、全く立場や状況が異なることを口にしていましたね。

冬季五輪5

五輪出発前には、昨年にモーグルとデュアルモーグルの2冠を達成した、堀島選手ばかりが注目されることに比して、「俺じゃないんだ」、と思ったと言います。
また、やはり同じ年であり同一競技であることもあり、堀島選手の事は「見ていた」そうです。
勿論だと思います。
しかし、それで成績を残した。

彼は知ってもらうことの大切さ、ということを口にしていました。
原選手ももちろん、代表に選ばれるほどですので、抜群の技能を持っているはずなのですが、やはり「知られていない」というハンディは大きくて、その反面にメダリストとなった瞬間に注目される事で、改めて「知ってもらうことの大切さ」を実感されたようです。

どれだけ頑張っていても、ある程度の成績を残しても、輝かしい成績や金メダルの方が記憶にも記録にも残る。
だから、自分の存在を知ってもらって注目してもらう必要がある。
激しく共感しました。

冬季五輪6


私と比べるのは原選手には失礼ですが、それでも私も思うのです。
普段は、そんなに目立つ必要はないし、しっかりとやっていれば成果は出る、と思ってはいるものの、やはり、いくら一所懸命やっていても知られることが無ければ、お客さんも来ないし依頼も無いわけで、業として続けていくにはそれなりのコマーシャルも必要で、知ってもらうことの大切さというのは、とても重要に感じます。
特に、宣伝広告を強く押し出していない弊社としては、知ってもらうことはひと際重要な課題であります。
ですから、今回原選手が想いを語られたことに関心し、より一層アスリートの言葉に耳を傾けることになりました。


スケートのパシュートにおいて、決勝でも高木美帆選手が後ろの佐藤選手のスピードを感じ取り、スピードアップするべきところを緩めたというお話(それでも金!!)や、可愛い笑顔と北海道弁で終始話題をさらった女子カーリングも、知ってもらって続いていくことがとても大切だと自覚されているのだと思います。
だから、選手の皆さんの一挙手一投足、一言一句がとても意味深いものとして感じられたのだろうと推察するのです。


女子カーリングは本当に明るく笑顔で、とても印象が良かった。
そうですね、弊社の基本精神も「笑顔」でした。
(弊社会長の書!)

社是



カーリング女子達の様な、あんなに可愛らしい笑顔はできません(おっさんですし・・・)が、心地よい笑顔でお客様を迎えられるように、また一日一日を過ごしていきたいものです。

いや、もう一人この五輪において大事な人を忘れてはいけない。

羽生結弦選手!!

五輪二連覇は勿論のことながら、怪我からの復帰で完全に滑り切ったことと、演技後の感情を表に出す姿や右足に手を当てる仕草などが、見るものに様々な思いを抱かせるに十分な存在感を放っていました。

彼の所作などにも学びたいところは多くありますが、今回はもしかしたら、彼の活躍の源は「ココにあったのではないか?!」という場所を紹介して、五輪の感動を胸に納めたいと思います。

次回、「羽生選手ゆかりの場所+巨樹」をお送りします。

冬季五輪7


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興奮・感動の冬季五輪閉幕そして・・・

過日、大いに盛り上がりを見せた平昌冬季五輪が閉幕しました。(パラリンピックも続いて頑張れ!!)
私の大好きなスキー(モーグル)からメダル獲得が始まり、様々な人間模様を見せながら、大会通して楽しみだった女子カーリングの銅メダル獲得で締めくくられたましたね。

冬季五輪3

多くの方がテレビを通して活躍を見て、また喜びも悔しさも、色々な感情と人間性を見る事ができましたし、スピードスケートの小平さんのした様に、競技のあとは国や優劣を関係無しに寄り添うことができる様な、素晴らしい光景を見せてくれた日本の選手団の皆さんには、とってもアツいものを感じずにはいられませんでした。

普段はテレビを見ない私ですが、競技に興味があることはもとより、いつのまにかそれぞれの選手のコメントや、インタビュアーの質問内容などを注意深く観察する様になってしまったようで、「あぁ、今こんなことをいいたいんだなぁ。」とか、「こういう言葉を丁寧に伝えるために言葉をえらんでいるんだな」なんて、穿った見方をしてしまう自分がいました。

しかし、それだけ選手の皆さんがとても周囲を気遣い、自身が一番厳しい環境にいたにもかかわらず、見ている・聞いている人心をうつ様な言葉を発するのですから、本当に素晴らしい選手たちでしたね。

昨日も、帰国後のテレビ局廻りをしていたスピードスケートの高木美帆選手のコメントで、観客の方に感動を「与えられた」という言葉がでそうだったところを、少し考えたのち「感じてもらえた」と言い換えたのだと邪推する部分があり、冷静且つ、適切な言葉づかいを心がけていると感じられる彼女に感心しました。
アナウンサー以上に言葉を慎重に発する彼女。素晴らしい以外に言葉が見当たりません。

