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お世話になった木は故郷に帰る


木材には人と同じように、生まれた故郷というものがあります。
種から育ち、数十年数百年かけてその地で天に向かって伸びていくわけですが、いざ木材として製材されると、様々な大きさになって色々な場所へと出荷されます。
日本は昔から「木の文化」と言われるほど、世界でも有数の木材消費国ですし、木に対するこだわりというものを大きく持っていることからもおそらく、世界でもっとも多くの種類の木材を利用している国ではないかと思います。
日本の中の木にとどまらず、用途や寸法、嗜好によって世界の木材を多く使用していますが、輸入された木材で共通して言えることは、一時期を過ぎると大抵は輸入量が減り、もしくは輸入がストップしてしまうこと。
優良な材や、幅広大径材などは永い時間をかけて育っているもの・・・そう簡単に継続して大量に使い続けるわけにもいきません。

この様な話は優秀な材ほどつきものですが、私がもっとも肌で感じたのはやはり「タイヒ」です。
つまりは台湾桧(タイワンヒノキ)。

タイヒ 3

以前に金具不使用台湾桧木製名刺ケースの記事でお話していますが、その特徴は、数百年、数千年という樹齢から来る、木目の細かさや大径材が供給できる為に幅広の柾目や、割れにくく素直な材に木取りできる木の芯を外して製材された「芯去り材」を採ることができる優秀材。
それに輪をかけて日本の建築には欠かせない白木(しらき)である「ヒノキ」であることも、ふた昔位前までの建築に多く用いられた理由の一つです。
もちろん、住宅ではなく社寺の建立に多くの材が使われているので、今でも各地に社寺に台湾桧材が活躍していますので、見ることはできるのですが、今現在において新しく材を調達しようとしても、もう容易に入手することはできません。

タイヒ 1


既に原産地の台湾でも伐採することができないこともあり、新しい木材として輸入されることがほぼ無いからです。

そのため、以前から中国人や原産地の台湾からも、一時期タイヒの大消費地であった日本に眠っている埋蔵金ならぬ「埋蔵木」を求めにやってきている、という話は聞いていました。

実際、白木の建築が減少したことや入手しづらくなったこと、また木曽桧の代用材の様に利用されてきたタイヒや、屋久杉の代わりに天井板として利用されてきた同じ台湾産の紅桧(べにひ)も、天井板の出荷減少やコストの関係で使用されることが少なくなり、おそらくまだ日本には相当量のタイヒや紅桧が残っていると思われます。

そういう弊社にも若干は残ってはいるものの、これは私の宝物ですので、そうは簡単に売り払ってしまうつもりはないのですが、今回偶然にも仲介の方を介してですが、その「探している人物」から譲って欲しいという話があり、少量ですが販売しました。

普段の木材の商売の様に、「この寸法で○本、この長さで○本」というようなサイズ限定をしていると「無理です」という返事しかできないものの、現在あるサイズをそのまま購入されるので、材を持っている方からすれば、持っていても指定の寸法でいくつも揃える注文には答えられないから、このままでいいのなら・・・と、相当な数が今までにも台湾や中国に渡ったそうです。

木は、生まれてから死ぬまで基本的に伐採されない限りはその場所を離れることはありません。
タイヒは1000年を超える月日を過ごした台湾の山を出て、数十年前に日本にやってきて各地で使われ現在に至ります。
そのタイヒ達の一部が今、数十年を経て故郷へ帰っていっているということですね。
考えると、タイヒにとっては倉庫で眠るより故郷に帰る方が幸せなのだろうかとも思います。
日本にも木曽桧の樹齢2000年や3000年というものがあれば、それはそれは素晴らしいものなのだろうと夢に見るときもありますが、日本の社寺建築を支え、ヒノキという素晴らしい樹種のもつ数千年の美しさを現実に見せてくれたタイヒや紅桧にはとても感謝しています。

今回のタイヒの里帰りは大切な宝物をあるべき場所に帰した、そんなような気持ちです。
まるでルパンがクラリスを送り届けたかのように・・・・

ルパン


故郷で最後のひとかけらまで愛でてもらうことを祈って・・・

タイヒ 2



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