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民家に伝わる日本一 〜三日月の大ムク(久森家の大ムク)〜


いつかは行きたい場所、ありますよね?!
もちろん、私もあります。
ライフワーク(!?)である巨樹巡りの中でも、そんな場所はまだまだたくさんありますが、今回、年頭にお伝えする場所は、「いつかは行きたい」が「もう一度行かなければ」になった場所なのです。
そんな場所である日本一のここを、今年も恒例の年始一番の巨樹の記事として紹介していきましょう。

三日月の大ムク11

山肌に見える文字や象形としては、大文字で有名な送り火かと思いますが、ここでは、緑に映える三日月の文様になっています。
この地は兵庫県の西部に位置する佐用郡。
現在では佐用町下本郷という名になっていますが、旧三日月町という町名からのこの景色。
ちょうどJR三日月駅にほど近い場所がここです。
月というと、少し前に特集した桂(かつら)を思い浮かべてしまいますが、この旧三日月町には、日本一を有する樹種の大木が多く存在しています。

さて、私が冒頭もう一度行かなければ、と思っていたこの場所の理由が、日本一をはじめとして大木が多いことと、いつもながらの冬場の探訪だったために、初めて訪れた時には尋ねる順番の考慮不足で日本一に会うことができたものの、冬場独特の日没の早さのおかげで写真断念という事態に陥ってしまったためでした。

この三日月町に点在する樹種というのは「ムクノキ」です。
今回ご紹介するのは、日本一と言われる「三日月の大ムク」、森のように見えることから別名を森の木(または守の樹さん)。

三日月の大ムク8

今から紹介していく写真は全て、6月に再訪問した折の写真なのですが、前回の訪問では周辺にあるムクノキの古木(後述)に時間をかけてしまったことによる日没タイムアップという失敗をおかしてしまったために、今回は日本一の為だけに早朝から屋敷前にてスタンバイして撮影を開始しました。

どうしてスタンバイしていたかというと、この見事なムクノキ、所在は旧家のお屋敷の庭なのです。
もともとは、久森家が所有してきたものだったそうですが、樹勢の衰えと腐食空洞化の進行のために、保存が急務だった平成8年を機に三日月町への寄付申し出があり、現在では佐用町の所有となり、樹木医の治療の末に青葉を茂らせる美しさを維持されているようです。

三日月の大ムク6

しかし、いくら佐用町の所有であるとはいえ、その所在は今でも屋敷の中庭。
外からも十分にその大きさを確認することができますが、やっぱりその近くで全容を眺め対話してみたくなるもの。
そのために、早朝から時計をにらみ「お宅訪問」可能な時間になるのを見計らって、大ムクを尋ねたのでした。

三日月の大ムク1

いつもならばムクノキの樹種のお話を始めたいところなのですが、楽しみにしてくださっている皆様すみません。
話題が広がりすぎる恐れ(笑)がありますので、ムクノキの樹種についてのお話はまたの機会に譲っておき、今回は日本一に集中していきましょう。
実はこの大ムク、日本一といわれていますが、国の天然記念物!ではありません。
県指定の天然記念物になっています。その理由は定かではありませんが、幹回り990cmと立派で一説には以前に切り払った枝の年輪が800を数えたことから樹齢800年以上とされている十分な巨樹古木です。
ちなみに、ひょうごの巨樹巨木100選という書物によれば県下第2位は宍粟市の火魂神社のムクノキ、3位は日本一のすぐそばにある三日月のムクノキだそうです。
双方会いに行っていますが、それらと比べてもやはりスケールの大きさは特筆です。

三日月の大ムク4


6月に訪問した写真では、樹木医さんの治療によって勢いよく葉を茂らせているムクノキですが、宮大工棟梁の話をもとにするならば、葉を茂らせているものほど幹が空洞になっていたりするものが多い、という言葉通りと言っては何ですが、例外なくこの「日本一」も中は空洞の様で、前出のひょうごの巨樹巨木100選によれば昔は子供が空洞に潜り込んで遊んでいた、といいますから、衰えた樹勢のなかにも巨樹としての歴史と人との触れ合いを感じます。

三日月の大ムク2

ムクノキで多く語られるのは、黒く熟した甘い実をムクドリが好んで食すためにムクノキになった、というもので、確かに小さいために未熟な時には見落としやすいかもしれないその実はとってもたくさんの実りをもたらし、鳥による子孫を残す手段のなかではとても優秀な樹種ではなかろうかと思います。
いや、鳥ばかりではなく昔は子供たちのおやつにしていたとも書かれていますから、貴重な食料の一つでもあったのでしょう。
「日本一」も、800歳を超える今でも多くの実をつけていました。
しかしながら、樹木についての逸話は一つとは限らないのがまた面白いところ。
木材において「ムク」という発音は「無垢」という文字を連想させ、合板や貼り合わせではないもの、という意味合いを持ちますが、ムクノキの名の由来で言われる一説に「木工の木」があります。
読んで字のごとし、「木工(ムク)の木」からきている、というものです。

三日月の大ムク3

というのも、古くはサンドペーパーや研磨機などの無い時代。
ムクノキは、その葉の特性を活かし「研磨材」として重宝されていました。
ムクノキの葉にはザラザラした毛があることと、ケイ酸質の物質を含むことで研磨材として活用され、今でいうサンドペーパーのような使われ方をしていたといいます。
実際、以前に太田不動尊のムクノキのところで少しお話した、地元大阪府にある田中邸のムクノキは、鋳物師として1300年も続いたといわれる旧家のそばにある幹回り5.3mのムクの古木ですが、やはり鋳物製品を磨くためにその葉を活用していたといわれていますから、木工においても「削る」という工程においての役割が大きかったのも、その名の由来となっているのかもしれません。