冬季五輪1

今大会は、競技や演技の良さが光ったのは勿論ですから、一つ一つをあげていく必要はないと思いますが、やはり冒頭の様に、選手たちのそれぞれの言葉には、自分自身も様々に考えさせられるところがありました。
どうしても自分の趣味とも重ねてしまう競技のスキーモーグルもそうです。
今大会前は、世界選手権などで有名だった堀島選手にばかり注目が集まっていましたが、銅メダルを勝ち得たのは原大智選手。
決勝が何故地上波で放送しなかったのかは、地団太を踏むほどに憤慨しましたが、両者とも予選の滑りは良くて特に、原選手は予選の一番目だったにもかかわらず、ターンもエアもスピードもとっても綺麗に納まっていて、素人ながらも「凄いな!」と思っていたところなので、銅メダルは私個人的にはとっても嬉しいものでした。

もちろん、堀島選手と2人での表彰台(いや、もちろん他の選手も登って欲しいですが・・・)というのが理想ではあるものの、それが五輪というものなのかな、と思いました。

そんな原選手、銅メダルが決定してどの様な言葉が発せられるのかと、そのインタビューを見ていたのですが、正直でそのままの気持ちがあらわれた、とても親近感の持てるもので、その上、自分にも投げかけられている様な気持ちになる言葉がいくつかありました。

冬季五輪4


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え?!在庫品はたたき売り?!

私たち材木屋というものは、在庫を持つことがとても大切「でした」。
でした、と過去形にしたのは、現在では多くの材木屋さんが在庫する事をやめて、大きな倉庫を持たないようになってきたからです。
そもそも以前の材木屋さんは、市場で大きな梱包や丸太をたくさん仕入れてきて、自社に在庫して商売しているところが多くありました。
もちろん、その中には自社に在庫しておくことで木材を使ううえでとても大切な「乾燥」という工程をすすめているという理由もあったのですが、現在は人工乾燥材が主流になっていますので、そう言う意味での在庫の必要性もないわけです。
もう一つ、在庫を持つ理由は稀少材や特価品が出ている間に仕入れておく、というものです。

在庫2


木材は生き物と例えられますが、工場で作る様に「次の生産はいついつ」というように、必要に応じてうまく商品調達出来る場面ばかりではないので、「こういった時に使おう」とか、「こんな現場があった時に無くてはならない」といった理由で仕入れておいたり、こんな木材(建材)がこの値段で?!という特価扱いのうちに仕入れておいて利益率よく販売するということも、在庫を持つ事で可能だったわけです。
もちろん、それだけが理由ではありませんが、在庫というのは商売上とても大切なものでした。

在庫4


でも、昔から疑問でした。
そんな大切なハズの在庫なのに、「在庫してるやつでえぇわ。安いヤツないの?!」という合言葉で、在庫品を安く販売する商習慣があるのです。
建築業界だけなのか、それとも大阪近辺だけなのか?!
先の理由でいけば、在庫品は高く売る事で利益を生み出すことができますし、いざという時の為に先払い費用と時間と場所と、管理の手間までかけて保管している物。
それを、「在庫品=安売り品」という式に当てはめていかれるわけです。
木材は、賞味期限のある食品などとは異なります。

もちろん、安く仕入れている物を大量に処分してしまいたい、という様なものならわからないでもないですが、折角在庫してきたものを安く売らなければいけないという、訳の分からないパターンは不思議の塊でした。
中には、今では入手できない様な材も「こんな古い在庫、処分価格でいいやんか。」と言われる場合や、すぐに入手する事ができない材木の乾燥材なども、頭から在庫品だから安くなる、と思われているケースが未だに多いです。

こんなこと言っては失礼なのは承知ですが、大切に「守(もり)」をしてきた材を処分価格で、という様な事を言われると、木を愛する材木屋としては、販売意欲は全く起こりません。

昔からよく亡き会長に言われました。

会長:昌志よぉ〜。材木屋(ざいもっきゃと発音)はなぁ、カネ貸して(売り掛け)金利をとらへん貸金業、大工さんらに加工場を提供して在庫もして土地代もらわん不動産業、ほんでなによりも重いもん(木材)運んでいって運賃もらわん運送業や。
どうにかしたいのぉ〜。
これでカネもらえたら、どんなけ楽か・・・
お前、なんかえぇ方法考え!

