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山に入れた人の手には人の手で・・・言い切れない書き切れない想い


いろんなところを廻っていると、色々な話を聞けます。
山や製材所、加工所など木材に関わるところどころで、自分が関わっている事に対しての想いを持っておられるからですが、全て画一的に話をまとめることは不可能であるにしても、やっぱり一般的に言われるように「山の担い手」の事情は厳しいようで・・・・

山で考えること 2


私が色々と訪れるときには、その地に行くのだからできる限りその地の周辺を廻っておくこと、を信条に、周辺の製材所や加工場などを廻るのですが、山間部の場合は稀に目的地が巨樹のほど近くだったりすることがあるので、仕事帰りに寄ってみたりするのですが、どうしても「戸田材木店」の看板をかけている車で向かいますので、いぶかしがられるケースもしばしば。

先日訪れた先でのこと。
製材所へ廻るついでに近くの山にある巨樹に会いに行きました。
たまたま道を間違えて入った道の傍らに、おじぃさんとおばぁさんが下草刈りと、林の掃除をされていました。
丁度よいと巨樹への道を尋ねたところ「何しに行くんじゃ。教えやせんぞ!」と語気を少々荒げて答えられました。
原因にピンときた私が釈明する暇もなく、「あんたも伐りに来たんじゃろが。神さんのとこへは行かせんぞ。」と睨まれてしまいました。
ここまで来るとお分かりでしょうが、つまりは材木屋がめぼしい巨木を切るための下見に来たと思われたようです。
仕方ないでしょう。
私の記事でも取り上げましたし、ニュースでも頻繁に報じられていたように、山中や社寺にある巨木に薬剤を注入し枯れさせてしまい、倒壊しないように伐採しましょうと持ち掛けるお話。
各県で実際に被害にあわれたそうですが、私が訪れた先でも同じような話があったそうです。
それで余計に敏感になっているところ、こんな山中に「材木店」のデカデカとした看板の車が来るわ、道を聞いてくるわ。そりゃ怪しいわな。

90年生杉

(樹齢90年の植林木)


一通り話を聞いた後(聞くことが大切)、本当に巨樹に会いに来ただけで、巨樹探訪が趣味な変わった材木屋だという旨を一生懸命説明し、ようやく表情が柔らかくなったところから、少しおじぃさんのお話を聞くことにしました。

そんなに敏感になっていたのは他にも理由があり、ついこの春先にも、大木のある山を案内してほしい、と一人の人間が来たそうで、山を愛し地元の山はどこにどんな木があるかも覚えているというそのおじぃさんは、親切に案内したそうです。
実はこのおじぃさん、後から聞くと山主さんでありながら、ほかの所有者の山も管理を任されているという方で、どこからともなくおじぃさんの事を聞いて、その男はやってきたそうです。
その男が来て数週間後、おじぃさんは自分の好きな地元の山歩きに出かけたそうです。
するとどうでしょう、今まで見守ってきたケヤキやトチなどの大木が、あるはずの場所にない。
先に行ってもない。所有者は違っていても、大切に思って見守ってきた大木が消えている。それも、自分の案内したものばかり・・・

実は、その男は大木の話を聞きつけ、正確な場所を特定するためにおじぃさんに案内を頼み、下見を付けた後に所有者に会いに行き、その大木を買い取り、伐採したのだそうです。
もちろん、購入して伐採しているのだから悪いわけではないですが、おじぃさんはとっても悔やんでいました。自分が案内しなければ伐られることはなかったのに・・・・と。
それぞれの大木は、その所有者が代々売らずに守ってきたもので、最近も伐採の話があったそうですが、先祖より大切に受け継いできたものを伐るわけにはいかん、と言っていたものも伐られている。

おかしいと思えば、その所有者はついこの間に亡くなり、相続をした世代は山の手入れはおじぃさんに委託しているものの、守っていくと言うほどの気はなく、売れる物ならば伐ってほしいと、伐採許可を出したそうです。
その地方では有名だった栂の大木も伐ったと言います。

おじぃさんの話は続きます。
今の世代はみんな無関心じゃ。山にも人にも。物の価値も崩れてしもうた。わしらの自分はまさしく宝の山で、子や孫の時代には大きな財産になると思って大切に育ててきたが、このありさま(間伐されて綺麗な山を見て)じゃ。
わしら頑張って手を入れてもそのまま捨てんならん。出せんのじゃ。出しても売れんのじゃ。
手を入れとるところはまだえぇが、手も入れんとそのままのところもたくさんあるわ。
子や孫の世代は、山なんぞには関心がないでの。どうでもえぇんじゃ。管理だけしといてくれというもんや。
山も木もかわいそうじゃ。世の中は変わってしもうたわ。

都会でよく言われる間伐材の利用とか、手入れされていない人工林のお話とダブる部分が多くありますが、見た感じとても美しいところなのにそんな状況だとは。

山で考えること 4

わしはもう、83じゃ。わしで終わりだわ。
このあと、この森はどうなるんじゃ・・・

そういうこのおじぃさんの子供の世代も、山の仕事にはついていないそうです。
それが余計に嘆かせるのでしょう。
確かに最近手入れされたと思われる山を見ても、間伐された立派な幹がゴロゴロと転がり、逆に墓場のように見えてきます。

これは、山の努力とか流通方法を考えるというだけのような話ではなくて、やっぱり山を手入れしてもらっているところから最終的に木材製品になるまでのすべてを見えるようにして、より身近に木材も、木材と森を取り巻く状況を知って考える必要があります。
もちろん、様々なやり方で成功しているモデルはあるにせよ、宣伝やマーケティング戦略にたけていない森林はだめになってしまいます。
そんなのは嫌です。やり切れません。

元々は3世代を通じての財産として植えられた木。
今からがとても大切な時期なのに、だめになるのを見ているなんて…

自然の森は異なると思いますが、人が手を入れた森はやはり人が面倒を見て管理していかなければいけないという現実と、手を入れようと思う森にしていくには、木や森の魅力をもっと掘り出す必要性も感じます。

いつも木を扱う仕事をしているだけに、おじぃさんのお話は何ともむずがゆく、対処法が一言では絞り出せないものでしたが、これが一つの現実。
狂っているのは世の中の流れか、物の価値か、それとも物を扱う意識か?!
巨樹訪問を前に、むつかしい問題に直にぶち当たり何とも言いきれない想いになりました。

山で考えること 1

最終的には、やはり担い手を引き継いでくれる方を探すのが先決なのだと思いますが、私はそんな状況を街で少しでも切実に伝え、木材の価値の向上とその意味をはっきりさせることによる山へのフィードバックをしたいと、ますます思った次第です。
課題重過ぎですが、森を守るというととにかく植林!のようなイメージですが、私は私ができる木材の道を進みたいです。

決して低質材ではない間伐材の有効な出口が作れるように・・・
言い切れない書ききれない想いは今この瞬間も続いています・・・
是非、皆さんも人の関係してきた森に入ってお話を聞いてください。決して木材の価格が高いとかこの木材はダメだなんて、言えなくなりますよ。
人の手ではぐくまれた宝の山を活かすために、今日も一日動いています。

山で考えること 3

注)本文のおじぃさんの山と写真の山は別のものです。




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