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気持ち察する家内かな・・・ 伝統の大切なところ

先日録画機が壊れた事を報告しましたが、保存していた中身のデータもきえてしまったことと、見る時間がなくずっとそのままにしていたくせに、いざ消えてしまうとやたらと見たくなるのは勝手な願望。
そう考えていた朝、家内から「一応、録ってるけど・・・」とテレビのリモコンを渡されました。
すっかり忘れていましたが、うちの録画機器にはテレビ内蔵のハードディスクが残っていました。
といってもこちらは録画は出来ても、出力して保存することができないので殆ど使っていなかったのですが、それでも私の興味のありそうな番組を残してくれているのは、さすがは私の家内です。
よく理解してくれています。ありがたや。

その番組とは「御柱祭」という神事を追ったドキュメンタリー。

普通の人にとっては、「あぁ、大きな木を切って運んでいくドキュメンタリーか。」という印象かもしれませんが、単純な内容かもしれませんが、今の私にとってはとてもいろんなものを感じさせてくれた番組で、内容を見れば見るほど「好きそうやな、って思ってん。」という家内の言葉に、伊達に夫婦してないな・・・と思ってしまうのです。

御柱祭1

御柱祭は諏訪大社に残る「柱を立てる」神事。
正しくは、伊勢神宮などのような式年造営の神事で、一定の期間を経て繰り返されているものですが、ただ「柱を立てる」お祭りという目だけで紹介していなかったのが今回の番組のよかったところ。

ふつうは、大木が伐り倒されて柱になるということ自体に、巨樹を愛する私が反応するのだとおもわれるでしょうが、今回はそうではないのです。
確かに、大木を伐り倒してその立派な丸太を眺めている年配の方々の目を見ると、大木に対する想いの深さというものを知ることができるのですが、今回肝心なのはお祭りと人々の関係、そしてその歴史が木々と深く結びついている、ということです。

一言で、大木を伐り倒す、といってもいつでもいくらでもというわけにいかないのは、もうご存知の通り。
しかも神事ですから、チェーンソーでバリバリとやる、というわけではなくきちんと祝詞と手道具による伐倒が待っているのです。

御柱祭2

初老の男性が、声高らかにうたいあげ伐採します。
電動機械などがない時代には、幹回りが4mや5mという大木はいくらでもあったのかもしれません。
それでも、むやみに伐り倒すことなくこんな感じで神事が行われていたのでしょう。
自分たちの寿命をはるかにしのぐ樹木という生き物を、奥山から里に連れてきて神様の社のそばに立てる。
まさに大木が神木になる儀式だったのかも知れません。

御柱祭3

そして、人々もその神事を通して「神」の存在を心に確認し、樹木が神のそばに佇むことになる神聖な儀式を経験するのです。
今では、祭りというのは子供たちがいろいろなゲームをしたり、夜店でビールやお菓子を手に雰囲気に浸るようなイメージが強いですが、もともとは神様とともにある行事で、今よりも深いメッセージ性をもっていたようです。
子供たちの笑顔と、自身の童心の残りを確認できるような現在のお祭りもいいものですが、それとはまた違う深い意味での「伝統の祭り」も知っておくべきかもしれません。

こんな考えさせられる番組を一瞬で録画してくれるなんて、やっぱり、うちの奥さんすごい。


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