私:はぁ〜・・・・

その時は言葉の意味はわかっても、必死に業務をこなす中で実感としてなかったのでしょうね。今は本当にしみますね、この言葉も。
ふた昔前位までは、それでもなんとかやってこれましたが、これだけ世の中変ってしまっては、上の様な言葉が重くのしかかります。

その上で、べらぼうな金額を頂くわけではないのです。
材木屋をきちんとやっていくには、上の様ない目に見えていないお金がたくさんかかるのです。
材木屋だけとちゃうわ、と言われそうですが・・・
それだからこそ、在庫を安く販売することには大きな抵抗があるのです。

材木屋もスピードと量をさばく時代になって久しいですが、きちんと「材木屋」である為には、木を触り在庫を持ち、真面目に木材に向き合える環境が必要です。
インターネット環境も整って、様々な材が入手できるようになっています。
しかし、その材が届かないとか不足が出たとかいう時に頼れるのが在庫です。
なんでもない様な桧の和室用化粧柱やタモの挽き板、特殊なものでは木曽桧の柾盤やベイヒバの板材などなど・・・
今まで、在庫してたからこそお応えできた要望も数多くあります。

在庫1


その環境を維持するには、在庫も補充しながら販売するサイクルが必要です。
だから、みなさんにもきちんと木材を使ってほしいのです。
在庫を安く、ではなく価値を見出して購入してほしい。
そうすることで、また次の在庫をすることができ、優良な材が少しでも使いやすい状態に近づきます。

在庫品はたたき売りではありません。
材木屋が良い材を届け続けられるように、お互い喜べる価格で購入してくださいね。
喜んで在庫をお渡しできるように・・・

在庫3



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戸田先生の出張授業 お礼という名の最終評価に目はにじみ・・・


好評のうちに幕を閉じた(と勝手に思っていた)戸田先生の出張木の授業ですが、時間が経つほどにやっぱり「自己満足でおわってしまっていないか?!」と若干の心配が出てくるのはやはり未熟な証拠・・・
そうやって色々と思い返していたわけですが先日、その私の心配を払拭してくれる宝物(あえてそう呼びます。)が届きました。

中身はこれです。

木の学習の成果4

手造りで表紙をつけて、中には児童一人一人からの御礼状が入れられていました。
色を塗ってくれていたり、2年生とは思えない様な綺麗な字で書いてくれていたり、中には想いが多すぎてか接続詞がちょっとおかしくなっていたりするものもあるんですが、大半は「ありがとう」、「たのしかった」や、木が好きになりました、といった内容の物で、気にかけていた私を安心させるには十分すぎるものでした。

木の学習の成果2

そしてみんな小学校2年生だというのに、私の仕事が忙しいのに用意してくれて・・・とか、たくさん作ってもらって・・・という「ありがとう」の気遣いをくれていたことがとても心に嬉しく感じました。
中には、「戸田先生は天才ですね!」っていうのもあって、嬉しいようなもっと頑張らないといけない様な、有難い御礼状でした。

授業当日は、もちろん木のいろいろな事を伝えるのが目的ではあったのですが、大人が何かの目的(たとえば森林環境や木材普及)で集まるものとは違い、自然と自分から興味を持ってもらえるようにすることが最初の課題だったので、それをクリアーできたことと用語だらけになりがちな木材の世界を、なんとか平易に伝えられたと感じました。
児童の集合した体育館での挨拶でも話しましたが、私が教えるばかりではなく、私も2年生の表情や口をついて出てくる素直な感想を聞く事で、大人では見えない木の世界を知りたいと思っていたことも実現でき、私からも「ありがとう」という気持ちでいっぱいなのです。

日々の業務としては、必ずしも毎回木を届けて喜んでいただけるとは限らない(建築現場で仕事をしていて木を見て毎回喜ぶことは無い)為に、丸太を見て驚く様や色々な木を見て触って歓声の上がる様子は、やっぱり木は感じてもらわないと伝わらないと改めて思った今回の授業。
たくさんの元気をもらいました。


はじめは100名をゆうに超える数の児童が手書きしてくれた「御礼状」を、笑顔で一つ一つめくっていた私でしたが、次々と出てくる労いの言葉や「がんばってください」、「戸田先生のじゅぎょうをわすれません」といった文字に、自分では意識していなかった何かが、瞼のダムを押し開き目の前の文字をどんどん滲ませていきます。

木の学習の成果3

あぁ、そうか。本当の意味で感じるってこういうことか。
ただ感覚で知るのではなく、やっぱり人の心を動かしてこそ「感じる」ということなんだ・・・と、最後に児童に教えられた様な気がしました。
そう、これが私の原動力。
木を伝えることって素晴らしい。

私もまだまだ発展途上。
また学校にきてください、その言葉を胸に更に木の道を歩んでいきますよ。

木の学習の成果1


2年生のみんな、ありがとう。
戸田先生も、みんなとの授業の事は忘れません。
まとめでお話した様な、個性豊かな人間になってくださいね。また会える日を楽しみに・・・・


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木を知る人の名言


近頃は、有難い事に業務が順調なので毎日目をぐるぐる回しながらこなしているところですが、そんな中にもいろいろと悩み事というのは出てくるものです。
行き詰まるから悩み事になるわけですが、もがいて苦しんで、時間が経ってもなかなか解決ができない時、心落ち着くのはやはり先人や人生の先輩の言葉。