話を日本一に戻しましょう。
訪問において声をかけさせていただいたときに対応をしてくださった奥様にいただいた、佐用町教育委員会発行のプリント冊子を片手に眺めていると、以前よりも土壌やムクノキの樹勢がよくなっていることが想像できます。

三日月の大ムク5

小冊子には映っていない下草がいろいろと彩を添えています。
とても古めかしく、ごつごつしているのも巨樹古木であり、岩のような年老いたゾウの足のような樹皮も、広葉樹巨木の見どころではあるのですが、やはりいつまでもこの姿を見ていたと思う者にとっては、この変化はムクノキにとっては良い方向なのだろうと思います。

三日月の大ムク9

もちろん、ムクノキいや、ニレ科のケヤキなどにもみられるグレーの樹皮がはがれるような幹も見られます。
たまに、ムクノキの巨樹がケヤキと間違われていて、スケールの大きな巨樹の多いケヤキにしては大したことはない、と見過ごされていたものが実はムクノキだったということで、のちにムクノキの巨樹指定を受けることがあります。
そういったことも考えながら、幹や葉っぱを眺めその木の事を考えるのも、立木の楽しみ。
そのあたりは、木材になってからではできないところですからね。
それに、木材になったムクノキはとっても影が薄くて、木目も色合いも決して特異なものではないために、特に建築装飾としての出番はほぼありませんね。
とはいえ、特殊な用途としては天秤棒やまさかりの柄、そして音の伝導性から三味線の胴にされたという記録が残っています。
やはりいずれも特殊用途ですね。

おっと、日本一の記事だった。
樹勢の衰えとは関係のないところでも、ずっと以前はさらに広い範囲に枝を伸ばしていたようで、主幹のうちの一部だけではなく屋敷の外側へも大きな枝が出ていたものは切り払われた(それが先の800歳の由来のよう)ということなので、ずっと以前には塀をまたいで大きな樹幹とともに緑の天蓋をなしていたのではなかろうかと推察すれば、一際巨樹の味わいも深くなってきます。

三日月の大ムク7

幹になすコブやごつごつとした割れ目に歴史を感じるのも魅力ですが、大ムクの歴史とともにある久森家の歴史を感じるのは、佐用町の小冊子から。
こんな大ムク、これほどの姿になる前は屋敷ってどうなっていたんだろうか?!それに、屋敷と蔵に囲まれたすこし巨樹には狭くさえ感じるその場所は、巨樹になる以前はどんなばしょだったんだろうか?!
そう考えると同時に、小冊子の地名に目がとまりました。
「佐用町下本郷湯浅其二1475-2番地」となっています。
目についたのは「湯浅」の二文字。
ある記事によると、久森家は遠い昔に紀州湯浅からこの地に移り住んだとありました。
地名にも湯浅の文字があるということは、ある程度の規模で紀州から移住してこられたのが久森家であったのか、それとも湯浅に由来する人々が地名に湯浅を残したのかは定かではありませんが、800年の歴史を生きてきた巨樹を要するお屋敷にふさわしい、歴史を感じる取り合わせだと思うと、巨樹を見るまなざしも一段と深くなります。

訪れた日は夜中に降り続いた小雨が上がった、冷たい湿気を含んだ水の香りのする日でしたが、大ムクを前にするとどこからともなく、もののけ姫にでてくる「こだま」が顔を出しそうな、そんな不思議な空気に包まれていました。
それもやっぱり歴史のある巨樹の醸し出す空気。

三日月の大ムク10


日本一とお別れする前にしておかないといけない記念撮影。
にょろにょろと石垣をぬって伸びてくる大ムクの根を踏まないように石段に上がります。
本当はもっと近くに行きたいところですが、カラーコーンを越えてはいけませんよ。
マナーは守らなければいけません。
ケヤキやクスに比べると若干スマートではありますが、屋敷内でひときわ存在感を表す巨躯は、これからも元気でいてほしい立派なムクノキの巨樹でした。

蛇足ながらも、日本一の三日月の大ムクを尋ねるとき気を付けないといけないのは、先に書いていた、点在するムクノキです。
大ムクにたどりつく手前約300mには「下本郷のムクノキ」(佐用郡佐用町下本郷1376)があり、さらにそこから1Kmほど南の線路から少し入ったところには後鳥羽上皇が弓をかけて休息を得たといわれる「弓の木(正式には三日月のムクノキの古木)」があります。
それらを、特に下本郷のムクノキを大ムクと勘違いしやすいので、ここばかりは事前に写真などでチェックしていないと、日本一の手前で納得して帰ってしまうことになりかねませんので注意が必要。
私はそれらを先に廻ってしまったために、冬場の巨樹巡りにて最も注意すべき日没タイムアップとなってしまったのでした。



三日月の大ムク所在地(2015年現在)

兵庫県佐用郡佐用町下本郷1475

周辺は集落のため、交通量も多くなく旧家の前は道幅も広いので、端に寄せれば駐車は可能。
個人宅なので、お声かけして入らせていただく必要がありますが、訪ねる人が多いからでしょう、とても親切に対応してくださいますので、ありがたいです。

また、近年ではシイと同じく大分県にてこれを上回る同樹種の巨樹が見つかっているということで、もしかすると日本一の冠は外れるかもしれませんが、印象深いムクノキであることには変わりありません。



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