空を見上げて
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桜を見て思うこと


今年は新聞やテレビでも報じられていましたが、とても「桜が長持ち」した年でしたね。
ラジオを聴いていると、「今年は3回花見をしました」なんていうかたもいらっしゃったみたいです。
わけありでお花見ができなかった私にとっては羨ましくて仕方がありません。
この時期、少し遅咲きの弊社のシンボルツリー君も新芽を出しているわけですが、花の後が結構大変です。
こんな状況で・・・


戸田材木店 シンボルツリー車はえらいことに・・・









えらいことになります。
先週の雨の時はホントすごくて樹下の車なんて花びらで視界ゼロ状態でした。
ま、これも春の風物詩と思えば・・・


さて、桜の記事の度に出しているように、通常お花見での「桜」と言えば当然のように「ソメイヨシノ」のことです。
日本人の桜のイメージというのは、短く美しく咲き儚く散る、という様を愛でるものですが、しかしながら「お花見」というのは少し違っているような気がします。


4月22日の新聞記事のコラムの中に「ソメイ席巻 異界の街」という見出しがあり、思わず目を凝らして読み進めました。
かなり私見が入りますが記事を自分なりに要約しますと、「ソメイヨシノは日本中にたくさん植樹され、一気に満開になり、豪華に咲き乱れるが、あまりの花に圧倒される。異界に迷い込んだような感覚になる。樹下ではどんちゃん騒ぎの喧騒が続き、少々怖い。」とあります。

確かに私もそう感じるところは一部分あります。
私はソメイヨシノも好きですが、やはり桜の事を考えず根を踏み根の近くで火を使ったり、宴のあとの置き去りのゴミの山を見ると、どうしても新聞記事の筆者のように、異界の宴を見るようで少し複雑な気持ちになることもしばしばです。

また記事は続いています。
「ソメイヨシノの歴史は新しく、幕末から明治にかけて・・・中略(ソメイヨシノの事についてはこちらを)、桜は短く美しく生を謳歌し潔く散る帝国軍人の象徴としてとらえられ、特攻隊の出陣の折に、桜の枝を振って少年兵たちの出撃の飛行機を見送る一枚の写真はあまりに切なく見ていることができなかった。・・・」とあります。

必ずしもそうとは限らないでしょうが、そんなイメージを日本人がもつこともわかるような気がします。
それからすると、桜といってもお花見だけのイメージでは語れないところも出てきますし、山桜や八重、オオシマザクラといった種類とはソメイヨシノは若干違った位置にあるのかもしれません。
どちらにせよ、桜はソメイヨシノだけではありませんが、現代を代表する桜の品種でしょうから、記事の様な一面からも考えを巡らせながらお花見するのもいいんではないでしょうか・・・

私も来年に期待して・・・・


もうあとわずか・・・



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