その中でも、木に関わった先人の言葉というのはずっしりと心に響きます。
先日読んでいた本から、かの有名な西岡棟梁のお言葉を拝借して溜飲を下げたいと思います。

「仕事は事に仕えると書く、労働とは違う」

これは、ただ働いた代償にお金を貰い、その金額の大小で一喜一憂する価値観とは違い、本来はその物事に仕えるということ、有難いと思うことが根底にある、と言われていました。
私が勝手に解釈している部分もあるかもしれませんが、今の働くことに対する考え方や意義を考えるには、大切な部分ではないかと思います。

お金の為に働く、稼ぎたいから仕事を選ぶ。
確かにお金は大切。
しかし、それだけを追っているうちに、物事の本質を見失う。
早い、安い、その事が持つよさは、心のよさとはまた違う。

いつか来た職業体験の中学生の残してくれた忘れられない一言に、「仕事は大変でしんどくて嫌なものかと思っていました。」というフレーズがあります。
やはり、日々のニュースや世間から感じる空気がそういうイメージを膨らませていたのかもしれません。
私たち大人の責任でもあります。

しかし、その言葉には続きがありました。

「でも、この会社に体験に来てみるとみんなニコニコとしていて、仕事というものに対する考えが変わりました。」

手前味噌で恐縮ですが、中学生が、イメージの悪かった仕事に関してその考えを変えるきっかけとしてくれた。
そのことが嬉しくてうれしくて、今でも頭から離れません。

いつも忘れそうになります。仕事という意味を。
しかしやはり、事に仕え、人の心を動かす事が出来るのもまた仕事。
特に、木という素晴らしい自然の産物を扱い仕事させてもらえる私は幸せもの。
その恩恵と有難さを感じつつ、また仕事に励みたいものです。
事に仕えていけるのも皆さんの応援あってこそ。
こんな変わった材木屋を支援してくださるお客様、募集中です!



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車社会からの言葉


先日の休みに、なかなか見ることのできなかった物をやっと見られたのですが、やっぱり自身の流行や話題に無頓着な部分を少しは反省しておかないと損だなぁ・・・と思う部分がありました。

というのも、ずっと前から子どもたちが見ていたのですが、私はそんなに興味を示していなかったのです。
それが見てみるもんです。びっくり。

カーズ 1














はっきりいって、車は好きですから見たいとは思っていたものの、ゆっくりとアニメを見ている暇はないなぁ、と高をくくっていたのですが、やっぱり見ておくべきでした。

そのつくりこみや発想は当然素晴らしいのです。
ですが、私の心を刺激したのは車たちが示す忘れたくない「心の部分」です。

ご存知の方も多いでしょうが、ストーリーとしてはレースカーがとある古びた街で、様々な車達と出会うことで人生観や考え方を変えていき、名実ともに成長するというようなものです。
得意気で高飛車な主人公。
それが、のどかで温かい、しかし寂れた町の車達との触れ合いで人間らしさならぬ、車らしさを知っていく過程や、彼らの中に見える私たち人間の「合理性やスピードを優先した心の欠如」といったようなことを、とても考えさせてくれる物語の様に感じました。

カーズ 2














深く考えすぎなのかもしれませんが、昔は「楽しみに行く為に走るのではなく、楽しみながら走っていた。」という言葉や、「10分縮める為にどんどん新しい道ができる」は、移動という手段としては早くて楽だが、その過程には何も存在しない、ある種寂しいものにすら感じさせるところがあり、まさしく生き急ぎすぎる現在の社会を映しているのだと感じました。

ラストには、勝利目前のレースにおいてその権利を放り出してでもクラッシュした他車を助けるという、泣けるシーンがあるのですが、やはりどんなに優れていても、どんなに早くても、心を伴わないものは一番にはなれないのかなぁ・・・と、潤む目の奥で考えてしまいました。

カーズ 3














アニメでも、やはり多くの方に愛されるものはそれなりの理由があるのですね。
本当に早く見ておくべきだったと後悔しています。
それから既に2度見返していますが・・・・
車達に、たくさんの素晴らしい事を教えてもらったこの映画。少ない私の経験の中でも、かなり良い作品だったことを報告しておきます。

木には関係ないかもしれないけれど、やっぱり心を込めた人間でないと木の世界での一番になれないですよね。
この心忘れずに、頑張ろう。



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三方よし


「儲ける」

この言葉に抵抗を感じる材木屋さんも多いのではないでしょうか。
いやいや、うちはがっぽり儲けたい!!、それも頼もしいものですが、やはりお客さんを前にして「儲ける」とは言いにくい所があるのも事実です。
お客さんの立場に立ってみても、「儲けてる」と聞くとあんまり良いイメージが無いように思いますが、では儲けるのはいけない事なのでしょうか?!

なんか難しい話になりそうですが、「儲ける、利益を生む」というのは悪いことというよりも、むしろ必要なことですね。
当然、利益が無いと会社や仕事は存続できません。だから儲けは必要なのですが、何か聞こえが悪いというかイメージが悪いというのか・・・

これについては、考え方一つかと思っています。
その方法は、様々な胸に突き刺さるような名言と意思を残されている「松下幸之助氏」のお言葉を借りるのが私流です。

「利益は社会への貢献の度合いに応じていただく報酬である」

ここでの報酬とは喜びを指し、儲けるのは喜びを得ることだとされています。
ですので、幸之助氏の「商いの心得10か条」では「堂々と儲けよ」とあります。但し、ここでも間違えてはいけないのは、儲けることや働く意味は「世界、社会の繁栄の為」とされていますので、ただ単なる我欲とは異なっています。

またある時、代理店社長から「親の代から松下電器との取引を一所懸命にやっているが、どうもこのごろはうまく儲からない。松下電器は儲かっているのにじぶんのところが儲からないのはおかしいのではないか。」といわれたそうです。
そこで普通なら「もう少し安くしときまっさ、売っとくんなはれ。」となりそうなところを「それはまことに相すまんことですが、ところであなたは、跡を継いでから、小便が赤くなったことが一度でもありますか」とおっしゃられたといいます。
この代理店社長は、赤くなったことはない、と答えたそうで「(前略)まだ小便が赤くなるほど心配もしないうちから、もうからないからなんとかならんか、と訴えるのは、虫がよすぎるのではないですか。今日のようなむずかしい環境のなかで小便が赤くなるほど心を労せずして、商売の発展をはかる道は、そうはありません」とさとされたそうです。


他にも様々に学ぶところの多い言葉がありますが、上記をひっくるめて私は有名な言葉「三方よし」を心がけることにしています。

本当は当たり前なんだけれども、今の商売や今の購買にはこの概念は薄く感じます。
売る方はたくさん売りたい、買う方は安く買いたい、それだけの関係。それでは二者ですよね。いかにしてお金を生み出すかということのみが商売のようになってる。
その中にはにもう一者たりません。
そう、一つ足りないのです。
だから三方よしにはなりませんし、どちらかが喜べばどちらかが泣くような形の商品のやり取りになっています。
物が動いているだけで、そこに作った人の気持ちや木であれば扱う材木屋の気持ちは伝わらない。
私はそれでは味気なさすぎると感じるので、変わっているでしょうが、儲からない(たくさんお金をうむことは出来ない)でしょうが、できる限りその物に関わる皆が喜べるようにしたいと思います。

そしてその喜びの中に適正な価格が生まれ、喜びを元にして次への原動力となり、新たなよい出会いが出来るのではないかと思うのです。
貴重な無垢の木材やフローリングにお問い合わせいただくお客様に喜んでいただくことで、お客様も製材所も、私も、そしてなにより木が喜ぶのだと思います。
ということは四方よしですね。
木も生き物。
決して粗末にすることなく、その恵みを活かせるように数十年数百年の樹齢以上の働きを見せてもらうためにも、喜んで使ってもらえるような商売をしたいものです。
有難い事に、弊社は喜びを感じていただけるお客様と多くの出会いをさせていただいています。

「儲ける=信じる者」

お互いに信頼し合い、良い出会いを持てることこそが儲けるということなのかもしれません。



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そのこととこのこと、何が違うのか・・・ 物事の本質とは?


以前にお伝えした「あるものを製作」するという記事、覚えてもらっていますか?!
そのあるものが仕上がったということで、依頼先に見にいかせてもらいました。

木曽桧秘密材2



 この木曽桧(きそひのき)を使って製作予定だったものです。









出来上がりの作品は後日の記事でご覧いただくとして、その品を見ながら製作の苦労話を聞いていた中で、素晴らしい言葉を教えていただきましたので、紹介したいと思います。
それは、仕上げていただいた物にまさに通じるような言葉でした。

「手が機械と異なる点は、それがいつも直接に心と繋がれていることであります」

無知な私はよく存じ上げなくて恐縮ですが、民芸運動創設者の柳宗悦さんの言葉だそうです。
仕上げてもらった作品と、使用した道具などを眺めながらこの言葉を聞くとまさしく、人の手によって生み出されるものに対する敬愛の心に気がつきます。
今回の作品も、販売してお金をいただくものではありません。
ですが、無償で製作するにはあまりにも困難かつ時間と労力を要するものです。
では、そこまでして製作する意味とは?!
手で作業をする意味とは?!

その全てが、上記の言葉に詰まっている様に思います。
この言葉は、今回作品を製作していただいた方の座右の銘だと聞きました。手仕事に誇りを持っていらっしゃる方にとっては、これ以上のない言葉かも知れません。
手に技術のない私でも、感じます。

街中で、日頃何気なく見ている新築の住宅。
ほとんどがプレカットという、工場で構造部材の継ぎ手などを作ってくる事で組み立てれば完成する住宅です。
その方が安くて早く家が出来ます。
ほんの10数年前まではまだ手刻みで、大工さんが一つ一つの部材を材木屋で加工していたものです。

地栂盤 3













それならば、木の使いようや使う部位、それぞれの適性などを相談して建てていけますが、今はどこか組み立てるだけになってしまったような気がします。

決して早くて安価なものが悪いという、善悪のことではありません。
しかし先の言葉通り、手で生み出されるものと工場で機械から出てくるものとの違いは、その物に心が通うかどうかだと思います。
とりあえず加工が出来ればよいのか、それともお客様の事や家の事を考えながら加工をしていくのか・・・
私の扱う無垢の木材やフローリングにしても同じことです。

BC 130-Nユニ 3














いつもいつも、お客様に会ってお話しして販売したいと言っているのは、商品だけを発送する機械的な材木屋ではなく、商品となる木がどこからきてどう加工され、何が異なり、どんな癖があり、何がいいのか、それらを伝え愛着を持っていただける「心をつなぐ」事が目的です。
当然、表情豊かな木材の一部しか見えないカットサンプルや、画面上の写真や価格表示だけでもいいのかもしれません。
しかし、それはやはり「よい、悪い」ではなく、「そこに心はあるのかどうか」だと思います。
今回の作品の様に、売り上げにはつながらないかもしれない、時間も労力もかかるかもしれない。しかし、それでもこだわりたいことがあります。
それは何を意味するのか。
上記の言葉に凝縮されている様に思います。

丸太がいっぱい 3













高価か安価か、良いのか悪いのか。
全ての物事が、そういった事ばかりに囚われすぎて「安ければよい、悪いと決まっていなければ構わない」というような、安易な行動理念がまかり通る様になっている場合も見受けられます。
生きていく上で、先を見ることは非常に大切だと思いますが、先人の言葉にも耳を傾け静かに考える時間を持つことも、同じ様に大きな意味を持つのではないかと感じた、座右の銘でした。

私は、時間がかかろうとも、儲からなくとも(それでは困るけど・・・)そんな材木屋で木を探したい!というお客様をお待ちしています。




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心のこもった贈り物 −木がもたらす人と人のつながり−


日々想いを綴ったり、たまに渾身の(自慢の?!)木材を紹介したりしている弊社の記事にも、読んでいただき感想を頂ける場面があります。
それは商売の喜びとはまた違う、子どものように喜べる瞬間です。

それは突然やってきます。前回もそうでした。
前回ということは、これで2度目だということです。
そう、同じ方が今回もお便りをくださいました。以前にも紹介しています、神代樟の記事をご覧になってお便り頂いた方です。

今回もいつも通りの達筆にて送っていただきました。
こんな時は、自身の乱筆に嫌気がさすのですが、いまさら治らず・・・

それはさておき、今回は以前にもまして封筒が膨れています。
手に取ると、今回もただならぬ重さ!!
しかも握り応えがしっかりと伝わるこの感じ・・・・今回も「お宝」が封入されているようですぞ!!
と開けてみると・・・

贈り物1














達筆な書とともに現れたのは、芸術的な「黒柿製の鈴」と「和白檀」の雅銘で有名な「コノテガシワ」の木片でした。
封を切った瞬間から、その名の通り「まさか白檀?!!」と思ってしまうくらいに良い香りを放っていたのが、このコノテガシワでした。
これも、一般的な材としては流通することは非常に稀でありながら、彫刻に使われた貴重な残りを譲っていただきました。

贈り物5














本物の正倉院ならぬまでも、沈香や白檀ローズや紫檀神代木や杢木、リグナムバイタが並ぶ「昌倉院」に加わること間違いなしの逸品です!!
マニアにはたまらない贈り物をありがとうございます!!!!

それとともに同封されていたのが黒柿製の鈴。
以前に弊社の黒柿を使ってゴルフクラブを製作していただいたのはご紹介しましたが、今回は材は弊社のものではありませんが、製作者の素晴らしさとその仕上がりにびっくりです。

よく見てくださいよ。

贈り物2




 普通の鈴の形だけかと思うなかれ。








贈り物3














わかりますか?!
一対の鈴ですが、それを束ねているリングも含めて全て、「一本の木をそのまま削り出してできたもの」なんです。
勿論、リングにはどこにもつないだ跡はありません。
綺麗な円(縁!!)を描きながら、また微妙に精緻に作りまれた鈴の感覚を保持しています。
すごい技術です。
自身の手に技が無いので、余計に素晴らしく感じます。
以前にも書きましたが、黒柿は肝心の黒く色づいた芯の部分が割れやすく、また、反りなども激しく乾燥も難しい物であることと、なかなか角材が無い事もあり、これだけのものを削り出す原材料を考えても相当の価値のあるものです。

贈り物4














いやぁ、すごいお宝を送っていただきました。
私からはこんなお宝送る事できません。申し訳ない・・・・
そのかわり、できうる限り渾身の想いを込めて、今後も弊社の記事を更新し、多くの方に必要とされ読み続けられる記事となる様に精進することとします。

木を売って、儲けるだけが材木屋やあらへんで!

そんな亡き会長の声が聞こえてきそうです。
会長はインターネットなどない時代、30年ほど前から業界や日本の住宅を憂い、自身でまとめた小冊子を出版していました。
その気概に(木甲斐?!)に比べれば、こんなに簡単に皆さんに想いを告げられる私は幸せです。
会長の言いたかったことまで、全国に、世界に伝えるぞ!!
愛読者のみなさん、今後もよろしくお願いします。



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大阪「人生図書館」


日曜日の新聞に興味深いものを見つけました。
表題には「人生図書館 つながり再確認」とあります。
図書館の方は字から理解できるのですが、人生の方は今一つ理解できず、内容を見てみると、とても有意義で、且つ素晴らしいものである事がわかりましたので、ご紹介したくなりました。

大阪はミナミのアメリカ村のマンションの一室にその「図書館」はあるそうです。
写真が掲載されていましたが、落ち着いた雰囲気の和室で、そこには6歳から83歳までの幅広い人たちが「人生に影響を受けた本」として寄贈された本達が並んでいるそうです。
絵本や小説、写真集など約130ほどあるそうです。

記事には、「人間関係が希薄になり悲しいニュースが多くなった。ここが人のつながりを再確認できる場所になれば」とあります。
また、小学1年生の女の子は図書館の中の一冊に、「このほんをよんでおともだちにやさしくできるようになったよ。」と、本当に素直で素晴らしい手紙を読書カードに書いています。

私も若輩ながら有難い事に、今までいろいろな先輩方に出会い、様々なことを学ばせて頂きましたが、その中でもやはり先輩が影響を受けた本を薦めていただいた事も、私の人生に大きな糧となっている事は言うまでもありません。

一人ではどうしようもない時、人には相談できない時、どうしたらよいかもわからない時。
人生には様々な状況がめぐってくると思いますが、今は相談できる場所や人とのつながりが近くにない場合が多いのかもしれません。
バーチャルや、電子機器を通してはとてもつながってはいるのでしょうが、温もりのこもったコミュニケーションはやはり心のこもった「つながり」なのかもしれません。
一度訪れてみたい図書館が大阪にあるという事、覚えておいてくださいね。

「人生図書館」所在地

大阪市中央区西心斎橋1−10−28 心斎橋Mビル404号室
電話:06−6281−0555

入館無料、平日午前9時〜午後6時。土・日・祝日は不定休。
詳しくは http://www.438m.com/jinseitoshokan まで。



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こんなのもあれど・・・


建築の中で、装飾は材料とともに人の目を惹く大きな要素です。
近年は、装飾を出来る限り少なくし、シンプルな良さを引き立てよう、という風合いもありますが、私はやはり人の手の込んだ美しさも少しはあってほしいものだと思います。

弊社への注文の中には、たまにこんな加工依頼もあったりします。(外部委託加工です。)

加工材 1














左側がタモ材の丸棒加工、右側が米モミ材のアール加工額縁材です。
ぱっと見ると、どこでもありそうなんですが、規格寸法でなく規格材料ではないこれらを、1から作るというのは実は難しいんです。

加工材 2














正確には、作るのが難しいのではなく作る「加工」をされているところが少なく探すのが難しいのです。
これらだけではありません。
スピードが求められるようになって以来、住宅の構造材から内部の仕上げ材まで、ほとんどが工場で作って出荷できるようになりました。
正確な加工と、大量に生産できたので、価格も安価な良いものができていたのですが、その反面、街の加工屋さんというものが気がつかないうちに少なくなっていました。
当然、人の手で少量生産では規格品には太刀打ちできず、特殊品の工場以外はなかなか目にしなくなってきました。
知った方でも廃業なさっていたり、いつの間にかたたんでおられたりで、注文は頂いても、加工できない事もあります。(予算と納期を鑑みての事ですが・・・)

先日の新聞に、「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者の宗次徳二(むねつぐとくじ)さんのお話がありました。
壱番屋以前に喫茶店をなさっていた時の話で、当たり前だったサービスの「割安のモーニングを出さなかった」ところ、客足が伸びなかったそうです。モーニングを出さなかったその理由とは、「夫婦で明るく笑顔のあふれる店にする事」で、モノで客を呼ぶ店にはしたくなかったから、だそうです。

いくらモノだけを提供しても、お客様はついてきてはくれないし、笑顔のない店にモノをあふれさせても、モノ以外の動機では店にはお客様は来てくれないでしょう。
私もそう思います。
いつぞやもお伝えしましたが、弊社の事務所に飾られている額には「笑顔」の文字があります。

社是
















弊社の会長の書ですが、まさしくモノを扱う商売だからこそ笑顔を持ってお客様に接しようということです。
安い商品もそれなりの価値があって良い。でも、そこに笑顔や人間的なサービスがあればなおのこと良い。
安くても人気があり人の絶えないところもあります。
一概に価格だけでは判断できません。そう、価格だけではモノは判断できない、だからこそ笑顔があり、人間を介しての商売に意味があるのではないかと思います。

今回のような加工も、打ち込めば機械が自動でこなしてくれる場合がほとんどですが、なかなか緊急のニーズや材料には対応しきれない場合があります。
そんな時の人間です。話をすれば、スケジュールを考え、融通を聞いて加工してくれます。
そんな職人さんも、どんどん少なくなります。
物事、大きいところ、早いところ一極集中ではなく、もう少し広くみんなで携わっていければいいのになぁ、と材料を眺めながら考えていたのでした。




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こころ、うごくこと


本日の新聞のコラムに、私たち材木屋や住宅関連の人にも馴染みの深い「松下幸之助氏」のお話が掲載されていました。
といっても、氏の名言ではなく、氏に対して苦言を呈した方の言葉でした。

「君のおかげで、こんなに心がなく物ばかりのいやな日本になってしまった。君の責任で直してもらわねばならん・・・」

京都仏教界の重鎮、立花大亀老師の言葉だそう。
確かにいろいろなものが普及し、暮らしは豊かになったのだが心は相反して・・・・というような意味でしょうか。真意まで汲み取る力は私にはありませんし、君のおかげで・・・というところも引っかかるところはありますが、それにしても少なくとも今の世の中は豊か過ぎて、少し淋しい様に感じる場面もしばしばある事も頷けます。

と言いながら、私も普通の人間ですので、いらいらとする事も怒る事もあるのですが、先日そんな私の心を動かす場面に会い、とても嬉しくなった事を少しお伝えします。


こころ、うごくこと














欠けたお茶碗がお恥ずかしいところ(ほんとは使ってはいけないんですが、思い入れがあり・・・)ですが、いつも家内が一日外出の時は、こうやって夕飯の最低限の用意をして出て行ってくれます。
ご飯と、お味噌汁、サラダと・・・・写真上を見てください。
普段は置いていないものがあるんです。最初私も気がつかなかったのですが、コップの隣に焼き物のおちょこがあります。
因みに弊社社長作ですが、どうしてこれがでているのか?!
いつも晩酌するから・・・・それなら納得できます。
が、私は家ではそんなにお酒をあおることはありません。
近頃は、おかげ様で多忙につきお酒を飲みたくても、まったく飲む時間がありません。
ですので、無くてもいい様なものですが、近頃の私の忙しさと疲れを見て察してくれたのでしょうか、少しはお酒でも飲んでゆっくりして、というサインだったのかもしれません。

家内にはあえて確認はしていませんが、その人の気持ちや状況を見て欲している物を用意できるその心に、身内のことながらいつも感謝しています。
自身も毎日子どもに追われ大変なのは私も承知。
それでもこうして気を使ってくれるというのは、本当に有難く心に沁みます。

物が豊かになり、いろいろなものが選べる時代になっていますが、やはり人の心は物だけでは満たされないと思います。
そんな中において、写真の様にいつもは目立たない存在であっても、人の心に沁みる人間でありたいなぁ、としみじみ感じた夏休み最終日の出来事でした。

いつも支えてくれている皆さんと、家族に感謝!



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次のステップへ


いつの時代も、足を止めず進み続ける人達がいます。
私の身近にもいらっしゃいます。
昨日もその歩み続けている先輩のお一人とお話をしていたのですが、毎日に満足していてはいけないとわかっていても、いざ歩みを止めない人を前にすると自分は進んでいるかどうか、自問自答の世界に入ってしまいます。

芭蕉の言葉に「平生すなはち辞世なり」というものがあるそうです。
俳聖といわれる方でも平素の一句一句が辞世の句である、平素何事もなく過ごしていることすら、いつ崩れるかわからない。だからこそ、いつもそのときが最後という思いで真剣に物事に向かいたいものです。


次へ1


 次のステップに上るために、洒落っけをだして、弊社内の階段にて・・・

 いまでは、こんなラワンの幅広階段なんてできないだろうなぁ・・・と材料の事を考えてしまいますが・・・




この字の如くいつも努力し、今よりももう一歩進んでいけるような人間であるようにという思いを新たにしています。
簡単なようですが、なかなか進み続けるということは難しいものです。
大阪といえば、北摂なら、ましてや茨木で木材を探すならココ!という一番の材木屋になれるように、その気持ちを再確認しました。

因みに、上の写真の様なある程度のくりぬき加工なども承っています。
こんな技術ももっと活用して、木を使った可能性のある商品をご提供していきたいと思っています。


次へ2




 次の時代の材木屋へ。











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